佐野厄除け大師へ、新年のお詣り
2012年1月8日


七日正月も終わり、正月気分も少しずつ薄れ、街も日常を取り戻し始めた。
8日の日曜の昼下がり、毎年のこと、栃木県の南、佐野厄除け大師へ出かけた。

天気は快晴、東北道を真っすぐに北上し、利根川を越す。
冬色に錆びた山々が近づき、やがてその山々の彼方に、雪を頂いた日本アルプスが輝く。
だが思いのほかに冠雪は少なく、黒い山肌を晒していた。

渡良瀬川を渡り、佐野藤岡インターで降りると、車はかなり渋滞していた。
一昔前は渋滞することもない道であったが、アウトレットモールが佐野に出来て以来、休日になると渋滞するようになった。
最近は、集客力のあるスポットや、商業施設などが出来ると、一気にそのエリアの状況が急変する。


渋滞を抜けると、細く緩やかに曲がりくねった街道を進み、佐野市街地へ入る。
昔ながらの門前町、町並みに歴史の風情を残す。
さらにお大師様への道筋を進むと、道は想像以上の人出であった。

何時も車を停める、無料の広い駐車場は満杯であり、案内に従い進んだ駐車場も、やはり満杯であった。
そしてさらに奥へ行くと、佐野厄除け大師の無料の駐車場があり、やっとのことで車を置いた。
のんびりと駐車場から、お大師様への道を、適当な勘を便りに歩いてゆく。

すると、予想通り、何時も渡る秋山川の岸辺に辿り着いた。
遠くには、お大師様の建物の甍が見える。
川辺の道を歩き、お大師様へ向かう街道から、天明橋を渡ると、お参りの人たちが行き交っていた。
 
門前の道には土産物屋さんの声が響き、正月気分を盛り立てる。
やがて山門に出ると、露店の人が忙しそうに立ち働いていた。
山門を潜ると、大勢の人の列が並ぶ。
新年祈願の護摩焚きを待つ列と、参拝の列がそれぞれに、本堂から山門前の広場に、長い列を作っていた。
参拝の列に並び、順番に参拝の時を待つ。
境内の隣の墓地には、世界初の公害運動家で、衆議院議員・田中正造翁(1841−1913)の墓が、傾きかけた秋日に照らされていた。
 
この墓を見るたびに、かつての小中村(現佐野市)の名主の家に生まれた、田中正造をモデルに描かれた戯曲、宮本研作「明治の棺」の芝居を思い出す。
境内の奥には、たくさんの露店が店を出し、幟り旗が微風にはためいていた。
やがて正面に本堂が見える参道へ辿り着いた。
 
正面の本堂の中では、護摩焚きの炎が、朱を帯びた黄金色に燃え上がっていた。
参拝の列は次々に進むが、護摩焚き祈願の人の列は、遅々として進まない。
本堂の中に入って、祈願できるのには、どれ位の時間が掛るのであろうか?

だんだんと本堂も近づき、本堂内の護摩焚きの炎が、大きく見え始め、めらめらと燃え盛っている。
そして横5列に並び、本堂の前に出た。
お賽銭を添えて、神妙に掌を合わせる。
  
家族全員と親戚の健康、そして正月以来、風邪を拗らせている愛猫の回復、そして東日本大震災の復旧と回復を祈った。
お参りを終え振り返ってみれば、参拝と護摩焚き祈願の、長い列が続いていた。
お参りを終え、本堂横の社務所で、ママは御守を頂き、子育て地蔵の方への順路を歩いた。
 
何時でも子育て地蔵は、子供たちの人気者。
箒を持った愛くるしい石造りのお地蔵さん。
子供たちが束子で、ごしごしと地蔵さんを洗い、お母さんやお父さんが、頭から水を流している。
 
そして子供たちは夢中で、お地蔵さんの全身を磨いている。
子供はお地蔵さんが、いったい何であるかも知らないかもしれない。
だが、意味もわからずに、束子を持って、大人の真似をしながら、お地蔵さんを洗う。
 
その時、子供ながらにも、何か分からないが、普段とは違う、清い心を感じることであろう。
その自分以外のものに対する優しい気持ちを、お地蔵さんを洗う行為により、涵養するのである。
その優しい行為を、様々な時に、大人たちの優しくも敬虔な行為を、模倣することの中で、他に対する優しさを学ぶのだ。

今日、このお地蔵さんは、何人くらいの人たちに、洗って貰ったのであろうか。
心なしにお地蔵さんの口元がほころび、顔には笑顔が漂っているようだ。
遠く境内を望めば、朱色の建物が、澄んで高い青空を背景に、日暮れ近い陽に照らされていた。
 
境内の賑わいは、今だ絶えることもなく続いていた。
そして水子観音の前を進み、大香炉の前に来る。
わき上がる薫煙の中、お線香の香りがゆらゆらと漂う。
 
子供の時は、仏壇のない我が家では、お線香の香りを嗅ぐこともなかった。
夏になり、母の実家の新潟に遊びに行くと、大きな仏壇に、何時もお線香が焚かれていた。
その匂いが、何処か死を想起させ、とても怖かったことを思い出す。
 
成人し歳を重ねるに従い、人は数々の死にも直面し、野辺の送りをすることも多くなる。
そして亡き人や先祖の供養をする時に、お線香の香りが、残された者たちに、亡き人を思い出させてくれる。
見れば、水色のジャンパーを着た小学生が、お線香の煙を、身体になすりつけている。
 
その所作は何かの折に、大人に教えてもらったものであろう。
身体の弱いところや悪いところに、薫煙りをなすり、そして祈ることを。
人は祈ること、信じることで強くなり、人間本来の免疫力を、高めることもある。
 
理解もしていなくとも、祈るという神聖な行為に、意味を持つ時もある。
大人に混じり1人の少年が、お線香の煙に包まれ、頭を垂れて、何かを祈る姿は美しい。
香炉からたちのぼる灰白色の煙は、幽玄な趣を辺りに漂わせている。
境内に進むと、露天は賑わい、家族連れや若者たちで溢れていた。
夕刻に近い秋の柔らかく澄みきった日射しを受けて、鐘つき堂の甍は黒く輝き、側面の壁は金彩に照り返されていた。
そして、山門前の境内には、参拝と祈願を待つ長蛇の列が、なおも続いていた。