小さな旅&日記 秩父夜祭を訪ねて 2011.12.3 秩父夜祭りにやって来たのは、5年ぶり位だろうか。 それまでは毎年のように出かけていた。 12月3日が近付くと、いよいよ今年も最後の月になったのだなと実感する。 秩父の12月は寒く、その酷寒の中、4台の屋台と2台の笠鉾が、秩父のメインストリーを曳き廻される。 絢爛豪華な山車は、たくさんの提灯の明かりやぼんぼりに照らし出され、埋め尽くされる観衆の中を、ゆっくりと進む。 山車の前には、禊を収めた襦袢儀の男衆が4人、ホーライ、ホーライと威勢よく叫ぶ。 秩父神社に着いた時は、午後の4時近く。 今夜の本番を待つ山車が、黄昏まじかの日射しを受けていた。 山車を引く太い綱は、屋台の前に、幾重にも巻かれている。 藍色に染められた半纏を着た男たちが、出番を待つ山車を、それぞれに点検している。 山車の高い天井には、すでに4人の男たちが上り、出発の時が、刻一刻と近づいていることを知らせる。 すでに路上には人が溢れ、路傍では、様々な露天商の景気のよい掛け声が響く。 近くの特設舞台では、明るい照明の下、屋台囃子が鳴り響き、祭の情趣を盛り上げていた。 やがて、夕闇せまる時、山車の太綱は下ろされ、印半纏に脚絆姿の曳き子たちが綱を握る。 そして掛け声と共に、ぎしッぎしッと山車が動き始めた。 その時、詰めかけた観衆から、大きな拍手が巻き起こった。 山車は次々に秩父神社に向かい、境内に6台の山車が集合する。 そして初冬の日が、完全に落ち、空が青黒く垂れ込め始める時、神社から最終地点の御旅所へ向かう。 夕刻の5時、とっぷりと夜の帳が落ち始める。 かつての秩父往還である、メインストトリートには、山車の到来を待つ人たちが溢れている。 道の両脇の露店商の照明が、祭の華やぎを盛り上げていた。 やがて冬空は漆黒に染まり、秩父は冷気を湛えている。 だが、その厳しい寒さこそが、祭りの熱気を高揚させているのだ。 そして我々の前に、6時20分過ぎにお目見えした。 豪華絢爛とした、総重量14トン余りの山車は、さながら動く楼閣のようである。 提灯の日は金色に輝き、山車に施された意匠を浮きださせていた。 地上7メートルにも届く屋根の上には、5人の屋根番の男衆が、豪壮な祭に粋を添えている。 やがて白装束に身を包む男たちが、神輿を担ぎ、神幸祭の行列が、ゆっくりと進んでゆく。 神輿の進む道を確保するために、溢れる人々を整理する、埼玉県警の係員も必死である。 さらに高張提灯が高くかざされ、貫禄のある長老が先導しながら、祭礼の衣装を身にまとった2頭の神馬が登場した。 祭の熱気と群衆の中、神馬は神妙な面持ちで、路上で待機している。 祭礼の一団が通りすぎると、路上は人で埋め尽くされた。 正面の建物の2階では、食事を終えた人たちが、一面のガラス窓へ乗り出し、これから始まるページェントを待ちかまえていた。 しばらくの待機の後、巨大な山車の後ろに、てこの支点にする台を置き、2本の太い角木が、斜めに射し込まれた。 その瞬間、小太鼓が激しく「玉入れ」の曲を打ち乱し、観衆たちも騒然とする。 すると山車がぐらりと持ち上がり、曳き子たちの掛け声と共に、巨大な山車が、90度回転してギリ廻された。 固唾をのみこんでいた観衆の静寂から、一転、怒涛のような歓声に変わった。 そして、時間を置いて、中近笠鉾(なかちかかさぼこ)、下郷笠鉾(したごうかさぼこ)、宮地屋台(みやじやたい)、上町屋台(かみまちやたい)、 中町屋台(なかまちやたい)、本町屋台(もとまちやたい)の順番で、山車が登場するはずだ。 ギリ廻して終え向きを変えた6台の山車が、私たちの目の前を通り過ぎてゆくであろう。 今日の花形、襦袢着のホーライの声が、しんしんと凍える寒さの中に響き渡る。 その声は秩父の冬の厳しさを、切り裂くように鋭く豪放である。 その激しい声を放つことで、この寒さを吹き飛ばし、無病息災、開運招福、五穀豊穣を招来するのであろう。 時には揺れ軋む山車の天井は、不安定この上もないのだが、腕を組み微動だにしない。 秩父の凍える寒さに鍛えられた男衆は、さすがに厳寒には強い。 よく見れば、山車の曳き子たちの鉢巻の形は、山車によって結び方が違う。 鉢巻き、半纏、股引き、軍手、地下足袋の男女の曳き子たちが、太い綱を掛け声もろとも曳き進み、時には横に広がり波打つ。 路上は曳き子たちで埋まり、提灯やぼんぼりの明かりが揺れ、天井の男衆は誇らしげに、観衆に応えている。 秩父の1年は、この秩父夜祭りが、総仕上げをする。 夜祭りの祭り衆は、この夜祭りに向けて、全てが収斂するのであろう。 煌めく祭の華やぎは増し、最高潮へ向かって、最終地点の団子坂へ進む。 天空は漆黒、蒼穹を背景にして、揺れ進む山車は光の幻想を創り出す。 山車の屋根では、刺子半纏の男衆が、絶妙なバランスを取り、片手に安全縄を握り、左手に提灯を持つ。 祭は益々興奮と歓喜の渦の中、ゆっくりと進んでゆく。 果たして、今年の秩父夜祭りには、どれ程の人出があるのであろうか。 見渡す限り、人で膨れ上がる、黒く埋め尽くされている。 長い歴史の伝承で受け継がれた祭。 それを守り伝える人間と、それを支える人間たち。 その祭に参加する全ての者たちへ、エネルギーは照射される。 その時、祭を作る者たちと、祭を観る者たちが、渾然と一体化する。 次々と放たれる花火の音が響き、夜空を鮮やかに染め上げている。 山車の天井には、鳶の親方であろうか、貫禄充分の屋根番が、どっかりと正面を向き、中央に座る。 山車の中からは、大太鼓と小太鼓が激しく打ち鳴らされる。 その音は激烈で、寒気を切り裂くほどに躍動的である。 時間の調整であろうか、やがて山車は路上に止まる。 その間も太鼓は打ち鳴らされ、力強いリズムを刻み続けた。 すると彼方に、次の山車が煌びやかな光彩を放ちながら姿を現す。 周りを取り囲む観衆は、黒い一団となり、山車の絢爛を引きたてていた。 その瞬間、怒涛のように小太鼓が打ち鳴らされ、観衆のどよめきが、低奏音となって谺する。 その緊張の瞬間が過ぎ、そろりと山車が進み、私たちの前で停まった。 この場所に座ることは、秩父に生まれ育った者にとっては、生涯における、かけがいのない名誉なことであろう。 両腕を組み、時には膝の上に手を置く姿に、祭を護る若者の矜持が見える。 太鼓の音は激しく高潮し、襦袢着の男たちは、大きく両手を広げながら叫ぶ。 その声はすでにがらがらに潰れ、喉には太い血管が浮きだしている。 この時のために、1年を待ち続けた襦袢着。 祭の前には、冷たい水を浴び禊を済ました。 この祭のために、祭の屋台を支える、それぞれの屋台町から、山車1台につき、4人が選ばれる。 まさに今日は祭の祭司であり、祭の使徒でもある。 生涯に1度の晴れ舞台、そして、祭はいよいよ最終局面に進む。 襦袢着の男たちは、あらん限りの力を燃焼している。 その顔には笑顔が溢れ、祭に参加していることの、誇りで満ちている。 祭はそこに集結した、作る人、観る人たち全てが主役である。 屋根を見れば、先ほどの若者が、誇らしげに腕を組んでいる。 そして山車はゆっくりと動き始め、団子坂へ向かっていった。 やがて、最後のトリを務める、本町の屋台が登場し、愛嬌のある達磨が大きく描かれた、後ろ幕を見せながら、人混みの中へ消えていった。 そして段々と、朱色の達磨の顔が、小さくなり消え去って行く。 あと数十分で、秩父夜祭りの最終章、団子坂の急斜面を、山車が次々と引き上る。 道端の屋台も、最後のかき入れ、声は高く勢いよく叫ばれる。 団子坂のお旅所へ向かった山車を見送り、私たちは秩父神社へ向かった。 神社の舞殿では、お囃子連が賑やかに、神楽のお披露目をしていた。 その顔には、祭のエネルギーが、溌剌と燃えたぎっている。 夜祭りが無事に終わり、多くの観客たちをもてなせたことへの満足が滲んでいる。 秩父の凍えるほどの寒さを迎え、今年も終わる。 無事に年を収め、来年の年神様を迎える。 秩父の夜祭りと共に、1年が終わり、新しい1年が始まる。 舞殿の神楽が、ここにいる人たち全ての幸せを、祝賀しているようだ。 秩父神社境内にある、秩父会館の照明も、煌々として明るい。 秩父神社に向かう参拝客たちが、山門を次々と潜る。 階段を上り、山門を潜ると、本殿前には、長い列が出来ていた。 その時、立錐の余地もない観客たちは、固唾を飲み見守る。 激しく打ち鳴らされる太鼓が寒空に響き渡り、ホーライ、ホ−ライの襦袢着たちの叫び声。 その祭のクライマックスを想像しながら、本殿の列に並ぶ。 祭の昂奮の中、お賽銭を添え、今年の安寧に感謝をし、来る年の幸を祈願した。 山門を潜り、山車の通りすぎた路上に出て、空を見上げると、次々に花火が打ちあがっている。 その花火の輝きは、美しく夜空を染め、秩父夜祭りの名残を惜しんでいるようである。 秩父神社の裏門には、柔らかな冬日が差し、陰影を濃くしていた。 舞殿ではお囃子に合わせて、里神楽が踊られていた。 そして、本町の刺子半纏を着せてもらい、提灯を持ち記念写真を撮る。 久しぶりの秩父夜祭り、出来るものならば、来年も来たいものだ。 阿佐美さんの案内で、山車の中を見せてもらった。 中では、次の時代を継ぐ子供たちが、真剣に大太鼓を叩いていた。 この子供たちへ、技を継承することで、秩父夜祭りは、永遠に続くのである。 |