夏の秩父路を訪ねて
2011.08,14

今年もお盆の季節を迎えた。
例年のこと、短い夏休みをとり、秩父へ出かけた。
そして、お正月以来の秩父、のんびり秩父路を下った。

その夏休みの前日、8月13日の土曜日、私も無事に64歳を迎えた。
だが誕生日の1週間前には、ママの従兄弟が、62歳で亡くなった。
長寿社会とはいえ、若くして鬼籍に入る人も多い。

やはり寿命と言うものは、厳然とこの世には存在する。
64歳まで生きられたと言うことは、この健康な身体を授けてくれた両親に、感謝しなければならないだろう。
さらに、残された人生、ささやかながらも、出来る限り、恩返ししなければならない。

お店を午前3時に頃終え、東京から秩父へ、所沢を径由して、国道299号を下る。
走るに従い、夜の国道を行き交う車も、ほとんど見えなくなる。
やがて小高かった山は、国道に被さるように、深く高く迫って来る。

国道を包む闇は深く、樹林は黒く濃くなる。
山間の道には、疾走する車のエンジン音だけが鈍く響く。
清流沿いの道、水かさを増した川のせせらぎが、心地よく響き、時忘れの蝉がじーっと鳴く。

正丸トンネルを越し、下り行けば秩父市内もあと僅かだ。
夜の道はやはり、昼間に比べれば疲れる。
途中、横瀬の「道の駅」で、休憩をすることにした。

駐車場には、想像していたよりも、ずっと多くの車が休息していた。
補助席に座りながら飲んでいた酒も飲みきり、程良い酔いで、ぐっすりと寝入った。
目がさめれば、すでに夜は明け、外に出ると、山間の里の心地よい冷気が迎えてくれた。

駐車場には、さらにたくさんの車が駐車をしていた。
そして横瀬川の清流沿いの休憩所から見渡せば、秩父の山並が、朝日に輝き始めていた。
川面のせせらぎは、きらきらと陽光を反射している。

今日もどうやら晴天のようだ。
秩父の夏は暑い、お手柔らかにお願いしますと、心の中で、思わず朝日に合掌する。
そして車に戻ると、ママが車から出て来て、私になにやら合図を送る。

ママについて行くと、目の前のベンチに、お店の古くからのお客様のI夫妻が座っていた。
バイク好きの2人は、299号を下って、白樺湖まで行く予定だと。
Iさんは20年くらい前の19歳(?)の時、初めて私の店に来た。

ボクシングのデビュー前に、練習中の事故で、網膜剥離、毎日、悶々とした日々が続いていた。
やがて、ボクシングジムのトレーナーになり、多くの選手を育てた。
その網膜剥離の手術で入院した時、看護師だった現在の奥さんと出会った。

そして2年前に入籍をし、今も仲良く2人で、バイク旅行を愉しんでいる。
東京を遠く離れた山間の休憩所。
そして早暁のこの時間、遭遇することは、確率的には限りなく零に近い。

それでも人と人は、思わぬところで、偶然にも出会う。
これもやはり、私たちには見えない、深い縁があるのであろう。
縁とはまさに偶然が織りなす、不思議な親和力の世界だが、天上から見れば、それは偶然ではなく、必然なのかもしれない。
 
私たちは不思議な出会いを愉しみながら、I夫妻に別れを告げ、秩父路を下った。
早朝の秩父路、車窓を開けると、木々の緑に包まれて、吹き込む風が爽快だ。
やがて彼方に、秩父の町並みが見える。
  
だが今回は市街地を見渡しながら、140号に抜け、軽快に進む。
さらに大野原から、和銅山山麓に位置する、秩父市黒谷に向かった。
そこは日本最初の貨幣、和同開珎の里、黒谷の獅子舞で有名な聖神社があった。
 
早朝の8時50分だと言うのに、狭い駐車場はすでに満杯のあり様。
警備誘導の小父さんの指示に従い、車を停めた。
1昨日、テレビでこの神社が、金運の神様を奉り、神社の敷地には、たくさんのパワースポットがあると紹介された影響なのであろう。
  
だが、神社の縁起来歴を調べてみれば、慶雲5年(708年)、黒谷の地で自然銅(ニギアカガネ、和銅)が発見。
産出された自然銅は朝廷に献上され、女帝元明天皇はおおいに感激し、和銅と改元された。
そして、この銅を用い、日本最初の流通通貨、和同開珎鋳造の起源を持つ、格式のある神社であった。
 
手水舎で手と口を清め、狭い急峻な階段を上ると、拝殿に辿り着いた。
さほど広くない境内には、朝日が降り注いでいた。
参道を進み、拝殿へ続く階段を上ると、朱色の方3間、入母屋造の拝殿が正面に鎮座していた。
  
一礼をして、賽銭箱へ小銭を入れ、紅白の綱を引き、鈴を鳴らし、神妙に両手を合わせる。
日本人とは不思議な民族、お寺さんへは宗派を問わず訪ね、お宮様には、都合に合わせてお参りをする。
その微妙ないい加減さは、四季の移ろいがあり、温暖な気候風土に、起因しているのかもしれない。
 
賽銭箱の向こうの座敷には、銭神様らしく、金運隆昌の利益を示す、お守りや置物が飾られている。
そしてその後ろを、白い着物に薄水色の袴を穿いた禰宜さんが、立ち働いていた。
天井に目を上げると、聖神社と書かれた扁額が飾られている。
 
お参りを終え、隣のお堂へ移る時、屋根の軒下の木組みを支える柱に、龍の頭が飾られていた。
拝殿の5段の階段を下りると、左隣に、大国主命を祀る唐破風の小さなお堂、和銅出雲神社があった。
このお堂の11月3日には、例祭が斎行され、その時、 元禄の末年に起源を持ち、別名「岡崎下妻流」と称する、黒谷の獅子舞も奉納される。

その隣に小さな蔵があり、重厚な黒い扉が、射し込む強い朝日を受けて建っていた。
その扉には4つの鍵穴があり、ぴたりと閉まっていた。
この土蔵を開けるには、4人の氏子が保管する鍵が揃い、同時に開けなければ、土蔵の扉は開かない。

4つの鍵は、聖神社に合祀されている、4祭神、
金山彦命(かなやまひこのかみ)、国常立尊(くにのそこたちのみこと)、
大日?貴尊((おおひるめのむちのかみ)=照大神)、神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと=神武天皇)
を象徴しているのであろうか

果たして、この土蔵の中には、何が入っているのであろうか?
祭礼の時には、厳かに開けられ、なかから様々な宝物や祭礼に使う祭具が、保管されているのであろう。
何の変哲もない土蔵だが、何やら古よりの歴史の匂いが漂う。

すでに、太陽は空高く上り、ぎらぎらと境内の砂利石や、参道の石畳を照り返していた。
石畳を足で踏みしめながら歩き、階段を下り、石の大鳥居を潜り、駐車場へ。
駐車場は満杯で、順番を待つ車が溢れだしていた。

そして次の目的地、秩父市下吉田468にある「星音の湯」へ出かけた。
国道140号か県道を進み、20分程で目的地に到着した。
まだオープンの10分前の9時50分、すでに駐車場には、数台の車が駐車していた。

開館を待ち待機していると、さらに、車は次々と、駐車場を埋めて行った。
やがて、天然自家温泉「星音の湯」はオープンした。
入館料900円を払い中へ。

脱衣所で服を脱ぎ、身体を洗い、早速大浴場へ入る。
湯は透通り匂いもなく柔らかい。
湯に身体を預けると、つるつるころころと、心地よく身体を包んでくれる。

そして大浴場から扉を開け、露天風呂へ。
広々とした露天風呂には、夏の陽光が降り注ぎ、湯面をきらきらときらきらと反射していた。
湯は少し熱めだが、弱アルカリ性の湯味は、旅の疲れを溶かしてくれる。

サウナ風呂に入り、水風呂で身体を締めて、またサウナで汗を流し、檜の露天風呂へ身体を埋める。
背中には檜の温もりが伝わり、檜の匂いが鼻先に漂う。
見上げれば、真っ青な空が広がり、何処からか鳥の啼き声が聞える。

そしてゆったりとした時を愉しみ、太陽が中天から傾き始めた頃、お風呂を出た。
館内にあるレストランで飲んだ生ビールは、真夏の砂浜に水がしみ込むように、身体の中に吸収された。
言い古された言葉だが、やはり、風呂上がりのビールは堪えられない。
 
温泉後の癒しの時を、まったりと愉しみながら、次の目的地、秩父郡小鹿野町に向かった。
1昨年ホタルを見に訪れた、長閑なほたるの里「釜の上農園」を抜け、秩父市内に入る。
さすがに秩父市内は、里に比べれば賑やかだ。
 
時々立ち寄る武甲正宗酒造で、今日の夜飲むお酒を買うことにした。
昼下がりの強い日差しの中、蔵元の駐車場に車を置き、お店のへ出かけた。
太い梁や柱が黒光りする店内、利き酒のコーナーがあった。
 
勿論、お店の人の説明を聞きながら、色々なタイプのお酒を愉しむ。
すると、昔ながらの、武甲正宗と染め抜かれた前垂れをした男の方が、酒蔵巡りに誘ってくれた。
そして酒蔵見物が始まり、私たちの後にも、何組かの人たちがついて来た。

お店の裏口を抜けて少し行くと、醸造所があり、薄暗い蔵はひんやりと涼しかった。
四方を山に囲まれた、秩父の夏は暑い。
だが、東京の夏と異なり、日陰に入れば涼しく凌ぎやすい。
 
そして、蔵の入り口を少し進んだところに、昔ながらの釣瓶井戸があった。
井戸の中を覗き混むと、
6メートル位下に、こんこんと水が湛えられていた。
この水が秩父山系から溢れ出る、武甲正宗の仕込み水なのだ。
 
その水は清澄で、神々しく、長い歳月をかけて地上に湧きあがり、すでにその存在が馥郁としている。
さらに奥に進むと、太い柱に抱かれるように、酒を仕込む樽が幾つも並び、すでに中は空であった。
背のすらりと高いお店の人の、爽やかで的確な説明はとても愉しい。
 
その柔らかな語り口に、酒をこよなく愛する蔵人の愛情が伝わる。
説明に聞き入る私たちに、身振りを込め、愉しそうな語り口に好感が持てた。
蔵の中を一回りして店に戻る。
 
そして雑談を交わしながら、お店の人の薦める武甲正宗の4合瓶を3本、 本醸造原酒・本醸造秩父生冷酒、濃醇旨口純米無濾過原酒購入した。
先ほどの利き酒もほろよく、買い求めたお酒を手に、江戸中期は宝暦3年(1753年)創業の醸造元・柳田総本店の玄関を開けて外へ出た。
すでに午後5御近く、見上げれば、軒下に飾られた、蔵元のシンボルの杉玉が、夕暮れを待つ、傾き始めた陽光を浴びていた。
これからの小鹿野町までの短いドライブ、先ほど買い求めたお酒を、助手席で飲みながら、ほろ酔いの旅仕上げにする。




秩父郡小鹿野町長留に咲く、路傍の花たち