茨城県筑波山を訪ねて
2011.06,20

潮来での花菖蒲見物、鮮やかに咲き匂う花菖蒲と、サッパ舟が行き交う前川の風情が愉しかった。
花菖蒲は初夏の訪れ、降り注ぐ陽光を浴びて咲き誇る花々に包まれ、身体の中に生命が漲る。
そして次の目的地である筑波山へ、国道355号を北上し、石岡を抜けて軽快に車をとばした。

同じ茨城県とはいえ、「前川あやめ園」を出たのは、12時過ぎだったが、意外に時間がかかってしまった。
左手に昼靄に煙る霞ヶ浦を眺めながら進む。
距離にして何キロぐらい走っただろうか、進めども進めども霞ヶ浦は視界から消えなかった。

やがて石岡に出たが、単純な道順のはずが、途中で道に迷ってしまった。
前回、筑波山を訪れた時も、やはり道に迷ったことを思い出す。
少し不安を抱えながら、一本道を走っていると交番があった。

そこで感じのよい若いお巡りさんに、道順を教えてもらい、筑波山へ到着した。
そして筑波山の大鳥居の前の食堂で、すこし遅い昼食をとった。
一休みの後、境内にほど近い酒屋で、地酒を購入し、境内横のホテルにチェックインした時は、すでに夕刻の4時だった。


案内された部屋に荷物を置き、浴衣に着替え、ホテルの大浴場へ出かけた。
身体を洗い、髭を剃り、大きな湯船に浸かる。
見渡せば、前面に関東平野が一望された。

さらに夕食後、のんびりと休み、夜の露天風呂へ出かけた。
露天風呂に入ると、薄闇の中、広い空がどんよりと広がり、何処までも続く街灯や民家の明かりが、カクテル光線のように煌めく。
そして道行く車のヘッドライトやテールランプが、光の帯となって連なる。

晴れているならば、温泉に浸りながら、東京のスカイツリーさえ望まれるらしい。
露天風呂には他に3人の湯客がいて、語り合う土地の言葉が、ほのぼのとして愉しい。
癖のないさらりとして優しい湯質は、一日の旅の疲れを癒してくれた。

翌日、ホテルを10時前にチェックアウトし、車を旅館に預かって貰い、旅館前の筑波山神社へ出かけた。
参道脇の土産物屋さんも、すでに店開きをし、一日が始まろうとしていた。
平日の朝、やはり参道には、人影は余りなく、静かな佇まいであった。


二の鳥居を潜ると、正面に間口は1間 奥行4間ある切妻造小羽葺屋根をいただく、朱色の橋が架かっていた。
橋は太鼓橋で小ぶりだが、安土桃山時代を代表する遺構は、威風堂々としている。
寛永10年11月(1633)に、3代将軍家光公が寄進したものである。

下って元禄15年6月(1703)、5代将軍綱吉公が改修の歴史を持つ橋の正面は、柵で閉ざされていた。
橋の横の参道を進むと、長い歴史がにおう石段の彼方に、筑波山神社の八脚楼門・随神門が見える。
階段を一段ずつかみしめるように上り切ると、豪壮な間口5間2尺、 奥行3間もある楼門が、我々を迎えてくれた。

寛永10年11月(1633)に、3代将軍家光公が、初代の楼門を寄進した。
しかしその後、2度の火災で焼失。
現在のこの楼門は、その後、文化8年(1811)に再建されたものである。

この楼門からが聖域となり、筑波山山頂までの約370町歩(ha)の御神域が広がる。
楼門の左側には、左手に剣を持ち、甲冑に身を固めた、12代景行天皇の皇子、倭建命(やまとたけるのみこと)の凛々しい像が門を守る。
右手には10代崇神天皇の皇子、豊木入日子命(とよきいりひのみこと)が、古武人らしい威厳に満ちた姿で建っていた。


楼門からは、拝殿に続く階段が見え、その上に拝殿の屋根が姿を現す。
楼門の中から天井を望めば、棟組や天井に様々な千社札が貼られていた。
最近は千社札を禁止している神社仏閣も多いが、貼られた千社札を見ると、何故か気持ちがほのぼのとしてくる。


楼門を潜りぬけ進み、最後の急峻な階段を上り切ると、境内に到達した。
どんよりとしてはっきりしない天気だったのだが、今は陽光が強く降り注いでいる。
標高270メートルに位置する、境内までの階段を上り切った頃には、うっすらと身体に汗が滲んでいた。


この拝殿でお参りをするのは、3年振りだろうか。
古から山岳信仰により、霊峰と崇められる筑波山を、御神体と仰ぎ、約3000年の歴史を持つ古社。
明治8年に完成した入母屋造の拝殿は、厳粛さに満ちていた。

休日明けの月曜日、境内には人影もなく、朝の静寂が広がる。
やはり神社のお参りは、清々しい霊気が漲る朝に限る。
そしてお賽銭を添えて、作法に従い拝殿で手を合わせた。


見上げれば、注連縄の上に、大きな鈴が天井から下がり、朝日に反射していた。
拝殿の内陣を見れば、筑波神社を彫り込んだ額が飾ってあった。
普通の神社ならば、この拝殿の奥に本殿が控えるのだが、この神社の本殿は、男体山と女体山の山頂にある。


拝殿に別れを告げ、奥の宮のある女体山山頂へ向かった。
女体山にある本殿は、標高877メートルの山頂に控える。
前回訪れた時は、つつじヶ丘駅からロープウェイで、女体山山頂へ向かった。

今回はケーブルカーで、筑波山山頂駅に上ることにした。
拝殿からまたもや、急峻な苔むした石段を上る。
階段は木々の緑も美しく、柔らかで清涼な空気に包まれていた。

木漏れ日が差す、きつい傾斜の石段を上り切ると、前方に宮脇駅の駅舎が見えた。
乗車口へ続く階段を上ると、乗降口があった。
往復乗車券を1020円で購入し、出発までしばらくの間、乗降口前のベンチで待機した。

乗降口前のバルコニーから見渡せば、関東平野が一面に、陽光に煌めきながら霞み広がっていた。
やがてケーブルカーの改札が始まり、定員106名のケーブルカーへ乗り込む。
車内には他に一組のお客様と、山頂駅の売店の関係者であろう女性が、1人乗っていた。

やがて緑色のケーブルカー「わかば」は発車し、ゆっくりと軌道を上り始めた。
上るに従い山は深く、新緑が山肌を鮮やかな緑に染めて行く。
やがてケーブルカーは緩やかにカーブを描きながら進むと、前方から茜色に輝く、下りのケーブルカーとすれ違った。


幾分上り勾配がきつくなる頃、前方にトンネルが出現した。
斑れい岩のトンネルは、大変な難工事を必要したという。
薄暗いトンネルを抜ける時、目の前に鮮やかな新緑が飛び込んできた。


左にカーブを切りながら、急こう配の軌道を上ると、山頂駅が前方に見え、間もなく到着した。
高低差495m
路線距離1.6km所要時間8分の旅だった。
筑波山には気象庁地磁気観測所の地磁気観測所がある。
その観測への電波障害を防ぐため、動力は車載の蓄電池により動いていた。




筑波山頂駅から駅前の広場に出ると、さすがに気温も下がり、厚い霧が空を覆い、ゆっくりとたなびいて行く。
広場には人影も少なく、土産物売り場やお休み処も閑散としていた。
この広場は御幸ヶ原にあり、標高871メートルの男体山山頂への登山口でもある。

だが私たちは、筑波山最高峰、標高877メートルの女体山を目指した。
霧に煙る登山道を進むと、道は赤土と自然石の上り階段が続く。
上るに従い新緑に萌える木々は深く、清涼な空気が漂い流れる。


朝霧に濡れた樹林に、霧の晴れ間から、時折顔を出す陽光に、木々に巻きついた蔦の葉が、きらりと煌めく。
深閑とした樹林に共鳴するかのように、野鳥の啼く声が彼方より響く。
さらに道の傾斜は急峻に、登山道の石段は大きくなり、ごつごつとして荒々しさをます。

やがて道はさらに狭く、険しくなって来た。
途中、下山する年配の人とすれ違い尋ねれば、山頂まであと10分くらいだと教えてくれた。
昨日降った雨のせいなのか、道の赤土は少しぬかるみ、石段の岩石は濡れていた。

さらに霧に煙る道を上ると、大きな岩に抱かれた岩室があり、その前で一身にカメラを構える人がいた。
いったい何を撮影しようとしているのだろうか?
身じろぎもせず、じっとカメラを覗き、何を撮っているのか、訪ねる人に答えることもない真剣さだ。

 
この岩がガマ石と言われ、香具師永井兵助が、この岩の前に座禅をすること7日間、ガマの油売りの口上を考案したと言う。
ここから先、まだどれくらいあるのだろうか? と考えながら上り進めば、山頂ま近まで辿り着いていた。
途中、緑に包まれた休憩所を見やり進むと、表示板があり、大きな岩を越し行くと、頂上への階段が前方に見えた。


やっとのことで辿り着いた、山頂へ続く、狭くて急峻な階段を上り詰めると、筑波山神社の小さな本殿があった。
前回来訪した時も霧が深く、360度のパノラマどころか、数メートル先さえ見えなかった。

しかし本殿の前の社務所で、神官が横笛を吹き、流れゆく霧に溶け合い、幽玄な世界を演出していた。


本殿に手を合わせ、女体山山頂へ進んだ。
危うい岩場を進むと、そこはまさに山頂、足を踏み外せば、まずは命はないだろう。
まさに危険極まりないことだが、人生とは何時も危険と背中合わせである。


自分の命は自分持ちであり、その危険を身近に感じることにより、生の充実感を確かめることも出来る。
最近は危ない所には柵を造り、人を近づけることさえ拒絶するところも多い。
やはりここは聖域、人智を越え崇敬された土地である故に、人間の浅はかな手が加えられないのであろう。



やはり今回も3年前と同様に、天候には恵まれず、ほとんど視界0であった。
山頂の最先端の絶壁の淵に立ち、遠くを見渡せども、薄青を滲まさせた灰色の霧が、溢れるように流れてゆく。
山頂には想像をしていたよりも、たくさんの人たちが訪れていた。

若い女性の4人組も、元気に絶壁の岩場に立っていた。
ここへは何度か来ているみたいで、今日はパノラマの景色が見られなくて残念だと話していた。
もしかしたら、筑波大学の学生かもしれないなと、勝手に想像した。


晴れていれば関東平野を望み、彼方には富士山さえ眺めることが出来る。
だがこの濃霧では、山頂から見えるのは、幻想的な灰色の世界だけ。
一休みの後、山頂に別れを告げ、来た道を戻ることにした。


見下ろせば、やはり階段はかなりの急斜面。
足元を確かめながら、注意しながら降りる。
そして、ごつごつした岩石の道を、ゆっくりと下る。
 
やはりくだりの戻り道は、上りに比べかなり楽である。
今自分がどの位置にいるのか認識できるし、あと何分ぐらいで、出発点に戻れるのが分かるのが心強い。
やはり深い霧はいっこうに晴れ上がることはないが、一瞬、思い出したように霧が切れ、強い陽光が差し込む。
 
しかしそれも束の間、霧が再び流れ来て、辺り一面を幽趣に満ちた世界に変えて行く。
下りの道は冷やりとした冷気が包み、約270メートル下にある、宮脇駅と比べると、かなりのお温度差があることが分かる。
帰りの道の所要時間は、上りに比べれば、
5分以上は短いだろう。
 
やがて山頂駅前の広場に到着した。
広場には人影はほとんどなく、土産物屋さんやお休み処も閑散としていた。
前方の山頂駅前には、屋上に展望台がある、3階建て12角形をした建物が、殺風景さを際立たせていた。
1階の土産物売り場を通り、2階のレストランへ、螺旋階段を上る。

 
360度ガラス張りで広々としたフロアーに、2組のお客様がいた。
生ビールを飲みながら、広場を見渡せば、やはり人影はなく寂しげな風情。
流れゆく深い霧に抱かれながら、建物が見え隠れする。


一休みした後、男体山の登り口にある筑波山山頂駅へ戻り、下りのケーブルカーを待った。
やがて改札が始まり、ケーブルカーに乗り込む。
最前列の右の席には、熟年の女性が2人座り、左の席には子供ずれの家族が出発を待っていた。

 
 
やがて発車の合図と共に、ケーブルカーの扉は閉まり、ごとごとと音をたてながら下り始めた。
上りに比べると、前方に伸びる線路の傾斜は、緩やかに感じられる。
やはりすでに見た景色なので、慣れが驚きと発見を薄れ薄れさせているのであろうか。

 
 
下るに従い霧は切れ始め、前方彼方に、関東平野が青空の下に広がっていた。
右手左手の車窓からは、萌えるような新緑が、初夏の輝きを見せている。
すると前方から対向車が姿を見せ、茜色のケーブルカーがすれ違って行った。
 
そしてがったんごとごと、がったんごとごとと、線路にのんびりとしたリズムを刻みながら下る。
青い空はますます大きく広がり、関東平野が眩しい程に、青空を滲ませ、霞みながら近づいてくる。
そして終点の宮脇駅が小さく現れ、だんだんと大きくなり、やがてゆっくりとケーブルカーは停まった。