小さな旅&日記
茨城県潮来市「前川あやめ園」を訪ねて
2011年6月19日


日曜日の早朝、水郷で名高い潮来へ出かけた。
そこは東京から約80キロ北、茨城県南東部に位置し、水郷筑波国定公園にも指定されている。
このところ愚図ついて、肌寒い天気が続いていたが、今日は何とか雨天は避けられ、どんよりと重たい曇が垂れ込めていた。

潮来市に入り、アヤメ園へ行く道を間違え、市街地の新興住宅街に入ってしまった。
すると新興住宅街の風景は一変し、異様な姿を晒していた。
道路はデコボコに波打ち、道路わきの電柱は、見渡す限り傾き、電線は撓んでいた。

東日本大震災による、土壌の液状化現象が広がっていた。
その地震の凄まじさの片鱗を見て、東北地方の被災地の惨状の激しさを、目の前に広がる光景を見て、改めて認識した。
やがて道に迷いながらも、例年6月10日が見頃と言われる、目的地「前川あやめ園」に到着した。
 
少し離れた所にある、市営の無料駐車場に車を置いて、8分程歩くと、「前川あやめ園」の入り口に着いた。
見渡せば花菖蒲の花々が咲き、観光船を浮かべた一級河川の前川が見える。
階段を降りると、色とりどりのたくさんの花菖蒲が、私たちを出迎えてくれた。

 
 
江戸時代の潮来、縦横に張り廻らされた水路(江間)には、奥州諸藩から齎された、様々な物産を運ぶ船で溢れていた。
この地の水運の利を生かして、千石船に積まれた物産を、ここで高瀬舟に積み替え、江戸へ運ぶ中継地点としておおいに栄えた。
川には大小の荷船が行き交い、遊郭や引手茶屋なども犇めき、その賑わいと繁栄を求め、江戸からの来訪者も退きも切らなかった。
 
 
すでに園内には花菖蒲を愉しむ人たちが散策し、散策路脇の土手には、屋台が店開きをしていた。
細い散策回廊を進むと、梅雨に濡れた花菖蒲の花が、紫の花弁を輝かせていた。
さすがに今が見頃、園内のほとんどの花菖蒲が開花していた。
 
 

かつて水運の繁栄を誇った前川には、観光船やサッパ舟が往来し始めた。
薄茶色の漕ぎ衣装に身を包んだ、若い娘船頭がゆったりと櫓を漕いでいる。
顔には笑みを浮かべ、楽しげに漕ぐ姿に、娘船頭の弾ける若さが眩しい。

 
そして紺の股引に腹掛姿の年季の入った男船頭、威風に満ちて櫓を漕ぐ姿に、古き時代を偲ぶ。
まだ河岸には、たくさんの舟が繋がれている。
その舟たちが全て動き始めると、さぞや前川は、賑やかに行き交う船で、溢れることであろう。

 
 
巧みに漕ぐ櫓に揺られながら、観光客を乗せたサッパ舟は、水面を滑って行く。
時折差しこむ朝の陽光に、水面のさざ波がきらきらと、波紋を描いて行く。
そして船と船が行き交わす時、船頭さん達が、笑顔の挨拶を交わし合う。

 
風もない穏やかな一日、舟遊びを愉しむ人々の顔にも、笑みがこぼれている。
手漕ぎの舟が、微妙に右に左に揺れながら、川面を撫ぜるように滑って行く。
その時、懐かしい川の匂いがふくれあがり、舟上の観光客を包み込む。

 
これまでに、東京の葛飾区にある堀切菖蒲園、明治神宮の菖蒲田、東村山にある北山公園の菖蒲園に出かけたことがある。
それぞれに丹精込めて造られた菖蒲は美しかった。
しかし、潮来のアヤメ園は、舟が行き交う川辺にあり、水辺の景色と調和した、日本的な風情に溢れていた。

 
 
 
色鮮やかに咲きにおう花菖蒲を訪ねる人々が、時間と共に溢れて来た。
紫、白、そしてぽつりと黄色い花が、すらりと伸びた緑の茎の先に、凭れるように垂れ下がっている。
花芯には、鮮やかな放射状の黄色い文様が伸びる。

 
 
 
遡れば、この花菖蒲の大輪を咲かせるために、500年にのぼる栽培の歴史があった。
日本の菖蒲の原生種である、野花菖蒲に改良を加え続け、誕生させたのが、現在の花菖蒲である。
花を愛する人々の、努力の結晶が、目の前に広がる花菖蒲の群生なのであった。

 
 
散策路を歩いていたら、路の傍らに紫陽花の花が、遠慮がちに咲いていた。
主役の花菖蒲の影になり、ひっそりと慎ましい佇まいを見せていた。
さらに進むと小さな池があり、小さな蓮の花が咲いていた。

 
午前の10時前だと言うのに、すでにアヤメ園は見物の人たちで、賑わいを増している。
咲き誇る菖蒲の花を跨ぐように、趣のある木橋が架かり、曇り空を背景にして浮き出していた。
やはり、今回の大地震のせいなのだろうか、橋は閉鎖されていた。

 
橋の下を潜り、花菖蒲に包まれた散策路を進むと、遊覧船乗り場の前に辿り着いた。
乗船口には、藍色の生地に菖蒲を染め抜いた、浴衣姿の女性が2人、乗客を迎えていた。
やはり日本の花の花菖蒲には、涼しげな浴衣姿がお似合いだ。

 
花菖蒲と浴衣姿は、浮世絵の世界を彷彿とさせる。
そして下れば、竹下夢二の世界にも出てきそうな趣がある。
最近はちょっとした浴衣ブーム。
 
夏になれば、花火見物に浴衣姿で出かける、若者達も増えている。
日本伝来の着ものを愉しんでくれるのは嬉しい。
が、浴衣姿に靴などを履いている姿には、そのちぐはぐさに、思わず微苦笑をしてしまう。

 
遊覧船の乗船口の前、笹沢左保の小説に登場し、演歌歌手・橋幸夫の「潮来笠」で有名になった渡世人、
潮来の伊太郎の、凛々しい旅姿の銅像が建っていた。
そしてその銅像を背景に、たくさんの人たちが記念写真を撮っていた。
 
さらにはその横に咲く花菖蒲に、カメラを向けるたくさんの人たちが、同じ格好でシャッターを切っていた。
遊覧船乗船口の辺りに、多くの人たちが往来し、潮来を染め抜いた法被を着た、花菖蒲園の関係者の男女。
お祭りや祝いごとには、法被は粋で晴れやかで、楽しさが溢れる。

  
 
遠く眺めれば、花菖蒲を愛でる、緑に包まれた東屋が見える。
長椅子に座り、のんびりと花菖蒲に見いっている。
いよいよ人出は増し、真剣に花菖蒲にカメラを向ける人たち。

 
最近、花の名所に出かけると、何処に行っても、たくさんの人が押し寄せている。
私たちもそんな花見族の1人なのだが。

そして高級機種のカメラを携え、シャッターチャンスを狙う、中高年の人たちを散見する。

時には、私などよりもさらに歳を重ねた人たちも多く、カメラの機材を担いだ、老年の女性カメラマンも多い。
やはり、現代は若い女性から老女まで、元気に活動する女性の時代なのだろう。
足取りも軽く、重い機材をものともしないで、ひたすらに被写体に向かって、シャッターを切っている姿は感動的でさえある。

  
前川に眼を移せば、川舟はさらに増え、先ほどに比べると、乗舟客も満舟状態である。
対岸の景色を眺めながら、ゆったりと笑みを浮かべながら、川の流れに任せるように進む、遊覧を愉しんでいる。

夏の訪れを待つ水郷は、花菖蒲に色めき、川水は温るみ、長閑な風情を見せている。
  
私たちも花菖蒲園の真ん中に位置する、花菖蒲に包まれた東屋に行く。
生憎席は1つだけ空いていて、ママがそこに座り一休みをした。
白、薄紫、濃紫、緋紫の花菖蒲が、時折降り注ぐ陽光に輝いていた。
 
そして見る者へ囁くように、寄り添うように優しく咲き匂う。
すると、そこへ三度笠姿を被り、股旅姿の小柄なおじさんが登場した。
手にする広告用の印刷物を撒きながら、にこにこ顔で通り過ぎて行った。
 
さすがにあやめ祭りのシーズンには、毎年、50万人の来園者たちで賑わうと言う。
昭和51年4月に開園した、前川あやめ園には、約500種類、100万株の花菖蒲が鮮やかに咲き誇る。

今日は見頃と、潮来市広報に紹介されていれば、当然のこと、多くの観光客で溢れる。
 
園内には、演歌歌手の花村菊枝さんの「潮来花嫁さん」が流れ、あやめ祭りの情趣をさらに醸す。
すると園内放送で、嫁入り舟が11時に始まると紹介された。
次の目的地の筑波山へ、出かける予定を変更し、嫁入り舟を見学することにした。

 
園内を通り抜け、広い道路に出て、橋を渡り、寂しげな市街地を歩き、あやめ園の対岸で待機することにした。
すでに川べりには、多くの見物客が陣取っていた。
そして嫁入り舟を、川から見物する観光客の乗る舟が、次々に河岸に並び始めた。

 
正面の遊覧船乗船口に接岸された、嫁入り舟へ続く階段には、緋毛氈が敷かれた。
船頭さん達はすでに準備万端。

花嫁が到着するのを待っている。
 
定刻より少し遅れて、嫁入りページェンが始まった。
あやめ園の川べりの散策路を、長持ちを担ぎながら、白い半纏に、股引姿の青年が先導する。
その後を紋付羽織姿の父親が、厳かに続き、数メートル置いて、白い角隠を被り、白無垢の花嫁衣装に包む、新婦がゆっくりと進む。

 
 
そしてその後方を、黒の留袖姿の母親が、花嫁を見守るように歩む。
多くの人々が見守る中、遠目にも緊張していることが伝わる。
距離にして100メート位はあるのだろうか、ゆったりと流れる時間と共に、遊覧船乗船口に消えた。

 
やがて長持ちを担いでいた船頭が、乗船口から登場し、サッパ舟の前頭部に長持ちを置く。
続いて新婦の父親が現れ、船着き場に係留された、サッパ舟の後部に乗りこみ、それに続き母親が乗り込んだ。

そして今日の主役の花嫁が、船頭の介添えを受けながら、凜とした気韻を漂わせながら、ゆっくりと舟に乗りこむ。
 
すべての準備も整い、船着き場から舟は放たれ、船頭が船の櫓をゆっくりと漕ぎ始めた。
滑らかに櫓は漕がれ、川面を緩やかに、滑るように進んでいく。
この時、今までの曇り空が嘘のように、空から強い陽光が降り注ぐ。

 
前川の両岸で見物する人達から、祝福の拍手が沸き起こった。
そしてあちらこちらから、おめでとう! の声が花嫁に掛けられた。
その時、年配のおじさんが一声、「これからが苦労の始まりだ!」

 
 
見物人たちは、そのユーモア溢れる声を聞いて、どっと笑った。
緊張していた花嫁の頬に赤みも差し、口元に笑みがこぼれた。
そして少し照れくさそうに、右手を少しあげ、手を小さく降った。

 
 

 
嫁入り舟は陽光に煌めく川面に、小さな波紋を残しながら、ゆっくりと滑らかに進んでいった。
舟の先頭の船縁には、お神酒と米俵が置かれ、寿の朱色の文字も眩しい。
そして、見物人が居並ぶ川を、しっかりと歓びを噛みしめる花嫁さんを乗せ、嫁入り舟は遠ざかっていった。