2011.01
小さな旅&日記


ゆったりのんびり秩父で正月
2011年1月2日-3日


今年の正月も、秩父でゆったりのんびりと過ごした。
元旦の翌日の2時頃、秩父川端温泉「梵の湯」へ出かけた。
天気は良好、長閑な山里の小鹿野町を抜け、秩父市皆野町小柱、川端温泉卿へ到着したのは2時半頃だった。
さすがにお正月、何時もは空いている駐車場に、半分ほどの車が埋まっていた。

正面玄関へ行くと、自動の玄関が開き、広い玄関ホールが迎えてくれた。
1日券を購入し、大浴場へ向かう。
ここの温泉に来るのは3回目だろうか。
最近、秩父にはたくさんの日帰り温泉が出来ている。

皆野にある「満願の湯」。
ここの湯は、微かに硫黄の臭いがする。
川沿いの露天風呂からは、日野沢川の清流が眺められ、正面には小さな滝が流れ落ちる。
さらに、秩父郡両神村にある「薬師の湯」は、山間の里に包まれるように建っている。
ここの湯はさらりとして、湯味のきめ細かさが格別である。

そして、三峰神社に向かう、山深く、谷が切り立ち、断崖に張りつく様に走る国道140号を進むと、大滝村に到着する。
荒川の上流の水は澄み、檜の森に抱かれて、道の駅「大滝温泉」はある。
露天風呂から眺める、荒川を包むように広がる紅葉は見事であった。
湯は透明であるが、つるつるすべすべし、湯温は少し熱めだが、身体の芯まで沁みる。

そして、日本国内最高級の重曹泉と言われる「梵の湯」は、微かに色をなし、つるつるぬるぬると、心地よく身体を撫でさすってくれる。
湯船の中は、入湯客も少なく、広い湯船でゆったりと湯味を愉しむことが出来た。
一面の大きなガラス越しに、常緑樹の生垣の向こう、冬木立の欅の木の、針のようにとげとげしい梢が、青空に光っていた。
空は高く、水色に広がり、白銀色の綿雲が、ゆっくりと右の方に流れ、悠久の時を刻んでいた。
生垣越しに荒川を望めば、陽光を浴びた川面が照り返り、緩やかに流れていた。

大浴場を出て、扉を開けて露天風呂へ行く。
荒川の石で造られているという、12人位で一杯になろうかという露天風呂は、透明で癖のない湯味である。
きっと、大浴場とは源泉が違うのだろう。
湯船に浸かっていると、荒川の瀬音が、微かに伝わって来るような気がする。

大浴場の前の木々が、微かな風に吹かれ、常緑の木々の葉が微妙に揺れる。
やがて、遠くから、秩父鉄道の列車が、通過する音が響いて来た。
殆ど音のない世界、湯桶から落ちる湯の音が響くくらいの静けさ。
湯に浸かる人達も、長閑な景色を眺めながら、無言で湯味を愉しんでいた。

大浴場のつるつるの湯味も恋しくなり、また戻り、外の景色を漫然と眺めていると、やがては陽も陰りはじめて来た。
木々の影も長く、さらに陰翳を深くしていく。
空の水色は灰色を帯びはじめ、真綿のように耀いていた雲も色を失い、やがては灰色に変わって来た。
風も幾分強くなり、木々の樹さえ揺れ、枯れ葉一つない梢は、右に左に大きく揺れている。

やがては、陽は落ち、小高い山々の山稜に残光を残しながら、空は一瞬の金彩に染まり、暗い闇を迎え始めた。
夕刻の5時、山里は漆黒に包まれ、遠くで犬の遠吠えが聞え、塒に帰ったカラスの啼き声が寂しげに響く。
大浴場を出て、露天風呂に浸かり、湯からあがり休み、そしてまた湯に浸かること、約3時間半。
なんとも、正月の2日、豊かな安らぎの時を過ごさせてもらった。


翌日、小鹿野町長留を2時半頃に出て、秩父神社に向かった。
朝の明るい陽射しは何処へ行ったのやら、昼過ぎからはどんよりとした曇り空。
陽が落ちれば、秩父はやはり寒さが沁みる。
小鹿野町の山里を抜ける街道から、ミューズパークに抜けると、途中、随所に見晴らしの良い展望台がある。
 

望めば、彼方に雄大な山容を誇る秩父の象徴武甲山が、右手に望める。
そして、左手には、荒川に掛るハープ橋の流麗な姿が目に映る。
ハープ橋を渡れば、そこは秩父市内、いまだ12月3日の秩父夜祭りの余韻も残るようだ。
真っすぐ進めば、秩父駅に繋がる秩父地場産センター、そこに車を置いて、秩父神社にお参りに出かけた。
幸いにもこの頃になると、陽が射していた。

 
カメラと三脚を持ち、3分程で秩父神社の大鳥居前に到着した。
最近は、神社仏閣を訪ねる時、陽の高い内にお参りすることにしている。
陽が落ちた境内には、明らかに、陽射しの強い時とは違う、マイナスの気が漂っている。
午前中か、陽が高い内に参詣すると、境内には清々しく、霊妙な気に満ちているような気がする。

 
参道の両側には露店が出て、正月に華やぎを添えている。
それにしても、露店の数が年々少なくなっているような気がする。
やはり、祝日や祭りには、テキヤさんの露店が華を添える。
何処か怖そうな面立ちながら、意外に明るく気さくなお兄さんの作る、決して上等とは言えない料理やお菓子を食べるのも愉しい。


 参道を進むと、左手奥の舞殿で、神楽が上演されていた。
秩父市荒川白久地ににある、秩父市指定無形民俗文化財「神明社神楽」のようだ。
この神楽は、安政初年の事、上州新町に住む徳丸氏により、この地区に伝えられたと言う。
もともとこの地は歌舞伎が盛んだった処。
 
 
 
徳丸流神楽に歌舞伎の要素も加えれれ、さらに伊勢神楽にも影響を受けた特徴ある神楽である。
神楽の所作は歌舞伎的手法を取り、分かりやすく、人間的でもあるとも言われている。

大太鼓、小大子や笛のお囃子に合わせ、次から次に、お面を被って、刀を腰に下げ、時には刀を振り回す益荒男が登場する。
そして、舞台上で、刀を頭上にかざし、舞うように優雅に切りかかる剣舞。

  
  
どうやら、3人の神々が戦い、そして後に和解すると言う話のようだ
代々伝わる伝統芸能を、村や部落の古老が守り伝え、若者たちがそれを継承する。
その地域の住民たちが一丸となり、年に何度か上演される芸能を支えることにより、地域の繋がりの密度は濃くなる。
かつて、日本の津々浦々に、伝統芸能が存在し、寒村僻地においては、数少ない
季節を寿ぐ愉しみであった。
 
新年を祝う神楽を観た後、秩父神社の朱色の楼門を潜り拝殿へ。
正月3日の昼下がり、参拝客は少なかった。
お賽銭をあげて鈴を鳴らし、両手を合わせる。
拝殿の中にはたくさんの人が座り、神妙に宮司おさんの祝詞に耳を傾けていた。



参拝を終わり、何時も買い求める干支の破魔矢を、社務所で購入する。
かつては、破魔矢の矢を下に向けて飾っていたが、日光の東照宮に行った時、
僧侶の講話の中で、破魔矢の矢の正しい方向を教えていただいた。

矢は上に向けて放たれ、空を切るように飛んでいく。
運気も上向きになるようにと言う思いから、矢の方向は上向きが良いと。
下向きの矢では、運気は落ちるということなので、その時以来、矢の方向を上向きにしている。




破魔矢を頂いて、ぶらりと拝殿を一回りすることにした。
拝殿の四方には、たくさんの彫刻が施されている。

今日はまだお酒も入っていないので、社殿に施された彫刻を、じっくりと鑑賞することにした。

かつて、秩父神社から程ないところにある秩父札所15番少林寺近くに、「天ヶ池」という池がありました。
その池には龍が棲みついていた言う。
そして、時にはその龍が、池で暴れることも度々。


だが、不思議なことに、龍が暴れた時には、何故か左甚五郎作の青龍の下に水溜り出来ていた。
そこで、青龍が動けぬようにと、鎖で繋いだところ、池の龍は現れなくなったと言う伝説が残っている。
古来、日本では、四方位に朱雀・玄武・青龍・白虎の神使が守っていると信じられている。

秩父神社の社殿の東北の鬼門を守護するために、つなぎの龍が彫刻されたのである。

そしてさらに後ろに回ると、そこには「北辰の梟」が天井近くから、愛嬌ある顔で、真っすぐに正面を見ている。
身体は社殿の方に向いているが、顔は正反対の真北を向く不思議な姿勢だ。
秩父神社の祭神の妙見様がいる、北辰北斗の方角を見据えているのである。
梟は古今東西、智恵のシンボルであり、秩父神社の祭神も智恵の神様・八意思兼命(やごころおもいかねのみこ)であることより、
社殿北面に施されたもののようだ。


さらに回って、社殿の西に行けば、「お元気三猿」が愉しげに遊んでいる姿が彫り込まれていた。
日光東照宮と同じく、徳川将軍家縁の秩父神社の三猿は、人間の元気な命を司るとされる妙見信仰による、
「よく見、よ、く聞いて、よく話そう」と言う語りかけは、
古来の庚申信仰に基づく日光東照宮の「見ざる、言わざる、聞かざる」と対照的であった。


秩父神社の天井下の軒には、愛嬌があり、ユーモアたっぷりのたくさんの彫刻が施されていた。
軒下の壁面はさながら鳥獣戯画の絵巻物。
波に乗る仙人がいれば、相撲をとる褌姿の力士もいる。


そして、拝殿正面に回れば、壁の左手には、金彩を施された、左甚五郎作と言われる「子宝子育ての虎」があった。
徳川家康が寄進した秩父神社の拝殿の虎には、或る意味が隠されている。
それは、徳川家康は虎の年、虎の日、虎の刻に生まれたとされる。

つまり、家康の威厳を象徴し、秩父神社の祭神を守護する神として、彫り込まれたものなのである。
さらに、江戸時代の御用絵師・狩野派の描法において、虎の1群には、必ず1頭の豹が描かれる。
そのために、狩野派の定法を取りいれ、母虎を豹に変えていると言う。


すでに、時刻は午後の3時半過ぎ。
正月3日、うららかな陽も傾き始め、秩父神社の境内にも冷気が増してきた。
車に戻り、何時も立ち寄りる酒屋さんで、純米吟醸秩父錦を購入した。
そして、秩父の象徴・武甲山に別れを告げ、美山錦を50パーセントに磨いた、ふくよかな酒を、ゆったりと愉しみながら帰ることにする。