奥日光、竜頭の滝、戦場ヶ原、湯滝&湯元を訪ねて
2010年10月17日(日)ー18日(月)

 
今年もまた紅葉狩りの季節がやって来た。
だが、いざ何処へ出かけるかと考えて見ると、なかなか場所が思いつかない。
竜頭の滝の紅葉 
そして、紅葉狩りの見頃に、ぴったりと照準を合わせるのはさらに難しい。
そこで、今年は奥日光に出かけることに決定した。
 
予約したのは10月24日の奥日光の湯元温泉。
奥日光でも最北に存在する標高1900メートル、人口900人の小さな町にある、源泉100%の宿であった。
 
ところが、先週の初めの日、テレビで、奥日光の龍頭の滝の紅葉が見頃であると紹介されていた。
そこで、宿に連絡し、宿泊日の変更を頼んだら、幸いに1部屋だけ空いており快諾してくれた。
 
そこで急遽、奥日光の旅を1週間早めた。
旅行の当日は天候も良好、東北道を北上して進む。
瀧見台からの眺め  
日光ICで降り、日光宇都宮道路を進めば、高度が上がるとともに、道路に表示された温度計の表示は下がる。
東京を出る時、半袖に薄い上着で良いと高をくくっていたが、長袖に冬のブレザーで正解であった。
竜ずの滝観曝台にて 
旅先で風邪をひいては、笑い話にもならない。
やがて日光市街に出るが、早朝の7時半、ひっそりと人影もなく死んだように静かであった。
 
門前町も、早朝とあれば、店の門は閉ざされ、道を歩く観光客もいない。
市街地を通り抜け、2年前に訪れた、東照宮の門前を抜けて、中禅寺湖へ向かう。
竜頭観音
旅とは面白いもので、1度訪れたことのある場所には、不思議と懐かしさと親近感をおぼえる。
日本ロマンチック街道と言われる国道120号を進み、二荒神社の前を通り過ぎる。
さらに進めば、いよいよ、、日光の難所、いろは坂へ入る。
竜頭の滝落ち口への上りの散策道からの眺め 
進むにつれ、次々につづらの急峻な坂が、いろはがるたの程につらなる。
さすがに日光、この時間だと言うのに、坂を上る車が多いのに驚かされる。
 
やはり、今は紅葉狩りの季節。
車の渋滞を避けて、早朝の間隙をついて、出かけようとの思いは同じなのだろう。
 
車の鈍いエンジン音を聞きながら進むに従い、益々坂は険しくなる。
遥か眼下には、通り過ぎてきた山々の景色が、谷間のように広がる。
 
だが、いろは坂はまだまだ紅葉狩りには遠かった。
あと2週間後くらい、見所には時間がかかりそうだ。
少し不安がよぎった。
本当に、奥日光は紅葉なのだろうか?
 
道はさらに険しく、そして、曲がる角度も鋭くなる頃には、頂上にあたる明智平展望台に到着した。
驚いたことに、展望台前の駐車場には、車がびっしりと停車していた。
 
さらに進み、長い明智平トンネルを抜ければ、中禅寺湖は目の前である。
前回は、丁字路を右に折れて、すぐの所にある華厳の滝駐車場に車を停め、華厳の滝と中禅寺湖に出かけた。
 
今回は、中禅寺湖を左手に、右手に、優麗な男体山を見ながらさらに進む。
そして、国道120号をひたすら進む。
 竜頭の橋からの眺め
今度は男体山を正面に見ながら、目的地の竜頭の滝へ向かう坂を15分程進むと、目的地に到着した。
驚いたことに、駐車場は一杯であり、本線からそれた道路にも車が停められていた。
その空いた所に車を置いて、竜頭の滝へ出かけた。
竜頭の滝落ち口 国道120号に掛る竜頭の橋
道路には、横断する人達のために、誘導員まで出ていた。
そして、竜頭の滝へ進めば、そこには橋が掛り、紅葉した木々の間から、彼方に竜頭の滝が見えた。

橋には、たくさんの人が、所狭しとカメラを構えていた。
さらに進み坂道を僅かに上れば、そこは土産物と軽食屋も兼ねた観曝台があった。
竜頭の橋の標高 
正面に、紅葉に包まれた優美な竜頭の滝が見える。
竜の頭に見たてた岩を支点にして、右と左に滝が優美に落ちている。
 
この滝も、小学校の修学旅行でみているはずなのだが、微塵の記憶もないから驚きだ。
人間の頭脳、記憶するものと、忘れて良いものを、それなりに整理整頓しているのだろうか。
 
滝を正面まじかに見渡す観曝台には、たくさんの見物人が居り、竜頭の滝を背景にして、それぞれにポーズをとって撮影に興じていた。
さすがにこの時間、観曝台の中のお店で、食事を摂る人もいなかった。

どうやら、今日は天気には恵まれているようだ。
次の目的地に移動する戻りの道、ふと観曝台を出て見やれば、隣に小さなお堂があった。
下りの散策道からの眺め 
お堂があれば、有名無名を問わず、お参りするのが私の主義。
お賽銭を上げ、鰐口を鳴らし手を合わせる。
 
すると、お堂のすぐ左手に道があった。
さらにその道は、滝に沿って長く長く続いていた。
戦場ヶ原の無料駐車場 
竜頭の滝へ流れ落ちる、水量も多い湯川、きらきらと輝く清流沿いのなだらかな石段を上れば、見所満載であった。
野次馬根性はこんな時に役に立つ。
 
あの堂宇の横の細い道に気がつかなければ、この絶景を見落としたことだろう。
それぞれの観曝ポイントには、大勢の見物人が溢れていた。
戦場ヶ原の標高 高層湿原の草紅葉
それにしても、最初の観曝台で見た景色と、かように違うものなのか。
華麗で雅な滝の上流は、激しく逆巻くように、急流となって流れ落ちてゆく。
 
さらに階段を上り行けば、先ほどまで走って来た国道120号に出た。
そこには竜頭の橋が掛っており、右手前方には、大きな無料の駐車場があり、やはり満車状態であった。

テレビでの放映とは、こんなにも影響力があるのだろうか。
そういう私たちも、その情報で急遽、計画を切り上げたのだが。
?オオキの実 
橋から眼下に見下ろす湯川は激しく迸っているが、紅葉の色彩が優美さを演出していた。
そして、上って来た階段を降りる頃には、さらに賑わいを増していた。
 
景色とは不思議なもので、上る時に見たものと、下りに見る景色は味わいが大いに異なる。
上りと下りで、2度も愉しい観賞が出来るのだ。
 
そして、先ほどのお堂に着いた頃には、うっすらと汗が滲んでいた。
堂宇の細道を抜け、先ほどの駐車場に到着した頃には、さらに車で混雑していた。
 
そして、120号の坂道を上って行き、先ほどの橋を渡り、朝日を浴びた山々を眺めながら進む。
やがて、15分程で、第2の目的地、標高1947メートルにある戦場ヶ原に到着した。
 
広い無料の三本松園地駐車場があり、すでに車で一杯であった。
駐車場を一回りして、やっとのことで駐車が出来た。

駐車場に面した土産物屋さんも、そこそこに賑わっていた。
駐車場から、道路を渡れば、その先に高層湿原で有名な戦場ヶ原が果てしなく広がる。

遊歩道を少し歩くと、戦場ヶ原を見渡す展望広場があった。
正面になだらかなに裾野を広げた山が構え、一面の殺風景な平原が広がる。
 
戦場ヶ原とは、てっきり、歴史上の古戦場かと思いきや、実は神話の世界であったのだ。
遠い遠い昔の話。
  
男体山と赤城山が、中禅寺湖の所有権を巡って争ったのだ。
男体山は大蛇となり、赤城山は百足になって、この戦場ヶ原で、壮絶な戦いを展開したと言う。
湯滝落ち口への急峻な上り階段 
展望広場のベンチには、前方に広がる雄大な高層湿原の草紅葉を、のんびりと眺める人達。
カメラを構えて写真を撮る人々。
 
空は青く、陽光は燦々と降り注ぎ、吹き寄せる風も柔らかい。
ここを起点に、果てしなく広がる戦場ヶ原の遊歩道を探索する、リュックを背負ったハイカーもたくさんいた。
 
心地よい空気を吸い込んで、駐車場に戻る。
売店の中に入ると、色々な土産物の試食品が並べてあった。
湯滝の落ち口の奔流 
ママは、あれやこれや、楽しそうに試食をしている。
早朝、まだ食事をしていないので、意外に腹の足しになるもの。
私は美味しそうな地酒「純米吟醸無ろ過菜生原酒・姿」を購入した。

そして、車に戻り、次の目的地の湯滝に向かった。
荒涼とした戦場ヶ原を左手に見ながら、真っすぐ直進すると、上りの道に変わる。
さらに15分程120号を上り行けば、目的地に着いた。
紅葉の湯ノ湖
ここだけは、駐車料金410円の有料であった。
だが、駐車場代ではなく、環境保護と整備のための基金という名目の料金だった。
駐車場代だと思うと、こんな所でどうして有料なのだと苦言の一つも言いたくなるが、環境保護なら喜んで、どうぞと思うから不思議なもの。
 
車を置いて、湯滝へ向かうと、遠くから滝の音が轟いてくる。
少し歩くと、観曝台があり、その正面には、想像を絶する壮大な景色が開けていた。
 
落差50m、幅25mの湯滝は、実際の数字以上に勇壮で豪快であった。
滝壺には止めどなく大量の水が流れ落ちる。
 
見上げれば、水煙を上げながら、そして飛び散る飛沫は観曝台にまで吹きつけて来る。
その流れ落ちる水量は、激しく怒涛のように落下している。
 
観曝台の右手横には、滝に沿って上りの階段があった。
見上げれば、かなりの急峻な階段、下りの人達も降りて来る。
 
一歩一歩確かめるように上れば、左手の木の間越しに、湯滝が豪快に流れ落ちる。
滝近くの側面から見る湯滝の水量の豊富さと、その落下する速度の速さに、改めて感動する。

標高差は50メートルほどの階段なのだが、かなりの角度で上るからなのだろうか、かなりの運動量に思える。
やがて、階段を上り切ると、先ほど上って来た、国道120号に出た。

そこが滝の落ち口であり、大勢の人が落ち口を眺めていた。
遥か下を見渡せば、滝壺の前の観曝台が小さく見える。
 
湯ノ湖から、果てることもなく、溢れるほどに、陽光に照らされ耀きながら、清流が落下して行く。
見続けていると、流れの中に呑みこまれ、水流と共に流れ落ちるような錯覚に、眩暈を覚えるほどだ。
湯ノ湖散策道の橋にて 
そして、湯滝の落ち口へ流れる川を辿れば、すぐそこに湯ノ湖があった。
滝の激しい躍動とは、まったく異なる、静謐な世界が展開していた。
 
すでに、紅葉は終わっているのだろうか?
想像していた程に、湖を囲む山々の紅葉は、華やぎに欠けていた。
 
だが、湖は陽光に照らされ、微かに碧を帯びた青色に染まっていた。
その湖面には水ドリ達が、ゆったりと波紋を描きながら泳いでいた。
 
湖に掛った朱色の太鼓橋を渡り、湖岸の雑木林を散策した。
遠い昔、三岳火山の噴火により、流れ出た溶岩が湯川をせき止めて出来た湖だ。
 
日光白根山の白根沢から流れ出した水と温泉が流れ込む、最大水深12メートルの浅い湖。
面積は0.32q、周囲の長さは2.8qで、標高は1475メートルに位置する。
湯ノ湖散策道 
湖岸の散策道を歩くと、逆方向から歩いてくる人達とすれ違う。
周囲2qの湖岸を、すでに、散策しているのだろう。

雑木林の中、広葉樹の葉はすでに枯れ落ちており、僅かの名残の紅葉を愉しんだ。
湯ノ湖を1周するには、約1時間はかかると言う。

散策道を途中で引き返し、左手に湖を眺めながら、枯れ葉の積もる土の道を、踏みしめながら歩く。
そして、朱色も眩い木橋を渡り、湯滝の落ち口に戻った。
湯ノ湖一周の散策道 
途絶えることもなく、鈍い音をたてながら落下する湯滝の激流。
日光三滝の華厳の滝、竜頭の滝、そして湯滝。
それぞれに美しい滝であるが、迫力から言えば、この湯滝が最高であろう。

先ほど上って来た階段を降りれば、彼方下まで階段は続いている。
だが、上りと下りでは雲泥の差である。

右手に湯滝の奔流を眺めながらの下り道は愉しい。
狭い階段は、上り下りの人達で賑わっていた。
やがて、観曝台まで戻り、土産物屋さんを覗いて、駐車場へ戻った。
湯ノ湖散策道に掛る橋
駐車場の誘道係の人と話したら、やはり、湯滝の紅葉は、1週間前に終わったと教えてくれた。
言われてみれば、地面には赤茶けた枯れ葉が敷き詰められていた。

そして、駐車場を後に、最終目的地の湯元温泉に向かった。
上りの道を進めば、先ほど来た湯滝の落ち口と湯ノ湖。
湯滝落ち口からの帰り道
さらに湖岸沿いを進むと、湯元温泉があった。
旅館のチェックインにはまだ時間は早かった。
無料の駐車場に車を置いて、湯ノ湖沿いの散策道を歩く。
 散策道から見る湯滝
同じ湯ノ湖であっても、先ほどとは景色が違うから面白い。
山に抱かれた湯ノ湖は、陽光に輝き、湖面には山が逆さに映っている。
まさに、湖は静謐にして、幽玄ささえ湛えていた。
湯滝観曝台
湖岸に建つレストランで休むことにした。
湖を見渡す席に座り飲む生ビールは、喉元を濡らし、するすると食道から胃の腑へ沁みる。

湖面を眺めれば、何隻かのボートが浮かんでいた。
早朝からの旅も何事もなく無事に終わった。
湯ノ湖湯元温泉唯一のレストランからの眺め 湯ノ湖湖畔風景
そして、1時間ばかり時間を潰して、旅館にチェックインをした。
そこは、かつて240年前、日光輪王寺より、湯元温泉の湯の管理を司る湯守の任を賜った、由緒ある宿だった。
 
標高1478メートル、人口900人の小さな奥日光の湯元にある旅館「湯守釜屋」、輪王寺の元を離れ、この地へ移って、明治元年に創業した。
3本の自家源泉を持つ、湯量豊かな掛け流しの宿だった。
 
記帳を済まし、エレベーターで、4階の部屋へ案内された。
広い窓から見渡せば、目の前に足湯「あんよの湯」があり、湯元の宿が立ち並び、
その彼方のなだらかな山々に、秋の日が降り注いでいた。
 
一休みして、早速、1階の大浴場へ出かけた。
この旅館には、それぞれ源泉掛け流しの、異なる源泉から引かれた2つの大浴場がある。
午後の3時半だと言うのに、その1つの大浴場に行くと、すでに、何人かの先客がいた。

身体を洗い湯船に浸かれば、少し熱めの湯が肌を包む。
湯の色は薄緑色に染まった、乳白色の柔らかな色合い。
湯ノ湖の湖岸風景 
微かに立ち上る湯けむりが、硫黄臭を鼻先に運ぶ。
湯味は柔らかく、身体の芯まで沁み込んでくるようである。
手で上から下へ湯もみをしたら、シラスのように白く膨らんだ、驚くほどの数の湯の花が舞いあがって来た。
ホテルの部屋からの眺め
心地よく旅の疲れは流れ落ち、扉を開けて露天風呂へ。
石組のこじんまりした露天風呂は、日が降り注ぎ、薄緑を帯びた乳白色の緑も濃く、エメラルド色に耀いていた。
ホテルの部屋からの眺め ホテルの部屋からの眺め
そっと身体を沈めれば、硫黄臭が立ち上り、岩から勢いよく源泉が流れ落ちていた。
その源泉に手を触れれば、かなりの熱さであった。
もちろんここにも、湯の花が溢れるほどに浮遊していた。
ホテルの玄関にて
湯に身体を預け、外を見やれば、山々の名残の紅葉が、美しく陽に映えていた。
源泉掛け流しの乳白色硫黄泉に浸かりながら、しみじみと、今日の長い一日を愉しく反芻した。