秩父路、ジミヘンを聴きながら 2010年8月21日
今週の短い夏休み、秩父へ出かけた。 東京も連日の猛暑、至る所で37度を超える異常さ。 秩父もやはり猛暑だった。 しかし、峠の道を、鈍い車のエンジン音を響かせながら上り下り行けば、そこはやはり秩父、山深く緑に溢れている。 遠くには、秩父のシンボル、武甲山の切り立った雄姿が、真っ青な夏空に輪郭も深く映え聳える。 夏日の山里の静寂を、アブラゼミ時雨が破り、ミンミンゼミの鳴き声が情趣を添える。
車の中では、かつて、ジミー・ヘンドリックスが、イギリス国営放送で収録した、幻の音源を再編集したCDの2枚組を、音量も高く流している。 ジジミヘンの甲高くしゃがれ、投げ捨てるようで、時折、噛みつくように、吐き出すような声が車内に響く。 人間業とは思えない、左手で紡ぎだされるエレクトリックギターのサウンドが、激しくも、緑陰も濃い秩父路に共振している。 時代に対する怒り、激情、アグレッシブなメッセージを、全身で表現しようと、もがいているようにも聞える。 それが、時代に生きるアーチストの、命を賭けた表現行為なのだろう。
かつて、私も演劇を志した。 毎日、ギリシャ喜劇のアリストパネス、悲劇の三詩人、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスに始まり、 暗黒の中世演劇を学び、フランス喜劇のモリエール、フランスの劇詩人、コルネーユ、ラシーヌの作品を全巻読破した。 さらに、ドイツのレッシングの「ハンブルグ演劇論」、フライタークの「劇作術」等を読み、シラーやゲーテの戯曲を読む。 勿論、シェークスピアの作品も、坪内逍遥、福田恒存、小田島雄志などの翻訳で全作品を読む。
下って、北欧の近代劇の父、ノルウェーのイプセン、スウェーデンのストリンドベリー、イタリアのダヌンチオ、ピランデルロなどを読み、さらに、現代劇への途方もない旅をした。 モスクア芸術座の演出家、スタニスラフスキーの演劇の実践におけるシステムの書「俳優術」は勿論、 「芸術におけるわが生涯」を読み、ゴーリキーやチェーホフの作品を読み漁った。 アメリカのユージンヌ・オニールに始まり、テネシー・ウィリアムス、アーサー・ミラー、ドイツのブレヒト、イギリスのオズボーンやウェスカーー。 フランスの不条理劇のイオネスコ、アヌイ、ベケットなど果てしもなく、毎日、演劇史に追われていた。。
そんな時、日本の演劇界は、激動の時代を迎えていた。 鈴木忠志率いる「早稲田小劇場」、串田和美と斎藤憐の「自由劇場」、唐十郎「状況劇場(紅テント)」、佐藤信「黒色テント六八/七一(黒テント)」、 寺山修二「演劇実験室天井桟敷」が、既成演劇に対し、反逆の狼煙を上げていた。 西洋演劇を日本に、模倣し移入することで、現状に対し力を失い始めた大劇団への糾弾でもあった。 世界は米ソの対立する冷戦の時代。 東南アジアでは、ベトナム戦争が泥沼化し、多くの若者の尊い血が流されていた。 時代は激しく揺れ動いていた。
その時、日本の現状、激動する世界にあって、演劇人も、存在を賭けての表現行為が、俗に言う「アンダーグラウンド演劇」に存在したのだった。 唐十郎の「腰巻お仙」のポスターは、今では巨匠的存在である、若き日の横尾忠則の作品でもある。 その頃、アメリカでは、ジミー・ヘンどリックスが彗星の如く登場し、イギリスでは、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ページが登場する。 勿論、ビートルズもローリング・ストーンズも絶頂期を迎えていた。 まさに、時代への抗議、怒り、迸る若者の心情を語り、アグレッシブに、時代へ大きなメッセージを送っていたのだ。
過去の歴史を学ぶことは、重要であることに間違いはない。 しかし、歴史のための歴史を学び始める陥穽に、時として、人は陥りやすいことも事実だ。 それほどに、歴史を学べば学ぶほどに、歴史の深さに傾倒し、歴史の中へ埋没する危険性を帯びる。 人は歴史から何を学ぶのだろうか。 それは、今生きている現状の中で、呻吟しながら、社会や時代へ、表現行為を通してメッセージを送る時、過去の歴史が、現状への指針を与えてくれる。
ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックスは、27歳にして壮絶な死を迎えたが、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、ロッド・スチュアート、スティング、スティーヴィー・ワンダーなど、 たくさんの、私たちの同時代時人は、いまだ現役で、時代へのメッセージを送り続けている。 そして、この現代社会を告発し、激しいメッセージを送ることが、過去の歴史を踏まえた、未来への懸け橋となるのだ。
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