小さな旅&日記
秩父梵の湯&下吉田のホタルを訪ねて


2010.6.27

 
早朝、秩父へ出かけた。
目的地は、秩父市小柱川端温泉「梵の湯」。
秩父の日帰り温泉はすでに、皆野町「満願の湯」、小鹿野町両神「薬師の湯」、秩父市横瀬「武甲温泉」へ行っている。
残すは「「梵の湯」だけ、これはぜひとも行かねばならない。
それならば、夜は、下吉田「ほたるの郷」も訪れることにした。
ほたるを見るのは何年ぶりだろうか。
玉泉寺の山門
子供の頃、日本の津々浦々、ほたるは生息し、決して珍しいものではなかった。
私の育った世田谷でも、夏になればほたるが飛んでいた。
だが、日本の高度経済成長と共に、自然は破壊され、生態系は大きく崩れていった。
今となっては、養殖したほたるを、ホテルの庭園に放って、客寄せさえする有様。
切なくも哀しいほたるの光のショーは大人気で、ホテルの集客に貢献している。


梅雨時の今日、どうやら、快晴とは言えないが、雨降りだけは避けられそうだ。
なんとか、騙しだましで、一日もってくれれば幸いなのだが・・・・・・。
中仙道を下り行けば、熊谷から140号、通称「彩甲斐街道」へ出た。
彩の国埼玉と、甲斐の国山梨を繋ぐことからの命名なのだろう。
つまらない語呂合わせの命名が多い中、この名前を私は好きだ。
 
やがて、荒川の上流上長瀞へ出た。
車の窓からは、早朝の冷涼で爽やかな空気が流れ来る。
荒川の清流を渡る前、140号から県道に入り、長閑な村里を進み行くと、やがて「梵の湯」に到着した。
だが、まだ、午前9時のオープン前だった。
そこで、時間潰しに、長瀞辺りのドライブをして、宝登山神社へ出かけた。
 
宝登山神社の境内に行けば、さすがに早朝、まだ人影もなく、土産物屋さんも兼ねる茶店も、店開きの準備をしていた。
駐車場に車を置いて、境内横にある池を見れば、鯉の魚影に混ざって、大きな亀が、何匹も、ぷかりぷかりと浮かんでいた。
そして、玉泉寺へ向かった。
昔は、神仏混淆で、お寺と神社が隣り合わせは、珍しいことではなかった。
だが、明治時代になり、政府が神社を国の宗教に決めたことにより、歴史ある仏寺は、無残にも破壊されることになった。

幸いにも、ここは廃仏毀釈の惨劇を免れた貴重な存在である。
薄日射す山門のかなり急な石段も上ると、玉泉寺の境内に出た。
早朝の空気が清澄な空気を漲らせる中、お寺に手を合わせる。
そして、境内から、先ほどの石段よりさらに急峻な階段を上る。
朝梅雨に濡れた木々からは、心を洗うような爽やかな香りが匂いだつ。
深い緑の中、朝の凛とした冷気は気持ちが良い。

石段を上り切り、お稲荷さんでお参りを済まして進むと、宝登山神社境内の裏手に出た。
神社の屋根は、強くなりかけていた陽光に映えていた。
さすがに、格式のある神社、欄干には、極彩色の彫刻が施されていた。
そして、拝殿へ回れば、拝殿の中には、祈祷を授かる老夫婦の姿。
宮司さんの祝詞が、殿内に厳かに響き渡っていた。
我々は、振鈴を鳴らさずに、そっと手を合わせた。
 
さすがに、まだ10時前、境内には人影はなかった。
左右の狛犬に守られた階段を下りる頃、境内には人の姿が散見し始めた。
長瀞もそろそろ動き始めて来たようだ。
車に戻り、再度「梵の湯」へ向かった。
10時頃、「梵の湯」に到着すれば、すでに、駐車場には、そこそこに車が停めてあった。

一日フリー入湯券を1000円で購入して中へ。
今日一日、お風呂から出て、休んで、食事をして、それからまた、お風呂に浸かれるのだからありがたい。
館内はゆったり広々としていた。
男湯の脱衣所へ入り、服や貴重品をロッカーに入れて、さっそくお風呂へ。
お風呂は広々としていた。

まずは身体を洗い、髭を剃ってお風呂に浸かった。
湯は少しぬるめで、つるつると柔らかい。
きっと、アルカリ泉なのだろう、身体全体を、柔らかく包み込んでくれる。
正面一面に張られたガラス越しに、木々の緑が、陽光に照らされ、微かにそよぐ。
そして、その向こうに、荒川がゆったりと流れていた。
梵の湯の正面玄関
左手を見れば、露店風呂が見える。
扉を開けて、石組みの露天風呂に身体を浸す。
こちらは、先ほどの湯に比べて、少し熱めであった。
肩まで湯に浸けていれば、身体の芯まで、湯が沁み込んでくる。
先ほどの湯が、身体を開放してくれるならば、こちらの湯は、身体を外から、軽くじわじわと絞めつける感じである。

そして、身体に蓄積した滓を固めて、徐々に外に吐き出してくれているようだ。
先ほど湯が、柔らかいアルカリ性なら、こちらは酸化鉄分の多い湯のような気がする。
湯樋から流れ落ちる湯を見れば、少し薄茶色がかっているようにも見える。
彼方の川面から流れ来る微風が、木々の爽やかな香りを運んでくる。
薄緑に萌える初夏の木々の葉が、陽光に輝く。

露天風呂に身体を預けていると、何処からか、鶯が啼く声が響く。
そして、黄色い蝶がゆらゆらと舞い過ぎる。
湯疲れすれば、露天風呂の傍のビーチシートで横になり、また、温泉に浸かる。
すでに、正午を過ぎていた。
湯船を出て、ざっと着替えをして、休憩室へ行った。

すでに、ママは荒川の清流を見渡せるベランダで、気持ちよさそうに煙草を吸っていた。
そして、私は生ビールを、ママは昼食に天ぷらそばを注文した。
湯あがりの生ビールは、喉元をごくごくと音を立てながら流れ落ち、やがて、するすると胃の中に納まる。
すると、胃は喜ぶように微かに蠕動するような気持ち良さ。
身体の水分が消えた分を、冷たいビールが補充してくれているのだ。

追加したビールを持ちながら、扉を開けてベランダへ出る。
昨日の雨で増水した荒川が、川面をきらきらと照り返しながら、悠々と流れる。
強くなった陽光を浴びて、木々の陰影は深い。
そして、鶯が遠く近く啼く。
期待できなかった天気も、今のところは快晴の幸運さ。

そして、一休みして、また、温泉に戻った。
先ほどに比べれば、少しだけ、入湯客も増えていた。
だが、日曜日の昼下がり、もっともっと、お客様がいても良いのだが・・・・・・。
これだけの広さと設備を持っていれば、この状態では赤字だろう。
素敵な日帰り温泉、老婆心ながら、繁盛して貰いたいものだ。

たっぷりと、心置きなく浸からしていただいた梵の湯。
従業員の人達の優しい笑顔に送られて、梵の湯を後にした時は、すでに、山里の日は傾きかけていた。
これから、ほたるの郷、下吉田に向かうのだが、夜になるまでには時間があった。
ぶらりぶらり、当てもなく、長瀞辺りをドライブした。
ママは秩父が地元、ドライブをしながら、秩父の事を色々と教えてくれる。

そして、秩父神社近くで、何時も立ち寄る酒屋さんで、武甲正宗の夏限定の原酒を購入した。
やがて、秩父の山並は夕陽に照らされ、青空に灰色がかかり、少しずつ夕靄がかかり始めた。
日が落ち始めると、山深い秩父、瞬く間に薄暗くなり、山稜は残光で照り輝く。
秩父連山の上に、ぽっかりと灰色の山肌を晒した武甲山の荘厳な姿が浮かび上がる。
何時見ても、武甲山は雄大で猛々しい、秩父を象徴する男山だ。

日が落ちた頃、我々は下吉田のほたるの郷へ向かった。
吉田と聞けば、秩父困民党が結集し蜂起した椋神社を思い浮かべる。
しかし、吉田も広く、上吉田、下吉田と色々ある。
秩父市内から吉田、さらに山里を進みゆけば、かなり高度を上げたところに民家が点在する。
どこか、山梨辺りの高原を連想させる長閑さ。
釜の上農園村レストラン
だが、夕靄の中、山並みを抱きかかえるように、空には灰黒色の厚い雨雲が覆い、やがて、車のフロントグラスにも雨が降り当たる。
そして、フルーツ街道に出た頃、雨脚も弱くなり、目的地に到着した時は、微かな小糠雨に変わっていた。
「吉田ほたるの郷を守る会」の人に、訊いてみた。
「今日はほたるは出ますか?」
すると答えは、まだ早いが、暗くなれば、たくさん出ると。

そこで、我々は、先ほど立ち寄った「釜の上農園村」へ引き返した。
駐車場に車を置き、山小屋風のレストランに入った。
中は広々として、天井は高く、太い梁が組み込まれていた。
広い座敷席には、団体客が二組いた。
ママは夕食に、焼肉定食とサラダを頼んだが、焼肉定食売れ切れ、生姜焼き定食に変わった。
フルーツ街道
私は吉田の地酒の純米酒を一瓶購入して呑む。
団体客のせいなのか、ママの食事はなかなか出て来なかった。
やっと出てきた豚の味噌漬けの生姜焼き、少しつまませてもらったが、想像以上に柔らかく、甘辛く美味しかった。
さすがに、秩父は豚肉の味噌漬けが名物、思いもよらずの美味は嬉しい。
「吉田ほたるの郷」の入り口の提灯
すでに、外は暗く、雨もすっかり上がっているようだ。
会計を済まして外へ出れば、雨に打たれた草木から、懐かしい匂いが漂う。
そして、何処か知らず、遠くから、牛小屋の臭いが渡りくる。
そして、先ほどの「吉田ほたるの郷」着くと、入り口の駐車場は満杯、少し離れた駐車場へ誘導された。

駐車場から、「吉田ほたるの郷」の入り口、「ただかね農園」前には、地元有志による露店が出ていた。
そして、部屋の中からは、ハーモニカの調べが聞えて来た。
ほたる見物の人々が、提灯の灯る道を進んで行く。
すでに日は完全に落ち、提灯がなければ、まさに道は闇に包まれる。
「ただかね農園」でハーモニカ演奏 
やがて、関川に掛る関橋を渡り、川沿いの道を進む。
すでに、見物を終えて、帰路に着く人とすれ違いながら歩いて行く。
すると、右手に民家が数件立ち並んでいた。
さらに進む頃、民家の明かりも消え去り、川の瀬音が聞え、牛ガエルの声が鈍く響く。
すると、川沿いの深い木々に包まれた闇から、ふわりふわりと黄色い光が、軌跡を描き流れ、すーっと消えていく。
 
さらに、あちらこちらに、ほたるの光が揺れ流れた。
すると、蛙鳴く田んぼの上にも、ほたるが数匹が光り舞う。
人々の歩みに合わせ進めば、川沿いの深い森で、大きな源氏ほたるが、闇空高く輝いていた。
その数は想像を超え、幻想的な世界を演出していた。
日本の初夏の夜を彩るほたるの輝き。

日本の何処にでもあった初夏の風物詩が、今は人間の手で、大変な努力を払って取り戻されている。
ほたるの餌になるカワ二ナの養殖始まり、田畑には農薬を使わず、清らかな川を残す。
その有機的な自然の復活を、ほたるの光が証明するのだ。
消えては光るほたるの幽玄な光の舞踏が乱舞していた。
残念ながら、闇の中、灯りなく、ほたるをカメラに収めることが出来なかった。
もっと勉強して、次回はぜひとも写真で、皆さまに紹介したいものだ。