宮沢湖を訪ねて
2010年4月19日

宮沢湖
埼玉県飯能市郊外、入間川の水を引き込んで出来た、かつての灌漑用貯水池。
やがて、西部グループが買収開発し、人造湖として、レクリエーション施設を整備した。
なだらかな高麗丘陵の中、周囲2.5キロメートル、散策道を、徒歩で約1時間。



桜の季節も終わり、私の家の辺りの街路樹に、純白と薄紅のハナミズキの花が、可憐に風に揺れている。
清楚に、風にそよぐ姿は、ひらひらと舞う蝶を連想させる。
釣り堀 寂しげなボートたち
午後の2時頃、我々は、宮澤湖に出かけることにした。
先月までの、雲厚く、肌寒い日々が、嘘のように姿を消し、今日もまた、天気晴朗、薫風がそよぐ。

川越街道を下り、途中、英インターから国道463を進む。
道の両側のケヤキノの木の梢には、若緑の若葉が溢れていた。

そして、所沢を通過し、463をさらに下り、入間市街を抜けて、さらに進む。
民家もまばらになり、初夏を待つ木々の葉は、柔らかな薄緑に揺れ光る。

やがて、飯能市に入ると、暫くして、宮沢湖の看板が見えた。
注意を凝らしながら行くと、さらに分かりやすい標識が出現した。

指示に従い右折すれば、程なくして、宮沢湖の駐車場へ到着した。
時間は4時前、駐車場には、たくさんの車が止まっていた。

車を降りて、湖へ。
大勢の人が進み向かう方へ歩くと、交通整理の小父さんもいた。

てっきり、こちらが湖かと思いきや、行き先は、宮沢湖ではなく、宮沢湖温泉スーパー銭湯 喜楽里だった。
私たちは駐車場に戻り、緑深い、緩やかな下りの道を進んだ。

どうやら、この道の先に、宮沢湖はあるらしい。
すると、前方に、湖が陽光に照り返されていた。

やがて、宮沢湖の案内板があり、その後方下に、釣り堀があった。
小さな釣り堀には、朱色の鯉や
金魚が放たれ、数えるほどに少ない釣り人が、糸を落としていた。

私たちは、宮沢湖散策に出かけた。
しかし、如何したことか? 想像した程に人がいない。

子供の遊び場にも、家族連れが2組ぐらいいただけで、レストランも閉まっていた。
閉まっているというよりか、すでに、閉店して、長い月日が経過しているようだった。

すでに、廃墟の風情が漂っていた。
レストランの前の庭には、バーベキューコーナーもあった。

かつて、ここで、どれほどの多くの若者や家族が、バーベキューを楽しんだ事だろう。
そして、時には、若者たちの間に恋も芽生え、楽しい時を迎えたことか。

今は寂しく、見捨てられたように晒されている。
さらに、奥へ進み歩けば、宮沢湖の全景が見渡せた。

陰り始めた陽光が、湖を照らし、柔らかな漣が、鱗のように輝く。
湖の彼方の木々の緑が、陰翳を深くしていた。

散策道脇の赤松と新緑の緑、そして、湖面に照り返された黄金色のコントラストが美しい。
やがて、小さな湿原が現れ、そこに渡された道を歩く。

季節の訪れと共に、ここには、水生植物が咲き乱れるのだろうか。
また、曼珠沙華や菖蒲の札がさしてあった。
何処からか、移築された鐘楼
秋になれば、曼珠沙華の朱色の群生を愉しみ、初夏には、菖蒲が匂い咲くのであろう。
さらに、近くには、マムシに注意の立て札が、あちらこちらに散見した。
木の散策道を渡ると、土の散策道に出た。
可憐に咲くツツジ
湖の右手彼方に、薄紫に咲く芝桜が見える。
晴れ渡る空の青さ、白い雲海、灰色を帯びた湖水に挟まれて、薄紫が映える。

さらに進むと、湖水の真ん中に浮かぶ物体に、黒い鵜(?)が3羽とまっていた。
時折、大きな羽を羽ばたいていた。

湖水を右手に見やりながら、広い散策道を進むと、
左手の雑木林が茂る山の傾斜地に、可憐な朱色の山つつじが咲いていた。

だんだんと、木々の影も深く長くなり、湖岸の景色は情緒に満ちて来た。
だが、ゴールデンウィークのさ中、散策道ですれ違う人は僅か。
帰り道に見つけた山吹の花
人々の賑やかな語り合いや、会話の声すら、稀にしか、聞えてこない。
やがて、若草の茂る広場に到着した。
 駐車場に咲く八重桜
そこには、犬と戯れる男の人が、惟一人いただけだった。
かつて、宮沢湖もハイキングの到達点であり、ここを目的に集まる老若男女で溢れていたのだろう。

広い湖のあちらこちらで、子供たちが元気に遊び、岸辺では若者たちが語り合う。
犬を散歩させる人達、朝焼けや夕景色をカメラにおさめる人達。

そして、酒を飲み、バーベキューや、お弁当を愉しむ家族。
ここには、たくさんの人間模様があったはずだ。

今は、宮沢湖のトイレさえ、使えるものは一つしかなく、あとは壊れて使用不能だった。
一体いつから、この湖を、人は訪れなくなったのだろうか。

きっと、あの駐車場の奥にあった、温泉施設スーパー銭湯 喜楽里に、お客様を奪われたのだろう。
人のいない観光地は、余りにも無残で切ない。