テアトル・エコー公演139
「白い病気〜What A Pandemic World〜」観劇記

原作:カレル・チャペック・1937年作
脚色・演出:永井寛孝

2010年4月25日

桜の季節も終わった東京、だが、一向に暖かな陽気は訪れない。
それどころか、雨が降り寒いほどの毎日に、いささか閉口する今日この頃。
だが、眼を覚ませば、窓からは暖かな陽光が差し込んでいた。
今日は、テアトル・エコー「白い病気」を観に、恵比寿まで出かける。
開演は午後2時。
時間の余裕を持って、正午少し前に家を出た。

車の窓を開ければ、爽やかに、暖かく、匂うような春風が吹きこむ。
ミネラルウォーターを飲みながら、一路、車は快調に進む。
中山道から、明治通りを進めば、やがて新宿。
さらに走れば、渋谷、そして、若者達で溢れかえる原宿。
さすがに、街はお洒落に彩られている。

それにしても、今日は道路が空いている。
何時もだったら、かなりの渋滞に、泣かされるのだが。
久々の快晴、早朝から、郊外へドライブでも、しているのだろうか。
やがて、目的地の恵比寿に到着した。
そして、何時も停める駐車場へ車を置いた。
まだ、時間は1時過ぎ。

ぶらぶらと恵比寿駅方面へ、散歩かたがた歩く。
陽光は柔らかく降り注ぎ、ビルのガラスが、きらきらと反射していた。
やがて、駒沢通りを右に折れて進むと、コーヒーの香りが流れ漂ってきた。
その匂いに誘われ、コーヒー屋さんに入った。
私はコーヒーを飲み、ママはフランクフルトを挟んだサンドウィッチとコーヒー。
座った席は偶然にも喫煙席であった。

分煙された小さな部屋は、ほとんど満席状態だった。
煙草を吸わない私は、一人の時も、喫煙席の方に、座ることにしている。
喫煙席の方が、ざわざわと賑やかで、活気があるような気がするからだ。

禁煙席は、どこか取り済ましたようで、上品な空気が漂うようで、私には居心地が悪く感じられる。
暫くして、時間を見れば、開演の15分前だった。

店を出て、3分ほど歩けば、劇場に到着した。
緩い螺旋の階段を上れば、2階の玄関、劇団員が笑顔で迎えてくれた。
開演10分前、劇場の中に入ると、すでに客席は満席状態であった。
舞台には、大きな大砲のようなものが2門、舞台狭しと置かれていた。
舞台の奥のホリゾントの壁には、街を象徴する塔や建物が、映し出されていた。

やがて、舞台の下手前面の下部に置かれたピアノに、演奏者が座り、
上手前面の下部にも、アコーデオン奏者たちがスタンバイをした。
そして、ブレヒト劇のクルト・ヴァイルのソング風な音楽が流れ、舞台でドラマは始まった。

ある日、突然、皮膚に白い斑点が出来る、不治の病「白い病気」が世界を襲う。
この病気は、次々と伝染し、発病した患者の肉体は腐り、悪臭を放ちながら、ぼとぼと崩れ落ちる。
だが、この病を治療する薬は発明されず、日々、舞台となる軍事独裁国家をも震撼させる。
ところが、或る時、一人の平和を愛する町医者ガレーンが、治療薬を発見した。

だが、この町医者は、貧乏人だけを、治療すると宣言をした。
やがて、独裁者の総統、軍需産業を経営する財閥の社長にも、「白い病気」が伝染した。
軍事独裁国家と深い関係にある財閥の社長は、町医者に治療を懇願する。
だが、財閥の社長は、町医者が治療の代償に要求した軍需産業の放棄を拒否。
町医者は、財閥の社長の治療を断念し、財閥の社長は自殺した。
好戦的な独裁者も、独裁国家の戦意高揚のため、
世界へ戦線を布告するまさにその時、「白い病気」に感染した。

町医者は、侵略と戦争を放棄し、平和国家を宣言したなら、治療をすると約束をする。
しかし、総統は、要求を拒否し続ける.。.
やがて、娘たちの説得もあり、今わの際に、総統は平和を宣言した。
やがて、国家には、平和がもたらされた。
そして、エピローグ、最初と同じように、舞台には大砲が2門置かれていた。

だが、如何したことだろうか、観客席の通路から登場した、熊倉一雄さん扮する町医者は、
戦闘的愛国主義者たちのテロにあっているではないか。
この独裁国家には、平和が訪れ、町医者の薬で、国が救われる筈なのだが・・・・・・。
この舞台上の寓意は、何を意味するのだろうか?
かつてのベルリンの壁よろしく、民衆たちが、舞台上の大砲2門を、
ハンマーで叩き壊した方が、分かりやすいような気がする。

歌に踊りのミュージカル仕立ての「白い病気」
西原梨恵さんデザインの衣裳(戦争=赤/平和=青で象徴)のピエロのような衣装を着た、
溌剌とした若い劇団員たち、練達に近づいた中堅俳優たち、そして劇団の長老たちの飄逸で、滋味深い演技。
充分に、2時間20分を愉しましていただきました。