板橋の有名人たち今昔
2010年03月12日
お客様と話していたら、板橋区大山近辺の芸能人話になった。
すると、そのお客様は、酒井和歌子と板橋3中で、同級生だったのだ。
酒井和歌子と言えば、私が若い頃、加山雄三の演ずる東宝映画「若大将シリーズ」のマドンナ役で有名だった。

それで私は理解した。
かつて、酒井和歌子が、私の店のすぐ近くのマンションに、住んでいたという事を。
すると、そのお客様は、歌手の布施明とも、豊島実業高校(現豊島学院高等学校)の同窓生で、布施明が学年で2年上だったそうだ。

かつて、布施明は「シクラメンのかほり」で、第17回日本レコード大賞を受賞した。
さらに、1980年、ハリウッド女優、オリヴィア・ハッセーと結婚し、後離婚したことでも有名だ。
私の店のある町、大山東町の隣、熊野町のすぐ隣に、豊島実業高校はある。

だが、布施明はほとんど学校には登校しなかったと言っていた。
熊野町には、つい最近まで、マジシャンのマギー司郎も住んでいた。
その隣の大山金井町にある板橋第七小学校に、博学多識、博覧強記、現代の南方熊楠と、私も尊敬する荒俣宏が入学している。

ご実家は当時、板橋区金井窪(現在は金井町) で、瀬戸物とタバコを販売する「みどり屋」を営んでいたという。
さらに、直木賞作家の山田詠美も、板橋区中丸町出身で、小学生時代を過ごしたそうだ。
我が町大山東町には、腹話術のいっこく堂が住んでいる。

彼がまだ玉城一石という劇団民芸の役者の頃、私の店に来店している。
東町の隣の氷川町には、噺家の柳家権太郎師匠が住んでいる。
私の店にも、一門で来店してもらっている。

前野町には、鈴々舎馬風師匠も住んでいる。
私の店にも、一門の噺家さんが来店している。
板橋区には、他にも大勢の噺家さんが住んでいます。

そんな話をしていたら、他のお客様が、上板橋第2中出身で、元レーサーの鈴木亜久里が中学の先輩だと言った。
私の店のお客様で、都立板橋高校卒業の人も多い。
卒業生には、古谷一行(俳優)、村野武範(俳優)、吉本ばなな(作家)は同級生だと言っていた。

さらに、最近は柴咲コウが中退している。
柴咲コウは千川中学のバレー部出身、私のお店のお客様はバレー部の先輩で、中学生の柴咲コウを教えたそうだ。
都立板橋高校卒業の永井豪は、母校をモデルにして、「ハレンチ学園」を描いている。

大山には「ハッピーロード」というアーケード付きの、長く賑やかな商店街がある。
そのマスコットキャラクター「みらいくんとゆめこちゃん」の名付け親が、
元日本一有名なホストで、現在はタレントで俳優の城咲仁。
彼の実家も大山にあり、現在も両親が、ラーメン店「丸鶴」を開いている。

その商店街の裏手に、茶の水女子大の大山寮があり、
女子大生の柴門ふみ(漫画家)が寄宿しながら、弘兼憲史のアシスタントとして働いていた。
その後、漫画家として、「P.S.元気です、俊平」でデビュー。

そこには、ハッピーロード商店街や大山駅も登場する。
後の夫、弘兼憲史も、大阪の会社を辞めて、最初に住んだのが板橋区下赤塚あたりだと聞いたことがある。
さらに、かつて、劇団東京乾電池も大山にあったと聞く。

その隣の大谷口は、歌手故ヒデとロザンナのヒデ、こと出門英の実家がある。
その隣のマンションに住む私のお店のお客様が、よくロザンナと娘さんを見かけたと言っていた。
私が若い頃、ヒデとそっくりだったので、色々と良い思いをさせてもらった思い出も懐かしい。

飲みに行けば、知らない人が奢ってくれたり、女の子がアルバイト先に、旅先から、お土産を持って来て呉れたりと。
さらに、かつて、ボクシングのWBAスーパーフライ級の世界チャンピオンだった鬼塚勝也も、
東京で最初に住んだのが大谷口だった。

そこから、新宿にある協栄ジムまで、走って通ったと、来店した本人から聞いた。
さらに、元WBA世界ミドル級王者の竹原 慎二も住み、通った沖ジムは常盤台にあった。
竹原 慎二が店に来た頃は、世界タイトル防衛に失敗した後だった。

その後、私がGMを務める草野球チームにスカウトした。
その頃から、テレビ番組「ガチンコファイトクラブ」で大ブレークした。
三原順子は志村1中で、お母さんが志村でスナックをやっていた。

個性派俳優の江守徹も志村1中で、都立北園高校を卒業している。
「池袋モンパルナス」を代表する、シュールリアリスムの画家寺田正明の息子、俳優の寺田農は、都立志村高校を卒業。
靉光、麻生三郎、井上長三郎なfど、「池袋モンパルナス」で活躍した、放浪と無頼と酒びたりの漂泊の画家長谷川利行も、
三河島の路上で倒れ、1940年5月、大山にある東京市養育院(現東京都健康長寿医療センター)に収容されている。
だが治療を拒否し、その年の10月12日、享年49歳で死去した。
その時、遺品として、行李の中に残されていた自筆の絵は、すべて養育院の規則により、焼却されたと言われる。
さらに島崎藤村の『新生』の節子のモデルである島崎こま子(1893年-1978年)も東京市養育院に入院している。

叔父である島崎藤村と関係を結んだ島崎こま子は、島崎藤村と別れたのち、波乱に満ちた人生を送っていた。
貧しい人々のために、私財をなげうち、施設を作り、極度の貧困に喘ぎ、肋膜炎にかかる。
その後の1937年3月3日、極度の栄養失調から、新宿の路上で行き倒れ、東京市養育院へ収容された。

その時、作家の林芙美子が、雑誌『婦人公論』の記者として、インタビューのために、養育院を訪れている。
そして当時、日本ペン倶楽部の会長であり、大作家となった島崎藤村に対し、皮肉を込めた文章を書いている。
井上長三郎も、小説『池袋モンパルナス』の中で、大山町に住んでいたと書かれていた。

中山美穂は板5中を卒業後、北園高中退。
1966年、串田和美、斉藤憐らと共に創立した、六本木の「アンダーグラウンド自由劇場」
(後にオンシアター自由劇場と改名)の看板女優、吉田日出子も、都立北園高校を卒業している。

歌手の内藤ヤスコも志村3中。
寅さんで有名な渥美清は、柴又でも浅草でもなく、なんと志村1小を卒業。
戦前は、志村坂上の工場で働いたという。

古館一郎さんも小豆沢附近に住んでいると言う。
板橋区仲宿辺りには、今でも「欽どこ」のお母さん役、真屋順子が住んでいる。
さらに、世界的冒険家、故植村直己が出会ったとんかつ屋さんもあった。

現在も蓮根には、「植村直己記念館」もある。
その近くの前野町には、尾崎豊が結婚当時住んでいたらしい。
さらに、私の住む徳丸にある赤塚1中は、元モーニング娘辻希美が卒業。

都立北野高校(現有徳高校)を、お笑いの「小木矢作」が卒業。実家は東山町にあり、両親が小木商店を経営している。
私の店にも、高校の同級生と一緒に小木が来店。
隣の高島平はスマップの稲垣吾郎(高島幼稚園卒)の出身で、タレントの山田邦子(高島平2小卒)の出身地。

女子柔道で、かつて、日本のホープとして活躍した山口香は、都立高島高校を卒業。
とんねるずの石橋 貴明は、父が経営する「石橋化成」が倒産し、移住したのが埼玉と接する成増。
そして板橋区板橋にある帝京高校野球部で活躍をした。

幸田シャーミン(元ニュースキャスター)も、成増辺りのマンションに住んでいた。
そう言えば、私が店を開店した当初、お客さんが言っていた。
今では、演劇や映画、さらに歌手として、日本の大御所的存在の杉良太郎も、
まだまだ無名の頃、板橋に住んでいたと言っていた。
下駄を履いて、大山界隈をよく歩いていて、酒も一緒に飲んで奢ったと、自慢げに語ってた事を思い出す。

ざっと、拾い書きしたのですけど、板橋にも、たくさんの有名人がいますね。
正確を尽くしましたが、間違っていた場合は、ご容赦のほどを・・・・・・。
誤っていた時は、教えていただけたら、喜んで加筆訂正いたします。
これからも、新しく板橋関係の有名人を発見しましたら、その折に追加していきます。
なお、敬称は略させていただきました。

加筆・更新しました!
こちらからどうぞ↓
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