墓参り&江ノ島へ
3月21日

大鳥居近くの参道
お彼岸の今日、厚木市愛川町まで、お墓参りに出かけた。
昨日の天気予報だと、今日は暴風注意報が出て、海山ともに大荒れとのことだった。
正直、我々も半分は諦めていた。
だが、蓋を開けてみれば、驚くほどの快晴で、穏やかな陽気。
午後1時頃、家を出て、首都高から東名高速へ。

首都高はに入れば、大混雑の渋滞、先が思いやられた。
しかし、何時も渋滞する場所では、スムーズに流れ、思わぬところで混雑の不思議。
東名に入れば、春を待つ多摩川が煌めき、前方の木々の緑も、陽光に色濃く照らされていた。
何時もの横浜町田ICで降り、16号を下り、相模大野辺りから、県道52号を進む。
その前に、回転ずしで遅い昼食を摂った。
 
私は昨日のお酒のせいで下痢気味、鮨を食べることは控えて、生ビールのプレミアムモルツを飲む。
柔らかで、きめの細かい泡が、喉元を濡らし、するりと胃の中に落ちる。
すると、疲れていた胃が、息づいたかのように元気を取り戻した。

そして、また、墓参りへのドライブが始まった。
片側1車線の県道を進めば、母が度々入院した、北里大学病院棟が左右に広がる。
この辺りは、武蔵野を思わせる、雑木林が今も手入れされながら残る。
 
さらに、陽光に温められた生温かい風を切りながら、なだらかな下りの坂道を進むと昭和橋に出た。
橋から見渡す相模川は、きらきらと水面に昼下がりの陽光を反射していた。
さすがに、前日の天気予報、川で釣り糸を垂れてる釣り人はいなかった。
川沿いの道を進めば、高田橋に到着した。
ここは、戦国時代、群雄割拠の要衝の地。
この渡しを巡って、激しい戦闘が繰り広げられた。
瑞心門
そして、さらに、なだらかな上り勾配の道を進むと、春浅い愛川町に到着した。
途中、何時も立ち寄るコンビニで、お花とお線香と供物にするリンゴとお萩を購入。
霊園に到着した時、時間は午後4時近くになっていた。
やはり、お彼岸の日、霊園にはまだまだお参りの人たちがいた。
駐車場に車を置き、お墓へ。
お墓を洗う水桶と、手の付いたブラシと、歯ブラシを持ってお墓へ。
瑞心門の中、左右の壁に描かれた、緑と青の唐獅子 瑞心門を守る、右壁に描かれた青色の唐獅子
ママはすでに草むしりをしていた。
お墓には、すでにお花が手向けられていた。
そして、線香台には、燃え尽きたお線香の跡が、灰となって残っていた。
すでに、親戚の誰かが、私たち両親と義理の姉が眠る、このお墓を訪れてくれていた。
きっとお墓に眠る人達も喜んでいるだろう。
私たちもとても嬉しくなった。
 
私はお墓を磨き、水を静かに掛け流し、お花を飾り、供物を添えた。
風に邪魔されて、お線香を焚くのに苦労しながらも、なんとか火をつけ終え、お線香の煙が立ち上った。
お線香の台に移し、腰を下ろし、手を合わせ瞑目する。
立ち上がり、彼方を見渡せば、幾重にも重なる山々が、春靄の中、柔らかな日に、朦朧と浮き上がっていた。
辺津宮 
そして、何時ものコースで、寒川、平塚とまっすぐに南下した。
40分ほどで、国道134号に到達。
海岸沿いの国道を進めば、茅ヶ崎、辻堂と通り過ぎる。
すでに、日は大きく傾き始めている。
海岸からは海風が吹きわたり、防風林の木々が揺れていた。

やがて、遠くに江の島が右手に見える。
街道沿いのお店の灯りが煌々と光り、テーブルで若者たちが食事をしている。
全長389mの弁天橋を進めば、正面の江の島の灯が、幻想的な情趣を添える。
江の島の駐車場は意外にも空いていた。
茅の輪 茅の輪
車を降りれば、夕刻の強い浜風が吹いていた。
海岸沿いの公園の遊歩道を歩くが、暴風波浪注意報の今日、さすがに人影はなかった。
何時もであれば、ベンチでは若者たちが仲良く語らい微笑む。
散策路から釣り糸を垂らす太公望たちも、今日はいない。
海の彼方、たくさんのヨットの白い帆が、夕日に輝く姿もない。
 
さすがに、今日は、一艘のヨットさへいない。
ただ、恐ろしい形相の黒い波が、音を立てるようにうねりながら、押し寄せていた。
寂しげな公園を後にして、江の島神社に向かった。

文政4年(1821年)に建てられたという、青銅の大鳥居を潜り進めば、
辺津宮へ続くなだらかな参道に密集したお土産屋さんや食堂の賑わい。
犇めくお店のの中、静寂を湛えた老舗旅館が風情を添える。

昔ながらの観光地の夕刻の風景には風情がある。
それぞれの店は、それなりに賑わっていた。
さらに進めば、江の島神社への入り口。
竜宮城のような門の瑞心門が、薄明かりの中に浮かび上がる。

階段を上り、門を潜れば、1206年(建永元年)、鎌倉幕府の将軍・源実朝が、良真上人の請願により
田寸津比売命(タキツビメ)を勧進して建てた、江島神社の本殿の辺津宮境内に出た。
奥津宮(おくつみや)の多紀理比賣命(タキリビメ)、中津宮(なかつみや)の市寸島比賣命(イチキシマヒメ)、
辺津宮(へつみや)の田寸津比賣命(タギツヒメ)という三人姉妹の女神様が、それぞれに祀られている。
その三宮の一番下にあるので、辺津宮は「下の宮」とも呼ばれ、江の島の宮の玄関に位置する。
 
本殿の前には大きな茅の輪。
私たちも、茅の輪を潜り、左に回り、もう一度潜り、右に回り、さらに、茅の輪を潜る。
どうやらこれで、罪穢を祓い清め、心身ともに清浄になったようだ。
本殿前中央に置かれた弁財天の大きな巾着のお賽銭箱に、お賽銭をあげて、清々しい気持ちで参拝をする。

帰り道、境内から、来た道を戻らずに、迂回して参道を下る。
途中、木々の切れ目から、遥か彼方、江の島の対岸の日が、宝石のように煌めいた。
三浦半島へ向かう海岸沿いの国道には、車のライトが、
一筋の光の川となり、万華鏡の輝きで緩やかに流れていた。