秩父神社神門 
秩父神社&寶登山神社を訪ねて
秩父神社
2010年1月1日


今年も正月元旦、秩父へ出かけた。
我が家族はそれぞれに、息子はバイクで、娘2人は次女の車で。

私たちは何時もの愛車? でママの実家のある秩父へ向かった。
例年のこと、大晦日まで仕事をしたので、起きるのは昼ころになる。
  
それから、ゆっくりと用意して出かけるから、秩父に到着したのは午後6時近くだった。
すでに日は陰り、冬の寒気が肌を刺す。
 
神社の駐車場に車を置いて、その足で秩父神社に参拝する。
さすがに、元旦なれど、この時間、参拝客は少なかった。
 秩父神社神門脇通路
すでに、初詣の人波は消え、露店の灯りだけが賑やかに点る。
参道をまっすぐに進み、並ぶことも無く、参拝を済ますことができた。
 秩父神社本殿
去年が無事に過ぎたことへのお礼と、今年が良い年になるように、そして、世の中が明るくなるようにお願いをした。
全ての人が幸せになり、豊かになって、初めて、私の商売も成立するのだ。
 
例年、秩父神社で破魔矢を頂く。
勿論、今年も社務所で、今年の干支の寅の描かれた絵馬のついた破魔矢を頂いた。
夕暮れの秩父神社神門
すでに、日はすっかりと落ち、山門の菊の御紋の提灯も、何処か寂しげに灯る。
やはり、元旦、この時間になっても、三々五々、参拝客がちらほらと切れることも無い。
 
すでに、午後6時は過ぎていた。
秩父神社を後にして、ママの実家のある小鹿野町へ向かった。
市内を抜け、広漠と広がる荒川をわたり、西武鉄道が経営するミューズパークを抜ける。

懐かしい、なだらかな山々が、月明りに照らされて、山里の風情を醸していた。
今年もまた、小鹿野でお正月を愉しく過ごさせていただく。

寶登山神社
2010年1月3日

 元旦と2日は快晴で、縁側の向こうの大きな硝子戸越し、柔らかな陽光が差し込む。
炬燵の中に足を伸ばし、テレビで箱根駅伝を観戦した。
立派な〆の子が下がった注連飾り 
何故かこの2日間は早起きだった。
やはり、早起きは三文の徳という通り、初日の駅伝往路は、なんと私の母校、明治大学がトップを走っていた。
  寶登山神社二の鳥居
まさに、初春の椿事と言えるほどの快走だった。
しかし、最後の箱根の急坂で、東洋大学の怪物君に抜かれ、最後は6位で終わった。
もともと、たいして愛校心のなかった私だが、やはり、還暦を過ぎたせいか、母校の活躍には胸躍るものがある。
  
そして、翌日も、新年の挨拶の来客に交じって、駅伝を最後まで観戦した。
何時もならば、正月の風景を愉しみに、あちらこちらへ出かけるのだが、何もせず屈託なく、家で寛ぐのも愉しい。
  本殿への階段
さすがに、ママは少し飽きたのか、昼下がり、ドライブへ行こうと言いだした。
そこで、小鹿野町、秩父市内、皆野町、三峰口など、当てもなく、山間のドライブをした。
 
やがて、日も落ちかけ、秩父連山の峰々が、夕日に照らされ、金色の残照に照り映える。
そして、稜線に微かに日が残るころ、空は墨色を帯びた紺青に広がり、月が煌々と光り、星が一気に空に輝く。
寶登山神社本殿 
杉木立や雑木に覆われた山間の道は、鬱蒼として行き交う車も少なくなって来た。
正月の秩父路の2時間のドライブを終えた。
 
最後の秩父の宵は、酔いに始まり、心地よい酔いに終わった。
何時も何時も人任せに、正月を愉しく送らせてもらう暢気な毎日に感謝、深謝!。
  
3日午後の3時半頃、小鹿野に分れを告げて、長瀞径由で東京へ向かった。
最近はもっぱら、正丸トンネルを抜け、高麗川沿のくねくねと曲がる国道299号線を行くのだが、
今回はコースを変えて、長瀞の寶登山神社へ寄ることにした。
 
小鹿野を出て40分ほどで長瀞に着いた。
神社の車場に車を停め、神社に続く白砂を踏みしめ、参道への石畳を進む。
 
大き注連縄で飾られた鳥居を潜り、本殿への急峻な階段を上る。
午後の4時も近く、木立生い茂る神域は冷気が漂う。
 
上りきると、広々と神社の境内が広がった。
参道を進み、門松の飾られた本殿に礼をして、お賽銭をあげ、柏手を打つ。

日も落ちかけた境内には、ぱちぱちと音を立てながら、焚き火が焚かれていた。
炎に手をかざせば、懐かしい昔日の焚き火の記憶が蘇る。
そして、正月のほろ酔い気分で、秩父の正月は終わった。