そんな歴史を懐古しながら、朱色の狭くて低い回廊から見渡せば、かつての下野国が彷彿と蘇る。
連休の日曜、この高い堂宇まで、老若男女、善男善女が、三々五々に上ってくる。
回廊の狭い階段を下り、入り口を守る白蛇を撫ぜ、堂宇を後にした。
すでに時間は午後4時を回っていた。
参道から続く階段を、時折出会う木漏れ日を楽しみながら下る。
山門を潜り、湧水池に辿り着いた。
池では親子連れが、鯉に餌を与えていた。
大きな鯉が、餌を独占、そこへ、水鳥か餌を襲う餌騒動が展開していた。
そして、池畔にひっそりと佇む湧釜神社へお参りをした。
かつて、この地は猛烈な日照りが続き、井戸水さえも枯れ始めたという。
村人は山の山頂で雨乞いを続けるが、祈りもむなしく雨が降る気配もなし。
二日二晩の祈りにも疲れ絶望している時、村に白装束の老人が現れた。
そして、持っていた杖で、岩を突き刺した。
すると、その岩から清冽な水が、滾々と湧き出たという。
村人たちは、養水の神、人丸様と崇め、神社を造って崇拝した。
その人丸神社が湧釜神社の中に、合わせ祀られている。
それ以来、旧暦6月14日に、祭りが開かれ、
神主さんの祈祷の中、神様が、ふと顔を出すとも言われている。
神社の前の道路をから、山の中腹にあるお堂の欄干から見た景色の中、
磯山公園の湧水池より、さらに大きな湧水池が見えた。
まだ時間もあるので、私たちはその池に向かった。
すると、お豆腐と湯葉の即売と書いてある看板を見つけた。
もののついでに出かけてみた。
池を右手に、工場沿いの道路を進むと、工場の中に売店があった。
玄関を開けて、お店の中へ入った。
店の中には、出来たての豆腐や湯葉の試食がコーナーがあった。
小さな四角いプラスチックの容器の中に、豆腐や湯葉が盛られていた。
湯葉はお豆腐のように厚く、箸で掴めば、思いのほか重く、
お醤油をつけて口に入れると、もっちり、つるりと膨らむ。
そして、口の中に、豊かに大豆の味が広がる。
栃木県は湯葉の産地で名物でもある。
でも、湯葉がこれほどに美味しいとは、湯葉の再認識をした。
お店のおばちゃんのお勧めに従い、お豆腐、湯葉、豆乳などのセット、〆て1500円を購入した。
お店を出て、少し歩くと、湧水池の遊歩道へ出た。
池にはボートも浮かび、若いカップルが漕いでいた。
湧水池池畔、冬枯れの雑木林の中の散策道を進むと、
そこには釣り堀があり、遠くから若者好みの音楽が流れていた。
釣り堀を抜けると、赤見温泉卿に出た。
そして、磯山公園近くの駐車場へ行き、、出流原湧水池を後にした。
午後4時過ぎ、冬日とはいえ、晴れているせいか、いまだ陽光は強い。
帰り道、佐野出身のお客様に教えてもらった、佐野ラーメン「おぐら」に立ち寄った。
しかし、お店には、順番待ちのお客様が、玄関に溢れていた。
私たちは、明るい内に、佐野厄除け大師さまのお参りを済ましたかった。
諦めて、来た道を戻り、途中、大師様近くで佐野ラーメンを食べ、大師様へ出かけた。
午後5時近くというのに、境内には大勢の参拝客がいた。
さらに、厄除け祈願の参拝者が、本堂まで、長蛇の列を作っていた。
やはり、明るい話題のない暗い世の中、不景気風に吹かれる御時世、厄除け祈願の参拝客も多いのだろう。
私たちは本堂で参拝を済ませ、今年本厄というママに、社務所で御守を頂いた。
でも、他の多くの神社の厄暦を見れば、ママの厄は終わっているのだが・・・・・・。
露店の並ぶ参道を進み、山門を出れば、まだまだ、尽きることもなく参拝者が、お大師様に向かっていた。