出流原湧水池&磯山弁財天、そして佐野厄除け大師を訪ねて
2010年1月10日
  
成人式を明日に迎える今日、連休の日曜日、佐野へ向かった。
空は澄み渡る快晴、東北道を進めば、青空が一面に広がる。
 
やがて、利根川を越し、埼玉に別れを告げる。
そして、群馬に入り、渡良瀬川の荒涼とした景色を見やりながら行けば、やがて、佐野藤岡ICだ。

だが、ここで思わぬ事態が発生した。
インターの6キロくらい手前から、長い長い渋滞が始まっていた。
 
仕方なく、後尾につけて、牛歩の歩みで進んだ。
やっとのことで、インターから普通道に出たが、さらに渋滞は続いていた。
 
日曜祭日になれば、毎回こんな状態だと、インターの係員の小父さんは言っていた。
佐野アウトレットモールへ向かうお客様たちなのだ。
 
なんとか、渋滞を抜けて、佐野厄除け大師に向かった。
何度も厄除けに車で出かけたせいか、迷わずに、厄除け大師様にすんなりと到着した。
 
さすがにまだまだお屠蘇気分、厄除け大師様に向かう道は、人と車で溢れていた。
通りすがりに、厄除け大師境内を見渡せば、人で埋まっていた。

駐車場も大混雑、計画を変更し、出流原湧水池へ向かった。
県道67号(例幣使街道)を進み、県道175号を行き、国道293号線との交差点を渡る。
 
すると、そこは出流原湧水池、磯山公園だった。
そして、隣り合うように、温泉郷があり、赤見温泉と書いてあった。
 
駐車場に車を停めて、湧水池を散歩する。
池にはたくさんの魚が泳ぎ、水は薄青く、時にはエメラルド色に煌めいている。

真鯉、緋鯉、青や朱色の斑な鯉、さらに、虹鱒も颯爽と泳ぐ。
そして、たくさんの水鳥が羽を休めながら、時折餌をあさる。

魚たちや、水鳥が泳ぐ度、水面に美しい波紋が描かれる。
遥かかなたの時をめぐり、古生層石灰石の中を旅して湧きいでた水。
日本名水百選、県の天然記念物にも指定されている。
 
すると、この地に、弁財天(磯山弁財天)と言う、聞いたこともないお堂があった。
冬の枯れた木立に覆われた山の中腹に、朱色鮮やかなお堂が、青空にくっきりと映えていた。
 
朱色の山門には、渡り廊下で、左右が繋がれていた。
山門を潜ると、正面に、神域磯山を守る、神の使いと言われ白蛇の像。

その左手には、にこやかにふくよかな弁財天の像が並んでいた。
そして、お堂に続く右脇の階段を上る。

やがて、鐘突き堂が右手に姿を現す。
鐘楼から見渡せば、遥かに視界が開け、佐野の風景が広がる。
 鐘楼で撞木を持つママ
さらに、階段を上ると、銭洗い弁天様の祠があった。
その前には泉水があり、この水でお金を清めると、財に恵まれるという。
 
私は欲張らず、10円玉を清め、お守りにした。
祠の中には、自然石が祀られ、石には彫りあげられたように、白蛇がはっきりと姿を現していた。
 
さらに左へ折れて、階段に向かえば、正面に弁財天の堂宇が、青空を光背にして照り映えていた。
そして、130段あまりの階段を上りきれば、三層舞台造りの入り口に到着した。
最上階への狭い階段 
靴を脱ぎ、お堂を回ると、裏手に出た。
そこに上階への狭くて小さな入り口があった。

上階へ上る木の階段は急峻で、人一人でいっぱいの狭さだった。
手すりに凭れながら上りきれば、遥か見渡す絶景が広がった。
最上階の欄干からの眺め 
昼下がり、まだ陽光にも力があり、吹きわたる微かな風も、少し冷涼だが爽やかだ。
遠くに、佐野の里山、佐野市街が見渡せ、お堂の下には、湧水池があちらこちらに点在していた。
 
この朱色に塗り込められた堂宇は、古の平安時代、藤原秀郷が勧請したと伝えられる。
藤原秀郷は、関東独立王国を築いて新皇と称した平将門を、天慶3年(940年)、
平貞盛と連合し、下総国猿島郡を襲い天慶の乱を平定した。
 最上階の欄干にて 
さらには大百足退治をしたと伝えられる、伝説の武将でもある。
琵琶湖のほとりに住む龍神一族は、長い間、三上山に住む大百足に苦しめられていた。
お堂の入り口の白蛇。自分の身体の悪いところを撫ぜると治るという
ある日のこと、龍神一族の娘に懇願された藤原秀郷は、弓矢で大百足を退治したという。
やがては、龍神の恩返し、龍神の助けにより、平将門を打ち滅ぼしたとも伝えらていれる。
 堂宇からの下りの参道
そんな歴史を懐古しながら、朱色の狭くて低い回廊から見渡せば、かつての下野国が彷彿と蘇る。
連休の日曜、この高い堂宇まで、老若男女、善男善女が、三々五々に上ってくる。

回廊の狭い階段を下り、入り口を守る白蛇を撫ぜ、堂宇を後にした。
すでに時間は午後4時を回っていた。

参道から続く階段を、時折出会う木漏れ日を楽しみながら下る。
山門を潜り、湧水池に辿り着いた。

池では親子連れが、鯉に餌を与えていた。
大きな鯉が、餌を独占、そこへ、水鳥か餌を襲う餌騒動が展開していた。

そして、池畔にひっそりと佇む湧釜神社へお参りをした。
かつて、この地は猛烈な日照りが続き、井戸水さえも枯れ始めたという。
山の中腹の磯山弁財天
村人は山の山頂で雨乞いを続けるが、祈りもむなしく雨が降る気配もなし。
二日二晩の祈りにも疲れ絶望している時、村に白装束の老人が現れた。
そして、持っていた杖で、岩を突き刺した。

すると、その岩から清冽な水が、滾々と湧き出たという。
村人たちは、養水の神、人丸様と崇め、神社を造って崇拝した。
 
その人丸神社が湧釜神社の中に、合わせ祀られている。
それ以来、旧暦6月14日に、祭りが開かれ、
神主さんの祈祷の中、神様が、ふと顔を出すとも言われている。
佐野厄除け大師本殿
神社の前の道路をから、山の中腹にあるお堂の欄干から見た景色の中、
磯山公園の湧水池より、さらに大きな湧水池が見えた。
まだ時間もあるので、私たちはその池に向かった。

すると、お豆腐と湯葉の即売と書いてある看板を見つけた。
もののついでに出かけてみた。
社務所でお札や御守を求める人々 
池を右手に、工場沿いの道路を進むと、工場の中に売店があった。
玄関を開けて、お店の中へ入った。
 
店の中には、出来たての豆腐や湯葉の試食がコーナーがあった。
小さな四角いプラスチックの容器の中に、豆腐や湯葉が盛られていた。
 
湯葉はお豆腐のように厚く、箸で掴めば、思いのほか重く、
お醤油をつけて口に入れると、もっちり、つるりと膨らむ。
そして、口の中に、豊かに大豆の味が広がる。
 
栃木県は湯葉の産地で名物でもある。
でも、湯葉がこれほどに美味しいとは、湯葉の再認識をした。
お店のおばちゃんのお勧めに従い、お豆腐、湯葉、豆乳などのセット、〆て1500円を購入した。
厄除け祈願の長蛇の列 厄除けお焚きあげ祈願の長蛇の列
お店を出て、少し歩くと、湧水池の遊歩道へ出た。
池にはボートも浮かび、若いカップルが漕いでいた。

湧水池池畔、冬枯れの雑木林の中の散策道を進むと、
そこには釣り堀があり、遠くから若者好みの音楽が流れていた。
釣り堀を抜けると、赤見温泉卿に出た。
そして、磯山公園近くの駐車場へ行き、、出流原湧水池を後にした。

午後4時過ぎ、冬日とはいえ、晴れているせいか、いまだ陽光は強い。
帰り道、佐野出身のお客様に教えてもらった、佐野ラーメン「おぐら」に立ち寄った。
しかし、お店には、順番待ちのお客様が、玄関に溢れていた。

私たちは、明るい内に、佐野厄除け大師さまのお参りを済ましたかった。
諦めて、来た道を戻り、途中、大師様近くで佐野ラーメンを食べ、大師様へ出かけた。
 
午後5時近くというのに、境内には大勢の参拝客がいた。
さらに、厄除け祈願の参拝者が、本堂まで、長蛇の列を作っていた。
やはり、明るい話題のない暗い世の中、不景気風に吹かれる御時世、厄除け祈願の参拝客も多いのだろう。

私たちは本堂で参拝を済ませ、今年本厄というママに、社務所で御守を頂いた。
でも、他の多くの神社の厄暦を見れば、ママの厄は終わっているのだが・・・・・・。
露店の並ぶ参道を進み、山門を出れば、まだまだ、尽きることもなく参拝者が、お大師様に向かっていた。