白鳥飛来地、深谷市川本地区を訪ねて
2010年1月24日

白鳥飛来地案内図


深谷市ホームページより

今週の日曜日、1月17日、埼玉県深谷市川本地区へ、白鳥を見に出かけた。
好天に恵まれ、降り注ぐ陽光を愉しみながら、正午過ぎ、
川越街道を下り、さらに東松山、小川町を経由して、深谷へ。
飛来地の場所は、全てママ任せ、朧な地図の記憶と、方向感覚に任せて進む。
やがて、深谷に、午後の2時半頃に到着した。

どうやら、この近くに飛来地はあるのだろうと、見当をつけながら車を走らせる。
正確な場所を分からず、市街地を抜けたり、長閑な里山や、冬枯れたな田園地帯を走る。
だが、白鳥飛来地は見つからず、可なりの時間を迷走する。
日も少し傾きかけ、心持、諦めの心境になった時、なんと、白鳥飛来地の大きな看板を発見した。
やはり、何事も諦めは禁物。
看板の表示に従って、かなり進むと、目的地に到着した。

原っぱの中の無料の駐車場に車を停めた。
私たち以外にも、10台以上の車が停めってあった。
車を出ると、好天とはいえ、昼下がりの冷気が肌をさした。
すると、前方の草むらの向こうに、黄色い花を咲かせた、背丈の低い木々が立ち並ぶ。
私たちは、白鳥飛来地へ行く前に、木々に足を引き寄せられた。

近づいて見れば、黄色い可憐な花を咲かせている木々は蝋梅だった。
鼻先を花に近づけると、妖艶な匂いが、鼻腔を包み込む。
造られた香りと異なり、自然の匂いは柔らかく、華やかに広がり漂う。
蝋梅の匂いに誘われるように、人々も花を訪ねる。

蝋梅の匂いの余韻を愉しみながら、白鳥飛来地の入り口から、河川敷の道を進む。
冬枯れて寂寞とした木立の中に続く道は、ごつごつした石の道だった。
かつて、ここも川底だったのだろう。
すでに、白鳥を撮影してきたのだろうか、
プロ仕様のような大きな望遠レンズ装着のカメラを担いだ人たちと、何人もすれ違った。
最近は、カメラブームなのだろう。
名所旧跡、風光明媚なところには、男女を問わず、熟年カメラマンがシャッターを切っている。

2キロ近く歩いただろうか、白鳥飛来地の案内所があり、その先に、荒川の清流が見えた。
そして、川には白鳥たちが、優雅に泳いでいた。
午後4時近くとはいえ、まだ陽光は強く、川面をきらきらと煌めかしていた。
白鳥の数は、想像した程には多くはなかった。
平成8年から続けられていた餌付けは、
鳥インフルエンザ問題や生態系などへの配慮から、今年から廃止されていた。
その影響もあるのだろうか。
かつて、平成14年に、221羽のコハクチョウを記録した事は、今となっては夢のようだ。

 川面に浮かぶ白鳥は、純白ではなく、鈍い銀白色に輝いていた。
時折、清流の中に、黄色い嘴から長い首を、水面下に沈める。
1羽が潜ると、他の白鳥も続いて潜って、逆立ちをする。
きっと白鳥の家族なのだろう。
白鳥の家族はとても仲が良く、強い連帯感を持っていると聞く。
きっと、水草や水生植物などの餌を、漁っているのだ。
その向こうに、じっとこちらを静かに眺める一羽のカラス、白鳥とのコントラストが風情を醸す。

やがて、そこに、一羽のセキレイが飛んできた。
尾羽はすーっと針のように長く、燕尾服の黒に飾り、嘴は黒光りしている。
胸前は灰白色で、なかなかダンディーにきめている。
傾きかけた、陽光に照らされた河原には、白鳥たちがユーモアを振りまきながら歩いていた。

10月から3月まで、ここで羽を休め、やがて、遥かかなたシベリアへ、4000キロの旅をする。
北海道から、千島列島、そして、アリューシャン列島を越えて、壮大にして過酷な旅をする。
そして、夏には卵を産み、ヒナを育て、やがてまた、成鳥になった白鳥を連れて、日本へやって来る。
大自然に繰り広げられる壮大なドラマ。
我々は、この地球規模の絢爛な絵巻絵を、大切にしなくてはならないだろう。