セキセイインコのピーチャンの思いで
2009年12月2日

一昨日の十一月三十日、セキセイインコのピーチャンが死んだ。
このところ、具合が悪そうで元気がなかった。
てっきり、風邪なのかと思っていたら、かなり重症なのだった。
一昨日の十時頃、娘から店に、ピーチャンが死んだと、連絡が来た。
このインコは、小鳥屋さんから買って来た時から、足の調子が悪かった。
獣医に連れて行ったら、先天的な奇形だと言われ、足に暫く添え木をした。
しかし、幸運にも元気に育った。

当家のインコは、今のインコで三代目であった。
初代は、私の店のインコ好きのお客様が、選りによって贈ってくれた。
さすがに、お目が高く、このインコは器量よしで、頭も良かった。
一番下の娘は、動物や小鳥が大好き。
幼稚園の頃、手乗りインコに育て、肩に乗せ、自転車で公園に連れて遊んでいた。

公園に行けば、皆の人気者。
娘も自慢のインコだった。
外に連れて歩けば、インコのピーチャンも少しは汚れる。
或る日のこと、娘が泣いて家に飛び込んで来た。
見れば、ピーチャンが震えている。
如何したのかと聞けば、公園で何処かのお母さんが、
ピーチャンが汚れているので、水道で洗ってくれたのだった。

小鳥の羽根には、寒さも水も防ぐ脂が付いている。
それを綺麗に洗い流したのだった。
好意でしてくれた事、悪気はない。
だが、もう少し、小鳥の事を考えて欲しかった。
ピーチャンをバスタオルで包み、上から、間接的に優しく、ドライヤーをかけてあげた。
すると、だんだんと、ピーチャンは元気になった。

よし、これで大丈夫だと安心するも、突然、立ち上がり、
元気に歩いたかと思った瞬間、ぱたりと倒れた。
最期の力を振り絞って、生きようと頑張ったのだ。
そして、娘と二人で、お墓を作って、土に埋めてあげた。
ピーチャンの悲しみから回復した頃、
ピーチャンとそっくりな幼いインコを、ママと娘が買って来た。
竹の細い餌用のスプーンを作り、
毎日、餌の穀類を、温かいお湯で食べやすくし、餌を与えていた。
その時、ピーチャンに話しかけながら言葉を憶えさせた。

ピーチャンは元気に成長した。
このインコは本当に頭の良いインコだった。
教えた言葉は、すぐに憶えてしまう。
余りにたくさん憶えすぎるので、主語と動詞がこんがらかる。
勉強をしない娘に向けて、ママは、「○○ちゃん、勉強は!」と教える。
私には、「お父さん、行ってらっしゃい!」と教えた。

すると、ピーチャンは、私に、「お父さん、勉強は!」ときた。
とにかく、こんなことは日常茶飯事。
きっと、住所でも教えれば、全部憶えてしまうだろう。
しかし、このインコも八歳くらいで、或る夏の日、昇天してしまった。
そして、我が家の三代目のピーチャンがやって来たのだった。
この頃は、すでに、子供たちも大きくなり、ママも言葉を教える情熱が薄れたのだろう。
昔ほど、熱心に言葉を教えなかった。

でも、煩いほどに、小鳥籠の中で、ピーチャン、ピーチャンとよく鳴く。
籠から放てば、如何いう訳か、私の元へ飛んでくる。
布団で新聞を読んでいれば、新聞に乗って、かつかつかつと新聞紙を嘴で噛みきる。
そして、飽きると、私の顔に乗って邪魔をする。
追い払えば、様子を見ながらまた飛んで来て、今度は私の口髭を、ちょこちょこと噛む。

休みの日など、お酒を飲んでいれば、お酒の入ったグラスに乗って、驚いたことに、お酒を飲む。
「ピーチャン、酔っぱらうよ」と追い払えば、今度は私の眼鏡に乗って、レンズの内側を覗きこむ。
少しだけしか、言葉を憶えなかった、三代目ピーチャン。
我が家のインコとして、一番の長寿だった。
享年十一歳。
籠の中で、タオルに包まれたピーチャンの眼は、つぶらに黒々と輝いていた。

まだ生きているようだ。
ピーチャンと声を掛けるが、返事がある筈もない。
身体にそっと触って見ると、あの柔らく優しい温もりはなく、身体は硬直し、背中が反っていた。
長い間、私たちを愉しませて頂き、ありがとうございました。
セキセイインコのピーチャンに、手を合わせ合掌をした。