小さな旅&日記「野尻湖&野沢温泉へ」


日曜日の早暁、関越から上信越道で、長野県野沢温泉へ向かった。
昨日の予想では、南洋諸島の沖合に、台風20号が接近。
天気は予断を許さない状況だった。

紅葉を待つ野尻湖畔
だが、蓋を開けてみれば、予想に反しての快晴、空模様は杞憂に終わった。
空もしらじらと明けてきた。
朝靄をついて走る車。
遠くに見えていた山々は、何時か我々に、覆いかぶさるように大きくなってきた。

朝の陽光が朝靄を切り裂きながら輝き始めた。
青い空は高く澄み渡り、雲海が煌き始めた。
やがて、妙高インターを下りて、国道18号を進む。
道は空いている。
窓を開ければ、爽快な風が吹き込んで来る。
湖上から吹き付ける強い風
北信州の秋、風は柔らかく、木々の香りを乗せて来る。
国道18号を南下。
まだ早朝で時間が早すぎるので時間調整。
途中で休みを暫く取った。

そして、再始動、長閑な山道をとろとろと進むと、
11時過ぎ、野尻湖に到着した。
山々に抱かれて、静かに佇んでいる。
まだ紅葉狩りには早いのだろう。
ほとんど人影もなく、寂しいくらいだった。

湖上を渡る風に吹かれながら散策していると、急に観光客が増え始めた。
観光バスでやってきた、お年寄りの集団だった。
腰の少し曲がったお婆ちゃんたち。
ガニ股で、肩は厳つく、小柄だが、身体が右に傾いたお爺ちゃんもいる。

湖の彼方の山々を見渡せば、まだまだ、紅葉には早いようだ。
きっと、あと、2週間位で、山々は錦繍に彩られるだろう。
残念なことに、今回の旅、紅葉は諦めることにした。

観光客の一団は、皆元気に賑やかだ。
このご老人たいがいたからこそ、今の日本があるのだろう。
顔にも、歩んで来た風雪が刻まれている。
素敵な日本人の、誇り高い顔だ。

そして、野尻湖を後に、11時40分過ぎ、野沢温泉に向かった。
今度は一転、県道97号を北上する。
整備された道路の上り道、軽快に進むと、斑尾高原に到着した。
野尻湖駐車場から望む山は、微かに紅葉していた。
道路脇にはすすきが風に揺れ、
白樺の白と紅葉の赤や黄が美しいコントラストをなしていた。
時間はすでに、12時半近くだった。
空は見事に、青く晴れ上がっていた。

ここから、飯山に抜けて、県道97号を下って行く。
やがて、飯山の市街地。
さらに、進み県道410号に出る。
斑尾高原
そして、標識に、上越、新井、十日町が出現した。
このあたりは、すでに、長野の北限に近い。
新潟県とは、ほとんど接しているに等しい。
畑には、刈り取られ、脱穀を待つ、黄金色の稲が吊るされていた。
やがて道は緩やかにカーブしながら、鄙びた風景を愉しみながら進む。
時間は、かろうじて午後2時前。

まだ時間に余裕がある。
途中、右に切れて、北竜湖へ。
道は、くねくねと蛇行する細い1本道。

ママはこんな悪道を苦にしない。
対向車もなく、すいすいと飛ばせば、程なくして、目的地に着いた。
駐車場の前には、北竜湖が静寂を湛えていた。
湖を抱く山々は、微かに秋色をしていた。
私たちは、小さな坂を下り、湖畔に出た。
湖畔には、家族づれが一組いた。
そして、静かな小さな湖の湖畔で、美味しい空気をいっぱいに吸った。
昼下がりの陽光に、山々は息ぶき、湖上には微かに、波紋が描かれていた。
小さな小さな湖だが、何処か神秘さを秘めた、凛として気品のある湖だった。
さて、これからが本番、最終目的地、野沢温泉に向かった。

北竜湖に別れを告げ、来た道を戻り、
国道117号へ出て、一路、野沢温泉へ。
20分位で、野沢温泉に到着した。
さすがに、温泉街、犇めくように旅館が立ち並ぶ。

道は狭く入り組み、下りやら上りやらで忙しい。
果たして、私たちが泊まる旅館に、辿り着けるか不安になる。
途中、買い物ついでに尋ねれば、すぐ近くまで、すでに来ていた。

駐車場に停車して、旅館に入れば、チェックイン予定の3時の30分前。
だが、すでに、私たちの部屋の用意は整っていた。
3階の部屋へ通されて、やっと1日のドライブは終わった。

一休みして、旅館で購入した集印帳を手に、
野沢名物の外湯巡りを始めた。
外湯は13もある。
渋温泉では、9プラス1だった。

なんとか頑張って、満願成就といきたいもの。
浴衣に雪駄の出で立ちで、昼下がりの温泉街へ繰り出した。
玄関を出て、坂道をあがると、そこは「麻釜湯」。

扉を開けて中へ。
脱衣所があり、他には何もない。
トイレさえ付いていない。
ガラス越しに、湯船が見える。
中には、数人の入湯客がいる。
裸になり、引き戸を開け中へ。

桶で湯船の湯を掬い、身体を軽く洗い、湯船へ。
微かに硫黄臭が鼻を突く。
湯船には湯の華が舞い、薄い乳灰色。

温泉の風情たっぷりの湯だ。
源泉は83度というから、かなり熱い。
湯船はこじんまりとしている。
4、5人も入ればいっぱいだろう。

だが、私は熱い湯には、かなり強いたち。
別にやせ我慢ではなく、深い湯船に深々と肩も沈める。
まだ、時間は日曜の3時過ぎ。
旅行客はいず、ほとんどが地元の人のようだった。
何か親しげに、四方山話をしている。
そこそこに、切り上げ、浴衣に着替え、次に向かった。
凛と静寂をたたえた北竜湖
外へ出れば、上気した顔で、ママがすでに待っていた。
そして、さらに、少し上ったところに、格調高い姿の「大湯」があった。
大湯は野沢温泉の象徴的存在らしい。
湯屋の中はかなり広く、どっしりした梁の上、湯抜き窓も高かった。
木造りの湯船は二つあり、手前は「ぬる湯」、奥が「あつ湯」だった。
「あつ湯」には子供がいた。

大人たちの声援で、子だもが、顔を真っ赤にし、我慢して入っていた。
どうやら、課題の数だけ、湯船に浸かれば、何かを買って貰えるらしい。
子供は必死に耐えて、どうやら目標を達成したらしい。

何せ、「あつ湯」は48度位あるし、「ぬる湯」でも45度はある。
しかし、たかが3度と言うなかれ。
この湯温の差が、恐ろしい差に感じるから不思議だ。

湯はうっすらと、黄色をおび、顔にざぶりと掛けたら、微かな塩味と硫黄臭があった。
湯船は広く、ゆったりと両足を伸ばした。
そして、旅情に浸る間もなく、次の外湯巡りに出かけた。

外湯巡りとは、なんとも忙しいもの。
地図を頼りに、「松葉の湯」に向かった。
だが、温泉街は迷路状態。
雨に濡れた野沢温泉街
温泉街から少し離れた所に、寺社造り風の建物があった。
1階は色気のないコンクリが剥きだし。
そこは地元の洗濯場らしい。

コンクリ剥き出しの階段を上がると、そこが浴場。
ドアを開ければ、脱衣所があった。
他の外湯とも同じように、殺風景な木の棚があるだけ。
外湯のシンボル「大湯」
湯船はこじんまりとして、4、5人も入れる広さ。
薄青い乳白色の湯だった。
湯の華が微かに漂い、気にならないほどの玉子臭がする。

湯はやはり熱めだが、じっくりと肩まで浸かれば、湯味を楽しめる。
さすがに、湯沢温泉、何処でも源泉掛け流し。
溢れるほどの湯量が、惜しみなく湯船に流れ落ちる。

湯船の横では、シャンプーで頭を洗っている人もいる。
シャンプーの匂いが流れ、温泉の心地良い匂いに混じる。
外湯では、身体を洗うことは禁止されていると聞く。
建命寺のお堂
だが、地元の人は特別なのだろ。
もともとが、外湯は地元の人たちのものだ。
、「湯仲間」という地元の人が、維持管理運営し、旅行者に開放している。
旅行者たちは、その外湯をお借りしているのだ。

外湯平均滞在時間は20分位だろうか?
外湯巡りとは何とも慌ただしい。
まだ訪れた外湯は三つ。

まだまだ、残るは10。
地図を頼りに、次を目指した。
しかし、貰った案内地図では分かりずらい。
お店の人に聞いて、やっとのこと、「十王堂の湯」に辿りついた。
気韻が漂う本堂
野沢温泉は、かなり起伏も多く、さらに入り組んでいる。
出来ることならば、要所要所に案内板が欲しい。
探すのに苦労で、湯に浸かる時間より、探す時間が多いくらいだ。

全て外湯を制覇することは、早々と断念した。
そして、「十王堂の湯」、「秋葉の湯」、「河原の湯」から出てきた頃、すでに日は傾いていた。
夕飯は6時、すでに、5時を大きく回っていた。

私はあと一つ、旅館の近くの「上寺湯」へ向かった。
ママはここで、本日の湯巡りを完了した。
旅館の前を少し下ると、二差路の角に湯小屋はあった。

戸を開ければ、やはり、脱衣所と湯船が、一体型の構造で仕切りはない。
御影石造りの小さな湯船には、5人の団体が占拠していた。
私は軽く身体を流し、順番を待っていたら、先客が空けてくれた。

湯は少し熱めだが、決して、熱過ぎることはない。
きっと、満杯状態で、湯温が下がったのだろう。
団体が去って、独りの湯船で足を伸ばし、一日の湯巡りの最終章を味わう。

すると、そこに、小柄なご老人が入って来た。
挨拶をすると、色々と野沢温泉のことを教えてくれた。
土地の人は、誰も体つきががっしりしていて、健康そのもの。

老人といえども、贅肉はなく、骨格がしっかりしている。
やはり、肥満は、運動不足やストレスの都会病なのだろう。
ご老人は、毎日、温泉を愉しみに来るという。

自然の恵みを堪能できる、なんとも贅沢な毎日であろうか。
ここからすぐの所に、「真湯」と「熊の手洗い湯」があるという。
「熊の手洗い湯」は、今時、地元の人でいっぱいだそうだ。

ぜひとも、出来るならば、地元の湯自慢の一つ、
「熊の手洗い湯」へ、明日の早朝、出かけることにしよう。
今日の外湯巡りは終わりにして、旅館の湯で、
一日の疲れを、ゆったりと落とすことにする。

旅館の風呂は大浴場と露天風呂と二つあった。
大浴場は石造りで広々としていた。
すでに、4人がゆったりと湯船に浸かり、まったりと心地よさそうだった。

私も身体を洗い、湯船に浸かり、のびのびと足を伸ばす。
湯は透明で、掬いあげれば、微かに硫黄臭が鼻先に残る。
そして、大浴場を出て、扉を開け、露天風呂へ。
うっすら灯る明かりの下、岩造りの露天風呂へ。

湯温は気持ちよく、湯は灰乳色。
強い硫黄の匂いが漂う。
湯の中には、無数の湯の華が咲いていた。

ここは、「真湯」が源泉、源泉掛け流しの湯が流れ落ちている。
今日一日、無事に旅は終わった。
夕飯は6時。
湯を出れば、野沢温泉郷の里の味が愉しめる。

翌朝、6時半に目が覚める。
早速、予定の湯巡りに出かけた。
目的は、野沢温泉発祥の湯とも言われる「熊の手洗い湯」
生憎、外は雨だった。

旅館の傘を借り、出かけた。
昨日、湯巡りの最後に入った「上寺湯」の二差路を右に進む。
すると、朝どりの野菜を抱えたお婆ちゃん、
「湯に行くんかい?熊の手洗いなら、そこの道を上がったすぐ左」
私たちは、一本、路地を行き過ぎていた。
そして、教えられた通り、外湯はあった。
なんの変哲もない、鄙びた風情の湯小屋だった。
扉を開ければ、すぐに、脱衣所と湯船があった。

さすがに、まだ時間も早いせいだろう、地元の人が3人だけだった。
手前の湯は少し熱めで、地元の人でさえ、じっくりと浸かる人もいなかった。
そして、その隣の湯はぬるめで、身体を包みこむように柔らかだった。
湯は透明で、湯の華がゆらゆらと漂っていた。
野沢温泉の湯巡りは、「熊の手洗い湯」で終わった。

旅館に帰り、浴場へ向かう。
大浴場には、ほとんど人影もなく、露店風呂に入る。
陽光がさせば、湯の色がいくえにも変わり、時にはエメラルド色に煌くそうだ。
しかし、今日は雨、昨日と同じ湯色をしていた。
露天風呂の横を流れる、雨で増水した小川の瀬音も、旅情を誘う
源泉温度90度の弱アルカリ性硫黄泉「麻釜」
朝食を8時に摂り、10前にチェックアウトをした。
旅館の駐車場に車を置いたまま、辺りを散策した。
雨に濡れた温泉郷には、観光客の姿も疎らで閑散としていた。
土産物屋が立ち並ぶ狭い上り坂を進めば、正面に湯沢神社。

100段もある急峻な石段のかなたに、社殿の屋根が見える。
一段一段と確かめるように登る。
雨に煙る杉の大木から、杉の精が心地よい香りを乗せて流れる。
登り切れば、1765年の造営と伝えられる社殿があった。

越後国頚城郡の岩崎嘉市良重則作の彫刻の向拝。
正面中央には、三条実美の揮亳の扁額が掛っていた。
毎年9月8、9日の例祭になれば、猿田彦神の”シメ切りとともに、獅子舞も登場。
灯籠祭りも華やかに、繰り広げられ、
打ち上げられる花火が、夜空を色鮮やかに彩るという。

私たちは、お賽銭を上げ、大鈴を鳴らし手を合わせる。
だが、今は、寂しく雨が降り落ち、境内には人影もなく、雨音が石段に響く。
そして、雨に煙る老杉の中、隣の健命寺へ向かった。
程なくして、坊舎があり、古錆びたお堂がある。
さらに、秀麗な二層の塔、薬師堂が建っていた。
ここには、上杉謙信の陣中陣中守り本尊だったと伝わる、
薬師瑠璃光如来が祀られている。

境内の中央には、本堂が静謐のなか、雨に濡れながら、気韻を湛えていた。
本堂でお参りを済まし、鐘楼脇を抜け、階段を降りる。
見上げれば、杉の木に巻きつく蔦が、鮮やかに秋色を演出していた。

趣のある山門から見上げれば、薬師堂が、杉木立の向こうに、
雨に煙りながら、艶麗な姿を映し出していた。
何気なく、前を見れば、そこには、野沢菜発祥の、
地の大きな記念碑が雨に濡れて黒光りしていた。

宝暦六年(1765)、この寺の8代目住職晃天園瑞(こうてんえんずい)が、
京都遊学の帰途、天王寺蕪の種子を持ち帰り植えたところ、
野沢地方特有の風土により、葉茎の長い現在の野沢菜に変種したとされる・
野沢温泉には、至る所に、道祖神が祀られていた。
雨は降り止む気配もなく、大地に落ちた赤銅色の広葉樹の葉を濡らしていた。
ここから、足を少し伸ばせば、
源泉温度90度の弱アルカリ性硫黄泉が、湯煙をあげる「麻釜」はすぐだ。

「麻釜」とは奇妙な名だが、かつて、この湯で麻を浸し、麻皮をするり剥いたという。
「麻釜」は、雨と湯煙がハーモニーとなって、風情を醸していた。
煙越しに時計を見れば、時計の針は10時46分だった。

「麻釜」に繋がるこじんまりとした土産物屋街を抜けると、足湯があった。
足湯の椅子に腰を下し前を見れば、野沢温泉街が見渡せる。
その向こう彼方に、小高い山々が煙雨の中、墨絵のように広がっていた。