後厄も終わり、お礼のお参り、佐野厄除け大師へ
2009.8.16(日)

8月13日で、私は62歳になった。
若い時は、自分が62歳になることなど、想像だにできなかった。
だが、人は、生きてさえいれば、確実に歳をとるのだと実感する。
振り返ってみれば、それなりに、自分の人生の中に波涛もたった。
その中で、無事、齢を重ねてこれたのだから、これはこれで、幸運だと考えるべきだろう。

還暦が来て、最後の前厄。
そして、本厄を通過して、後厄を、62歳の誕生日をもって終わった。
これから先、幾ら生きていようとも、もう厄とはおさらばだ。
佐野厄除け大師さまには、何度、お世話になったことだろうか。
何時も都合のよい時だけのお大師さま巡りだった。

そこで、今回は、無事、最後の厄に、
別れを告げたお礼に、佐野厄除け大師さまへ出かけた。
外環から、東北道へ出て、一路北上。
足利のフラワーパークへ、絢爛豪華な藤を見物に、出かけて以来の東北道。

真っすぐに突き進む道。
空は青く広がり、綿雲を千切ったような白雲がたなびく。
やがて、利根川を越せば、遠くに山々が幾重にも見える。

しかし、穏やかな青空ながら、ぼんやりと山々は、微かに朧に霞んでいる。
渡良瀬川を渡り、ほどなく進めば、佐野藤岡インター。
降りれば、国道50号に出た。

左手に、佐野アウトレットモールを見ながら進み、
2キロほど行けば、そこにお大師さまへ続く道がある。
何時も気をつけているのだが、何故か行きすぎて、苦労することが多い。
無理もない。
反対車線から来れば看板はあるのだが、
こちらから来た時には、佐野厄除け大師の看板がない。

しかし、今回はどんぴしゃり、佐野厄除け大師さまへの道へ、右にハンドルを切った。
昔からの旧道なのだろう。
くねくねと曲がった道を進み、広い道を右に切って進めば、やがて門前町に出る。

さすがに、午後の2時頃、道路は空いていた。
真っすぐ昼下がりの夏日も強い道を進めば、
お大師さま境内の駐車場に車を置けた。
外へ出れば、境内には、お盆の送り火が灯っていた。

夏花の描かれた化粧紙、捲かれた太いロウソクの火が、
微かに流れる風に、ゆらりゆらりと揺れている。
そして、思い思いに火を点けたロウソクを、金属のパイプに吊下げる。
今日は8月16日、千灯供養に日だったのだ。

お遍路さんが着るような、白衣姿の娘さんたちが、火の手入れをしていた。
石畳の参道を進めば、朱色の水子地蔵尊が正面にある。
前の大香炉には、お線香の煙が、もくもくと揺れながら漂う。
香炉の前を左に進めば、そこに本堂があった。

今日は盆の送り。
金色のお釈迦様が鎮座し、その横に、甘茶と柄杓が置いてあった。
その柄杓で、お釈迦様にを甘茶掛けて、
鐘を木槌で一つ打ち、手を合わせると書いてあった。
作法通り、丁重に、心を込めて、甘茶を掛けて、鐘を打ち拝礼する。

鐘の清澄な響きの中、無事、厄を終えてありがとうございましたと。
私たち家族、親族が、毎日、つつがなく生活出来ることに感謝をする。
さらに、最近、気がかりなことが一つあるので、それも祈念した。

何時もは、お賽銭は百円なのだが、今日は厄除け満願成就。
なんと千円も奮発した。
すると、どこか、吹く風も爽やかに、
空の青さがさらに澄み切っているように思われるから不思議だ。

青空の中、ゆっくりと白い綿あめのような雲が流れている。
深い陰翳の境内の木立から、
蝉の声が、盆の送りの境内の静寂を際立たせる。
本堂の隣には、お守り札所がある。

娘の為に、可愛い童女が縫いこまれた、身代わりお守りをいただく。
「18日の検査が、何もありませんよう」の思いを込めて頂戴した。
そして、その隣の子育地蔵尊前、
石造りの愛らしいお掃除姿のお掃除小僧さんがいる。

ママがごしごしと束子で、地蔵さんを洗っていた。
佐野厄除け大師様を訪れる時は、
何時もは寒い時期なので、お地蔵さんも、凍えそうだった。
だが、今日は夏の昼下がり、とても気持ちよさそうだ。

すると、通りかけたお寺の関係者が、
「たくさん磨いてくれて、お地蔵さん、気持ちよさそうだよ」
と言って、笑顔で通り過ぎて行った。
私も同じように、お地蔵さんを、ごしごしと磨いてあげた。
さすがに、夏の水は生温かく、気持ちよかった。

お隣の水子地蔵堂横では、盆の送りのロウソクを千円で頂く。
化粧紙に私たちの名前を書き込んだ。
すると、ロウソクを渡してくれたお婆ちゃんが、
わざわざ、何処へやらから、供物を持ってきてくれた。
「あとで、みなさんで召し上がってください」

年輪を重ねた皺の深いお婆ちゃんに、笑顔が溢れていた。
参道を進み、ロウソクに火を灯して、ロープに下げた。
厄除け満願の日が、お盆の送りの日に、偶然にも重なった。
人生の功徳を積んだようで、とてもとても清々しい、記念の一日になった。