行田市「古代蓮の里&埼玉(さきたま)古墳群」へ
2009年7月26日

お昼過ぎ、埼玉県行田市の「古代蓮の里」へ出かけた。
古代蓮の里には、41種類の花蓮が咲いているという。
1400年から3000年前の行田蓮(古代蓮)は、なんと8万株に及ぶ。

このところの愚図ついた天気が嘘のように快晴。
中天に太陽がぎらぎらと輝いていた。
近くの公園の桜の樹の葉が、さわさわと風にそよいでいた。
車のドアを開けると、中から熱気が噴き出してきた。

高島通りから、中山道を一路、夏の照り返しの路を進む。
荒川を越し、さらに北上して一時間半、目標の地に到着した。
駐車場は、有料のはずが、昼下がりの午後、無料で解放されていた。

広い駐車場は疎らだった。
私のお店に来るお客様に、早い時期に、
そして、早朝行くように、何度も勧められていたが、
この日、この時間にしか来れなかった。

毎週の日曜、何かと用事が重なっていた。
そして、土曜日は朝近くまでの営業。
寝ないでの運転は、居眠りが怖い。

写真好きのお客様は、すでに、3回もここを訪れている。
先週の土曜日も店に来て、
「マスター、もう、今年の蓮は期待できないよ」と託宣された。
車を降りれば、前に蓮池が広がる。

そして、様々の色の蓮が、恥ずかしそうに、心持、花弁を開いていた。
やはり、早朝でなければ、花芯まで見せて、花開くことはないのだろう。
蓮花にころりと乗った朝露の水玉、朝の陽光に、水晶のごとく煌く。

そして大輪の花が、水面に深い影を落とす。
そんな光景が目に浮かぶ。
やはり、お客様が言った通り、すでに、
最盛期は終わり、名残の蓮になっていた。

さらに、庭園の遥か先にも、広々と蓮池が広がっていた。
強い夏の陽光、身体から汗が噴き出てくる。
蓮池の散策回廊を渡ると、時折、生暖かい風が渡る。
空は何処までも青く、雲は真綿のように白い。

やがて、水生植物園の蓮池の淵、木陰にベンチが幾つかあった。
さすがに、焼きつけるような太陽。
ここで、一休みすることにした。

そして、幾分かの涼を愉しんで、また、散策路を歩きだした。
やがて、川場の夏草が生い茂る川に掛けられた橋を渡ると、
何処からか、船の櫓を漕ぐように、大きな牛蛙の鳴き声。
空に響くアブラゼミの暑苦しい鳴き声。

遠くには、青空を突きさすように、地上50メートルの眺望タワーが建っていた。
やがて、広い芝生を抜け、人口の川のせせらぎ。
陽光に川面が、銀鱗のさざ波を描きながら流れていた。
次回、きっと、最盛期、早朝の蓮園に来てみようと決めた。

そして、埼玉県の県名発祥の地、「埼玉(さきたま)古墳群」へ出かけた。
道に迷うこともなく、20分ほどで到着した。
無料の広い駐車場は閑散としていた。

車を置いて、陰翳の濃い桜並木を抜けていくと、
日本最大の円墳、6世紀前半に築造された 丸墓山(まるはかやま)古墳
(直径は105m、高さは18.9m)があった。

この桜並木にも、古の歴史がある。
天正18年(1590)、豊臣秀吉は小田原城を攻略。
別動隊の石田三成は、北条方についた忍城(おしじょう)を水攻めにして攻撃。
その時築いた大堤防の一部がこの桜並木。
現在は「石田堤」と呼ばれている。

見上げれば、急峻で険しい土を抑える木組みの階段。
ぎらぎらと太陽が照り返している。
一瞬のためらいの後、一段一段と登る。

登りつめた墳頂は、大きな丸い土俵のようであった。
周りには、桜の古木が5本、円墳を護っていた。
遥か彼方、四方八方を見渡せる眺望は美しい。。
遠くに、青空の下、緑に彩られた畑が広がる。

そして、集落が長閑に点在している。
遠くから吹き渡る風は爽やかに薫る。
水責めのさい、石田三成は、ここに陣を構えたのも頷ける。
そして、来た階段と反対側に造られた階段を降りる。

下りの階段、意外にも、上りの階段よりも、かなりの厳しさ。
やがて、地上に降り切り、夏草が茂り、雑木の木陰の道を進む。
すると、遠くに、稲荷山古墳や二子山古墳が見える。

小高い墳墓を登る人が、空に描かれたシルエットのように浮かぶ。
私たちは、遠くに広がる墳墓を眺めながら、
古代の歴史ロマンに浸りながら、クローバーに浮かぶベンチに座る。

すると、拡声器から、夕焼け小焼の懐かしい愛唱歌が流れてきた。
公園の時間を見やれば、ちょうど5時だった。