春!、三保の松原へ
2009年3月23日(日)

旅先の朝は早い。
やはり、飲む酒が少なくなって、早く寝るからだろう。
昔なら、ぐずぐず、窓辺の椅子に座り、窓外の夜景でも愉しむうちに、
ついつい、飲みすぎての夜更かし。
翌日は、早起きも出来ず、二日酔いでの食欲不振。
美味しい料理に舌包みも打てず、残念やら情けないらの旅が多かった。
 
やはり、歳なのだろうか?、すっかり、早寝早起きになった。
それでも、商売柄か、就寝は深夜の1時頃にはなるのだが。
でも、起きるのは、6時ごろと早い。
今日も同様な起床。
早速、朝風呂を浴びに出かけた。
春の静岡といえども、早朝はまだまだ冷涼な空気が流れている。
 
廊下へ出れば、さすがに、人の気配はない。
エレベーターで1階へ降り、大浴場へ。
中へ入ってみれば、すでに、先客がそこそこにいたのには驚いた。
身体を洗い、鬚を剃って湯漕へ。
湯は柔らかく、身体を優しく包む。
頭からざぶりと湯をかぶれば、流れ落ちる湯が唇を洗う。
 
懐かしい磯の匂い。
口に流れた湯は、天然塩の味が膨らむ。
三保の松原の砂洲から溢れ出る、天然100%の温泉。
湯はうっすらと霞み、温泉の浮遊物が漂う。
手足を伸ばし、大きく空気を吸いこめば、身体の細胞が脈躍する。
 
隣の冷泉と交互に湯を愉しみ、そして、ハーブ湯へ。
昨日はピンクのワイン風呂。
今日は緑のお茶の湯だ。
すこし、ぬるめで底浅の湯船は愉しい。
身体も温まり、大浴場を出て、
木の階段を下ると、そこは露天風呂。
 
岩に囲まれた露天風呂の前に、小庭が広がる。
その木塀の向こうに、新緑を待つ、枯れ梢の雑木林。
そして、広い空が広がる。
どうやら、今日は晴れのようだ。
雀たちが賑やかに、鳴き戯れていた。
早朝の露天風呂は気持ちが良い。
 
風呂を出て、そして、8時に朝食。
2階のホールへ行けば、広い食堂はすでに、満席状態だった。
老若男女の家族づれで溢れていた。
今日は月曜日。
普段なら空いているはずなのだが?
今はすでに、子どもたちは春休みなのか。
十二分に食事を愉しみ、10時前に、ホテルをチェックアウトした。
 
ホテルから、三保の松原海岸へ。
天女が舞い降りたという「羽衣の松」まで、隣り合わせる程の距離。
海岸へ続く松の生い茂る遊歩道前に、江戸中期に建立された、
入母屋造りの御穂神社(みほじんじゃ)。
今でも、羽衣の切れ端が、大切に保存されているという。
神社の駐車場に、車を停めて参拝をした。
 
空には青空が広がり、境内には、朝の陽光が落ちていた。
私たち以外、参拝客もいず、静謐な空気が漂う。
飾り気がなく、どこか鄙びた佇まいを湛えた姿に、懐かしさを憶える。
 
そして、松並木の遊歩道を横に見ながら、隣を走る道を進めば、
「羽衣の松」の駐車場。
すでに、観光バスが2台ほど停まっていた。
車を駐車して、階段を上れば、すぐに、幾星霜、
浜風を浴びた松が、優雅に優美な姿で踊っていた。
 
午前の強い陽が、松林に深い陰翳を刻む。
木々の影が、地面に影絵を描く。
その彼方、広く青い海が広がり、そして、空いっぱいに青空と水平線。
空には雲海も輝き、浜辺を、寄せては返す強い波が洗う。
だが、期待した美麗な富士山は見えなかった。
駿河湾に、裾野も優美な秀麗、
雪を戴いた富士山を見にここまで来たのだが。
 
晴れてはいるのだが、春霞、念願の富士は幻に終わった。
2年ほど前に、ここに来た時も、やはり、富士山を見ることは出来なかった。
静岡に富士山。
当たり前にことなのだが、静岡で富士山を見るのは、意外に難しいのだ。
砂山に座り、洋々と果てしなく広がる海。
浜風を胸一杯に吸い込み、海辺を後に。
樹齢650年の老松、三保の「羽衣の松」の前で、
観光客が、記念写真を撮っていた。