静岡浅間神社(あさまじんじゃ)を訪ねて

2009年3月22日(日)

早朝、静岡県の三保の松原へ向かった。
だが、旅の空、最近の旅にしては生憎の天気。
雨がやるせなく降り続ける。
桜の開花を待つ3月、せっかく膨らんだ蕾も萎みそうなせつない雨。
東名高速を走り、富士川を越しても、もちろん、富士山が見えるはずもない。
 
沼津から高速を降り、早朝の東海道を下り、清水へ。
さらに進めば、静岡市内へ出た。
JR静岡駅から目抜き通りを進み、右に切れば、徳川家康の居城駿府城。
堀端沿いに進む。
城址の桜は、まだまだ開花を待つ気配。
お堀の水面に雨のさざ波。
 
やがて、交差点を左に切れば、浅間神社に到着した。
駐車場に車を入れれば、傘をさした係員が誘導してくれた。
てっきり、有料だと思いきや無料だった。
傘をさして、外へ。
総門へ向かった。
 
総門の手前に、神厩舎があった。
神様に仕える白馬、神社の境内には、いまだに、生きた白馬がいることも多い。
白漆は乳白色に鈍く光る、白馬の木彫が祀られていた。
「叶馬」、名工・左甚五郎の作と言われる。
かつては2頭の木の白馬がいたという。
安永の大火、2頭は三保の明神に逃げた。
やがて、鎮火するも、1頭はその場に残り、1頭は戻ってきた。
 
ポニーを少し大きくした位の大きさの、白馬の眼は黒々と愛くるしい。
馬房の祠は明かりなく暗いが、神馬の白が、くっきりと浮かび上がっていた。
神鈴を鳴らし、お賽銭をあげる。
そして、参道へ進めば、小さな岩から、水が一筋流れ落ちていた。
それは井戸から流れ落ちる御神水。
手と口を清める。
 
参道から総門を見やれば、門が額縁となり、
まっすぐ延びる参道筋に並ぶ家並が見える。
総門を背にして進むと、楼門が威厳をもって構えている。
左右に武者の座像を従えていた。
門の欄間には、金彩色の大きな龍がこちらを睥睨していた。
「水飲み龍」、名工・左甚五郎の作と伝えれれる。
安永の大火、口から水を吐いて、御殿を守ったと言われている。
 
楼門を潜り行けば、正面に舞殿。
歴史を感じさせる裸舞台は、どっしりと境内中央に構えていた。
この舞殿で、かつて、能楽の始祖・観阿弥が舞ったと言われている。
そして、舞い納めた4日後に、この世を去ったという。
その後ろには、高さ25メートルに及ぶ、彩色優美な拝殿が控えている。
一つの拝殿が、二つに分かれている不思議な神社。

中心から右手側は神部神社(かんべじんじゃ)。
主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)
別名は大国主の命。
約2100年前、崇神天皇の時代、つまりは、登呂遺跡時代に鎮座と伝えられる。
さらに、平安時代には、国司崇敬の神社になり、駿河の国の総社となった。
 
中央、左は浅間神社(あさま神社)
主祭神は木之花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)
平安時代の延喜元年(901年)、醍醐天皇が勅願し、
富士山本宮浅間大社の分霊を、神部神社の隣に、富士新宮として祀った。

雨は間欠的に、強く弱く降り続ける。
桜の咲き匂う季節だが、雨は冷たく、止む気配もない。
古錆びた回廊を潜り抜けると、社務所があった。
赤袴に純白の着物姿の巫女さんが、お守りなどを広げていた。
さらに、傘をさしながら進めば、
趣のある参拝者休憩所があり、中で休む人もちらほら。

そして、隣り合わせるように、木造平屋の寝殿造りのような斎館が、ひっそりと人気なく佇む。
やがて、右手に、八千戈神社(やちほこじんじゃ)。
主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)の荒御魂。
入母屋造銅瓦葺、彩色鮮やか、何処か日光の徳川家光廟大猷院を偲ばせる。
蟇股の二十四孝彫刻はつとに有名らしい。
武道や開運の神様だそうだ。

雨に濡れた境内をさらに進めば、右手に急峻な階段が見える。
左手に、神池がひっそりと深い藍色を湛えていた。
大山祇(おおやまつつみ)を主神に祀り、
日本武尊を配祀する麓山神社(はやまじんじゃ)参道、百段が聳える。
とてもじゃないが、雨の中、階段をの登る気にはなれない。
横目に見やりながら進めば、なだらかな階段があり、
賎機山古墳(しずはたやまこふん)の看板があった。
 
きっと、この階段を上れば、先ほどの階段の頂上へも出れるはず。
雨に濡れた木々からは、芳香が漂う。
やがて、左の眼下に、市街地が雨に霞みながらも遠望できた。
さらに、上り進むと、麓山神社(はやまじんじゃ)の標識。
行くべきか、引き返すべきか迷っていると、犬の散歩の女性と出会った。

麓山神社まで、何分くらいかかるのか訊いたら、
往復で40分は掛るだろうとの答え。
我々は即座に、行くことを断念して、道を戻り下る。
すると、そこに、予想していた百段があった。
下から見上げれば、険しくも襲いかかるほどに急勾配の階段。
上から見下ろせば、直角に思えるほどに怖い。
雨に濡れた狭い一段一段の階段を降りる。
足もとに注意しながら、手すりを頼りに下まで無事到達した。
 
そして、ぶらりぶらりと、境内を歩きながら、浅間神社の回廊へ。
雨足も激しく、朱色に塗られた回廊で雨宿りしていた。
回廊には、甲冑やら武具など様々な宝物が展示されていた。
すると、帽子を粋にかぶった年配の男の人が、笑みをたたえながら近づいてきた。
そして、浅間神社にまつわる、たくさんの由縁や歴史・来歴などを説明してくれた。
自分たちの生活する場所に誇りを持ち、そして愛している。

たくさんの歴史を語る語り部のように、私たちに愉しく語ってくれた。
観光客として、足早に流すように見物して終わるはずが、
地元の歴史ボランティーアーの説明により、様々な歴史が、愉しく深く学ぶことができた。
雨は一向に止む気配はなかった。
 
だが、雨の中、傘をさしながら、
本居宣長、平田篤胤など、国学の4大人を祭神とする、
玉鉾神社(たまぼこじんじゃ)を案内してくれた。
さらに、医薬の神として、古来から尊崇されている、
少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)蟇股に施された、立川流干支彫刻。
外には10の干支が彫られ、「子」「丑」は内部に鎮座していて、
外からは見えないと、ユーモアを交えて教えてくれた。

旅先で、親切に出会うと、その土地が好きになる。
そして、その恩を他人に伝えたくなる。
伊豆に行っても、浜松に行っても、静岡の人は優しい。
だから、年に、何回も、静岡に旅をしてしまう。
観光ボランティアガイド・小倉通男さま、愉しいガイドをありがとうございました。