国立新美術館「加山又造展」へ

2009年2月15日


14日(土)と15日(日)と久しぶりの連休。
14日は所用で取手へ、そして今日、15日は国立新美術館へでかけた。
うららかな春日に恵まれた連日。
昨日などは、東京でも20度を超す。
小田原では、なんと、25度を超す夏日だった。

先日、お客様から、私が加山又造を好きだということで、
加山又造展の招待券を2枚頂いた。
会期は3月21日まであるが、早めにと出かけることにした。
何時も、まだ大丈夫と油断をしていて、ついつい行きそびれること、枚挙に尽きない。
私が加山又造の画集を買ったのは、34年ほど前の事になろうか。
料理屋で支配人をしていたころのことだ、
店の旦那と伊東酒販の旦那が、よく日本画談義をしていた。
そのころすでに、伊東酒販の旦那は、伊東近代美術館を、諏訪湖の湖畔にに建てていた。
伊東深水とは同じ姓で無類の親友。
かつて、深水画伯を経済的にもかなり支えた。

美術館内
まだまだ無名のころの画伯の絵を買い支えてもいた。
だから、伊東深水画伯の作品の展示には、大いに見るべきものがある。
さらに、平櫛田中氏とも懇意にし、平櫛氏の彫刻も豊富だった。
私の旦那もそんなわけで、伊東深水画伯の絵や、
平櫛田中氏の木彫や篆刻も保有していた。
当時、料理屋の座敷の部屋の掛け軸や書画を、
季節の折々に替えるのも私の仕事だった。
店には川端龍子の直弟子さんも来ていた。

そこで、洋画しか興味のなかった私も、日本画の勉強をすることとなった。
そんな折、出会った現役の日本画家が加山又造だった。
そして、国立近代美術館の第1会場の壁面いっぱいに飾られていたのが、
加山又造の3部作「雪・月・花」だった。
その壁面を埋め尽くす絢爛な世界に、圧倒されたのを今でも覚えている。
それ以来、加山又造の絵を、写真や画集でしか見ていない。

家を出て、一時間ほどで、六本木近くの国立新美術館に到着。
近くの駐車場に駐車して、美術館の門を潜ったのは4時頃だった。
金曜日以外は夕方の6時、金曜日は午後8時閉館とは有り難い。
公立の美術館は、だいたい夕方の4時半か5時で閉館だ。
館内は近代的でモダンで明るく、瀟洒な華やぎがある。
入口で切符をもぎり、中へ入ると、大勢の人が、
一辺が3メートルを超える雪・月・花にくぎつけとなる。
私が出会った、あの国立近代美術館のものだった。
日本の季節を大胆に抽象的に、室町琳派の伝統を、現代に表出した傑作だ。
その画力にはいささかのぶれもなく、線は曇りなく引かれている。

そして、会場は年代記風に、加山又造の世界の変遷が展示される。
ラスコーの壁画に影響されて描いた時代。
キュビズムを思わせる縞馬たち。
青く光る月光の下に、縞馬たちが静謐さを誘う。
何故か馬たちは爪先立ちで、静寂の中、心に不安を齎す。
敗戦によって、戦後、日本画の根底さえ否定され、滅亡論も叫ばれた。
その時、加山又造は、日本画の存在自体を検証していたのだろうか。
孤独な寂寥の中に、決然とした意志が見て取れる。
そして、ヨーロッパ中世の画家、ブリューゲルを惹起させる「冬」。
冬錆びた木立の中、加山又造の毅然たる決意が横溢している。

帰り道に見た東京タワー
さらには、裸婦の連作。
黒いレースに捲かれ、抜けるように、薄桃色に色めいた白い肌が艶めくエロス。
そこには、まさしく生命の謳歌と、賛美が表現されている。
「夜桜」
春の宵、漆黒の闇に咲き乱れる桜花は妖艶。
その横に燃えたぎる篝火の炎は、風に揺れながら、めらめらと立ち上る。
速水御舟を持ち出すまでもなく、夜桜と炎の饗宴は、幻想的で神秘を醸す。

「千羽鶴」、巨大な壁面に青金、赤金の千羽鶴が、吹雪のように舞い戯れる。
幾千の鶴が飛び渡り、羽ばたきの音が響き、清澄な空気を震わせるかのように、
月から太陽を目指し、金彩の鶴たちが典雅に舞う。
画伯の渾身の画力に、ただただ、ひたすら感動を貰うのみ。
さらに、さらに、大きな屏風に描かれた「月光破涛」「龍図」など、加山又造の世界は絢爛と豪華に続く。
館内を出た時、何故かほっとしたようで、茫然自失したような興奮を覚えた。
76年の加山又造の生涯に、圧倒された一日だった。