蓮着寺&城ヶ崎を訪ねて
2008.12.8
10時ころ、ホテルをチェックアウトする。
相模湾を見渡せる部屋は、広々として気持ちよかった。
もちろん、伊豆高原にある宿、湯味も十分に楽しめた。
どうやら、今日も快晴のようだ。
さっそく、城ヶ崎に向かった。
その前に、ついつい行きそびれていた、蓮着寺へ。
高原を下れば、海岸に面する崖の上に、お寺はあった。
鎌倉時代、日蓮上人が幕府の命により、置き去りにされた岩場もほど近い所に建つ。
境内近くの駐車場に車を停めた。
月曜日の10時過ぎ、さすがに、駐車場はまだ閑散としていた。
境内に向かえば、すぐに正面、俎岩山(そがんざん)蓮着寺はあった。
法華宗の宗祖である日蓮が、1261年(弘長元年)流罪になったこの伊東の地。
置き去りにされた岩礁、島崎は500メートル先に位置する。
そして、1508年(永正5年)、正乗院日云(にちうん)が、開山した寺が蓮着寺だ。
けっして、威風堂々とはう言えないが、静寂の中、厳粛さを漂わせる。
お参りを済ませて、階段を下れば、観光バスの一団がやって来た。
遠くには、相模湾の紺碧が眩しい。
境内の奥の急峻で、狭い道を上れば、吊り橋があるらしい。
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篠海灯明台 |
日蓮岬と俎板岩 |
ごとごつと岩が剥きだした階段を登る。
木々の間からは、広々とした海景色。
汗ばみながら、やっとの思いで平らな所へ辿り着いた。
右手にさらに進むと、草むらの中、
世界平和誓願碑がひっそりとたっていた。
この先には何もないような気配。
引き返すことにして、先ほどの二差路へ。
そして、さらに険しく細くごつごつした道を登る。
背丈の高い夏草も今は枯れ、木々の梢の葉も落ち紅葉。
やがて、茫洋と海原が広がる。
その海原に、岸壁となる日蓮岬が突き出し、真下には、
日蓮上人が流罪になった岩場「俎板岩」が、激しくも白波に洗われていた。
さらに、進めばお寺があった。
そのさらに奥に、長さ60メートル、高さ18メートルの橋立吊り橋がある。
雄大でダイナミックな景観が望めるらしい。
だが、ここまでも、かなり険しい道のり。
この先、どれ位の距離があるのか見当もつかない。
計画は変更して戻ることにした。
帰り道、行き交う人もなく、
眼下の岩礁を洗う音が、静寂のなかに響いていた。
燦々と降り注ぐ陽光。
風ひとつなく、身体は汗ばんでくる。
やがて、二差路の階段に到着した。
急な階段も、心地よく下れる。
意外にな強行軍。
かつてなら、ママはダウンしているだろう。
今はかなりの健脚になった。
階段を無事下り終えれば、蓮着寺の境内に。
駐車場には、観光バスが2台、横づけされていた。
境内からは、雄大な相模湾が望まれた。
ぶらりと、歩けば、すぐそこは、海洋公園。
アスファルトの道を行けば、海洋公園の玄関に到着した。
すると、城ヶ崎へ1.2キロの標識が出ていた。
ママは気乗りではなかったが、歩いて行くことにした。
海岸べりの暮秋の遊歩道。
上り下りのかなり酷い自然遊歩道だ。
欝蒼と茂る自然林と相模湾のコントラストが素晴らしい。
起伏に富むアップダウンの峻厳な道。
時には、眼下、崖下、数十メートル下は波頭砕ける海。
時々行きかう人も、かなり息絶え絶えの道のり。
前を行く熟年夫婦の足取りも重く、私たちに道を譲ってくれた。
暖かな陽光が、深い森の中、日だまりとなる。
陰翳深い木々の合い間に、
真っ青な海が広がり、伊豆七島の島影が浮かぶ。
岸壁沿いの細い道を進めば、彼方に城ヶ崎。
伊豆海洋公園・城ヶ崎みはらしガーデンの花々
そして、小さく白亜の灯台が見えた。
あと一息のところまで、やっと辿り着いた。
1,2キロの行程は、思いのほか酷い道のりだった。
黒潮洗う相模湾は煌き、
微かに吹き寄せる浜風にのって、磯の香りが漂う。
歩いて40分程の自然遊歩道だっただろうか。
運動量としては十二分だった。
門脇吊橋を渡り、岩礁へ。
門脇吊橋は長さ48メートル、高さ23メートル。
海風は強く、何時もゆらりゆらりとゆれている。
眼下を望めば、海の色は深く青く、
岩礁を砕くかのように荒波となって押し寄せている。
頼りなげに進めば、海に突き出る岩礁に辿り着いた。
この地に立つのは、2年ぶりだろうか。
あの時同様、岩礁は波に洗われ、千々に白波となって飛び散る。
広大な海から吹き寄せる風は強く、そして爽やかだ。
群青色の波間に、遊覧船が浮かび、
ゆっくりと、白い航跡を残しながら進む。
私たちも前回来た時、朝一番で、富戸港から乗船した。
海から見る城ヶ崎のリアス式の岩礁は、素晴らしい景観だった
そして、白亜の門脇灯台は、とても優美なシルエットを描いていた。
昨日今日、青天に恵まれた伊豆の旅。
最後の仕上げに、伊豆海洋公園に出かけて終わりとなる。