前山寺&上田城址公園
2008.11.17


早朝6時半、起床。
さっそく、朝湯を浴びに、外湯へ繰り出す。
私は着替えて半纏を羽織る。
ママは浴衣姿に半纏姿。
旅館の中に人影はなく、ひっそりとしていた。
エレベーターで下りて玄関へ。
ロビーカウンターで入浴券を貰い、下駄を履き玄関を出る。
さすがに、朝まだき、人通りはなく、沁みるような冷気が肌をさす。

川沿いに少し下り、右手に曲がる。
踵を接するように、昔ながらの湯宿が立ち並ぶ曲り小路。
外湯へ行く前に、北向観音へお参りに行くことにした。
昨日は夕刻間近の参拝だった。
やはりお参りは霊気漲る朝の刻に限る。

ほどなく北向観音の境内に出た。
朝露に濡れた鐘楼の前を通り、手水舎で口と手を清める。
ここの清めは温泉水。
勿論、飲泉もできる。
透き通って温かな温泉を口に含めば、かすかに硫黄の匂い。
そして、生温かな温泉は少しの塩味。
飲み込めば、するすると喉を軟らかく、
押し広げながら滑り落ち、胃の中に湯熱が伝わる。

参道を進めば、正面に北向観音の本堂。
冷え冷えとした境内には誰もいなかった。
すると、私たちを追い越して行くお婆ちゃんがいた。
普段着のままに、足早に本堂の階段を上がり、
お賽銭を上げて手を合わせていた。

そして。隣のお堂へ。
同じように、お賽銭をあげて手を合せると、
その前の、薬師さま、「おびんずる様」にもお賽銭をあげて、
「おびんずる様」の顔や腰を優しく撫ぜていた。
撫ぜ終わると、
北向観音の本堂の脇通路を抜けて、裏手にまわり姿を消した。

私たちもお婆ちゃんように参拝。
「おびんずる様」にもお賽銭をあげ、手で撫ぜてあげた。
顔を見れば、善光寺の、「おびんずる様」同様に、
顔は擦り切れ、扁平な顔に変っていた。
辺境の地。
医療など頼めない時代、このお薬師さまが、
土地の人々の病気や怪我の、身代わり役を担ったのであろう。

参拝のあと、、本堂の鄙びた回廊をぐるりと回り、
本堂の正面に戻ると、また一人参拝の人がいた。
すると、先ほどのお婆ちゃんが境内に戻ってきた。
毎日の日課。
雨の日も風の日も雪の日も、欠かすことなく、
自分で決めたお参りの道を歩くのだろう。

きっと、自分の家族の安寧と幸せ。
自分たちのご先祖様への感謝のお参りなのだ。
身体の動く限り、命の続く限り、何時までも歩き続けることだろう。
境内から見渡せば、遠くには信州の山々が、
薄靄のなか、幾重にも折り重なっている。
峰々には朝の黎光が、照らし始めている。
どうやら、今日は、予想に反して、快晴のようだ。

すると、境内下に続く道の遠く、
私たちと同年輩とおぼしき5人の女性たち。
浴衣に半纏姿で、元気にこちらへ向かって歩いてくる。
きっと、私たち同様に、外湯巡りに出掛けるのだろう。
どこへ出かけても、思い知らされるのは、女性たちの元気さだ。
現代は女性の元気さが、際立つ時代なのだろう。

からころと下駄音をさせながら、真田雪村公隠しの湯「石湯」へ。
唐破風の玄関の扉をがらりと開け、入浴券を渡して中へ。
脱衣所で服を脱ぎ、扉を開ければ、やわらかい硫黄の匂いが漂う。
すでに、6人くらいの先客がいた。
身体を洗い、湯船の中に。

大岩にもたれ掛る人人。
じっと何やら瞑想する人。
額に汗を噴き出しながら、我慢比べの風情の人やら。
5人入れば丁度いいくらいの広さだ。
岩の間から湧き出る湯はかなりの熱さだ。
長湯は叶わず、出たり入ったりしている。

昨日もそうなのだが、外湯には私たちのような観光客はいない。
すべて、地元の人たちだけだ。
外湯はあきらかに湯味は濃厚。
温泉の成分が純度100パーセント。
正真正銘、源泉掛け流し。

石造りの湯船に浸かったはなは、湯が硬く刺すように感じる。
だが、そこを辛抱すれば、じわじわと身体に沁み込み馴染む。
やがては、身体の隅々に沁みわたり、
五臓六腑、脾臓肺腑の澱をすべて、
体外に排出するほどに気分爽快になる。

やがて、浴室は空になった。
ゆったりと足を伸ばせば、額からは玉の汗がひたたり落ちる。
この汗とともに、都会の喧騒で溜まった澱が噴き出している。
身体の筋肉や細胞が躍動し始めている。
今日一日のエネルギーは充填した。

浴槽を出て身体を吹き、がらりと木戸を開け外へ。
冷たい冷気が、ほてった身体に気持ち良い。
川沿いの狭い道を伝うように旅館に戻った。
旅館の大浴場でもう一度身体を洗い、湯船の中へ。
標高1250メートルの夫神岳。

なだらかで優美な稜線は、晩秋の色に染まり美しい。
頂上には、イザナギノミコトと九頭竜権現が祀られる信仰の山。
稜線は朝日に照らされ、くっきりと鮮やかな姿をみせる。
幸運にも、どうやら今日は快晴のようだ。

8時半の朝食が部屋に運ばれる。
昨日と同じ部屋係さんの、にこやかに軽妙な会話。
充分に朝食を愉しみ、旅館を10時前にチェックアウトした。
いよいよ陽光は強く、真っ青な空に輝き始めた。
窓を開ければ、爽やかに冷たい涼風が吹きこむ。

宿を出て20分ほどで、今日の第一の目的地、前山寺に到着した。
無料の駐車場に車を置き外へ。
遠くの山々に抱かれるように、盆地の中に塩田平が広がる。
駐車場裏の小高い丘には、寺の屋根が見える。
寺へ続く緩やかな上りの砂利道を進むと、前山寺の山門に到着した。
拝観料を200円払い中へ。

独鈷山麓にある古刹。
本尊は大日如来。
弘仁(812)、空海上人が開創したと伝えらる、かつては、護摩修行の霊場。
境内は静かさをたたえていた。
清楚な山寺の風情。
どこか秩父の札所のような趣があり、懐かしさを覚える。

そして、三重塔への石段を上れば、
そこには優雅な塔があった。
未だ未完の搭らしい。
鈍い朱色の塔が陽光に照らされ、
紅葉の木々と深い陰翳を描き出していた。
やがて、観光バスの一団が賑やかにやって来た。

石段を下り、山門を抜け、正面に続く参道を歩く。
参道の木々はみごとな紅葉。
赤松も秋色を演出していた。
はらはらと赤銅色の枯れ葉が、
あるかなしかの微風に誘われながら舞い落ちる。
やがて参道は終わと、さらに強い陽光と青空。
雲はきれぎれにたなびきながら輝いていた。

そして次の目的地、上田城址公園へ向かった。
山に囲まれた塩田平の集落を抜け、
青天の秋の日、爽快な風を愉しみながらのんびりと進む。
鄙びた里山は晩秋。
やがて来る早い冬への装いを始めている。
下りの緩やかな傾斜の信濃路。
平地は広く、さらに進めば、交通量が多い道に辿り着く。

晴れ晴れとした秋日を愉しみながら進むと、
派手な朱色の神社、生島足島神社が出現した。
駐車場に車を停め参拝することにした。
参道を進むと池があり、真鯉緋鯉の群れがうようよと泳いでいた。
朱色の鳥居を潜れば、社務所があった。
境内は七五三で正装した家族で溢れていた。
神社の本殿では、神主さんが祝詞をあげ、
お札をいただく家族が神妙に正座していた

はじめての子供を抱く母親の、晴れやかで嬉しそうな姿。
幸せを噛みしめる、まだどこか幼さが残る父親。
その家族を見守る、私たちと同世代のお爺ちゃんとお婆ちゃん達。
境内は七五三の華やぎで満ち満ちていた。
車に戻り、これからが、いよいよ旅の仕上げ、上田城址。

ここから上田まで僅かな道のり。
別所線の踏切を渡ると、上田城址の標識が出現。
左に折れていくと、城址公園に到着した。
公園の木々は紅葉の盛りだった。
前方には黒い堅牢な造りの上田城東虎口南門が、
青空に向かって、凛々しく聳え立つ。
さらに進めば上田城の頑強そうな本丸東虎口櫓門。

その正面右手の石垣には、高さ約2.5m、横約3m巨石があった。
それは天正十一(1583)年、真田昌幸が築城の時、
柱石として据えたものと伝えられる真田石。
天正十三年と慶長五年(1600)、
徳川軍の2度の攻撃にもびくともしなかったという伝説の城郭。
本丸東虎口櫓門を抜けると、
右手には、絢爛豪華な秋色が織りなされていた。

そして、まっすぐにさらに進めば、真田神社。
勇猛果敢、戦略縦横の智将、真田親子を神霊として祀る。
お参りを済まし奥へ行くと空井戸があった。
その井戸には抜け穴があり、
上田の象徴でもある太郎山まで続いているという。
上田城が孤立無援の籠城の時、敵に包囲されても、
この井戸の抜け穴を通して、城兵たちや兵糧が供給されたのだ。
今は金網がかぶされ、往時を偲ぶだけ。

そして、前方には西櫓。
陽光に照らされ黒い2階建ての隅櫓が、青空にくっきりと浮き立っていた。
はるか見渡せば、上田の市街地が広がる。
見下ろせば、かなり高いの丘の上に、城郭は立っていたのだ。
南に千曲川の分流、尼ヶ淵の断崖。
北には、矢出沢川を利用した天然の要害を配しているのだ。

ここから先は行き止まり。
来た道を戻り、真田神社から、かつて本丸のあった城址公園へ。
銀杏の大木はまさに銀杏黄葉の黄金の輝き。
はらはらと微風に揺れながら、枯れ葉が舞い落ちる。
老木の周りの地面は、積った銀杏の葉の絢爛たる絨毯。
その絨毯の中におさまって、熟年夫婦が記念写真を撮っていた」。
私たちも同じように写真におさまる。

階段を登り園内へ。
いろは紅葉が鮮やかに、鮮紅色に耀いていた。
そして、さまざまに木々が黄葉紅葉の饗宴。
落ちしだかれた枯れ葉の万華鏡が広がる。
団体の観光客も、紅葉いっぱいに感動していた。

公園の中をさらに進めば、お堀に出た。
お堀を飾るように、朱色、赤銅色、錆色、黄色、緑も鮮やかに彩られている。
木々は降り注ぐ陽光に陰翳も深く、晩秋の信濃を演出していた。
お堀沿いの散策道を遊べば、色とりどりの枯れ葉が落ちる。
踏みしめる枯れ葉が足もとのやさしい弾力となり、
あの懐かしい匂いがほんわりと立ち上ってくる。
晩秋の信州は、私たちに艶麗な秋を贈ってくれた。
これから、かつて、北国街道で栄えた宿場、
江戸時代の面影を残す海野宿へ立ち寄ってから、帰京しよう。