熱海「起雲閣」へ

2008.9.21

9月21日、熱海へ。
何故か何時も通り過ぎるだけの、起雲閣へ出かけた。
岩崎別荘、住友別荘、そして、起雲閣は、熱海三大別荘の一つである。
前日、各地で猛威を振るった台風は、太平洋上へ去った。
しかし、如何したことか、
台風一過の晴天とはいかず、相変わらずの空模様。
朝から、しとしとと小雨に煙る。

晴れていれば、紺碧の洋上には、
お伽の国の軍艦のような形をした初島が見える。
その右手奥には、ゆったりと浮かぶ大島の雄姿が耀く。
だが、今日のこの愚図ついた天気、望む術もなし。
熱海の市街地の急峻な坂の上り下り。
熱海市昭和町にある「起雲閣」に到着した。

時間は朝の9時半すぎ。
駐車場はまだ閑散としていた。
車を停め、園内へ進むと、受けつがあった。
入館料500円円を払い、靴を脱ぎ、スリッパを履き中へ。
順路に従い進むと、1917年に建てられた、和室「麒麟の間」があった。

壁は紫色で鮮やか。
鮮烈に耀く紫には、神々しいほどの華やぎがある。
日本家屋といえば、わびとさびが代名詞。
確かに、日本でも外国でも紫は高貴な色。
だが、純和風の建築物には珍しい彩色。
しかし、その紫が床の間にさえも映えて、
落ち着きを増すから不思議だ。

部屋から、引き戸に張り巡らされたガラス越しに、
雨に濡れそぼる、緑色も鮮やかな3000坪の庭園が広がる。
磨き上げられた廊下を進み、2階の「大鳳の間」へ。
見物客は私達以外、誰もいなかった。

畳の懐かしい匂いに包まれながら、
腰をおろし、庭園を眺める。
庭園には傘をさしてのんびりと散策する人。
雨の中、記念の写真を撮っている家族連れ。

つかの間の休息。
日本建築に触れると、
日本人の遺伝子がふくらみ、開放されるのだろう。
どこか気持ちがほっとして安らぐ。
廊下を戻り階下へ降りる。
順路に従い進むと「玉渓・玉姫の間」があった。

1937年に、根津嘉一郎が建てた洋館だ。
上品なお爺ちゃのお出迎え。
待ってましたとばかりに、色々と説明してくれた。
きっと、会社を定年退職して、
ボランティアーの観光ガイドをしているのだろう。

身振り手振りも軽やかに、口舌は流麗にして饒舌。
見物客に喜んでいただく事に、喜びを感じているのだろう。
説明が一通り終わると、写真撮影サービスまでしている。
それぞれに、シャッターを押してあげていた。

日本では珍しい、チューダー朝時代様式の洋室。
天井の梁はごつごつと剥き出しのまま。
力強く、逞しささえ感じる。
床は色彩鮮やかなタイル張り。

大きさにも幾分ばらつきがあり、
それだけ手の温もりが伝わる。
壁に張り付くような暖炉が、部屋にひとしお趣を沿える。
天井にはステンドグラスが華やかさを沿え、
シャンデリアは彩光を放つ。

部屋を出て進むと幾部屋かの展示室。
ここは1947年、根津嘉一郎の別邸を改築して、
旅館「起雲閣」となって使われた客室。
多くの文人が逗留したことでも有名だ。
鴨居は低く、部屋は落ち着いた純和風。

こじんまりと無駄も無く、清楚にして粋が漂う。
窓辺に置かれたソファーに座ると、
ガラス戸越しに、緑の芝庭と点在する庭石。
そして、優雅に繁る庭木が、しっとりと小雨に濡れている。
この部屋を愛した文人達が、
三つの部屋にそれぞれに展示してあった。

さらに静かな廊下を進むと「金剛の間」
1929年に、根津嘉一郎により建てられた迎賓館。
豪奢にして高雅な浪漫が漂う。
茶人でもある当代の粋人が、贅を凝らした洋館だ。
ここで豪華な食事がもてなされ、美味しいお酒が振舞われ、
談論風発のドラマが繰り広げられたのであろう。

その隣の部屋には、ローマ風浴室があった。
西洋史で見たことのある床や壁一面がタイルの浴室。
床には、二つの長方形の風呂が掘られていた。
ローマの時代なら、さながら酒池肉林の狂騒劇。
ここでは、どのような浴室風景が展開したのか、あらぬ想像をする。

そして、さらに進めば、
庭園を展望できる横長の大浴室があった。
窓一面の大きなガラス。
その向こうに、雅趣溢れる庭園が広がる。

和洋折衷の「起雲閣」
今は熱海市記念建造物になっている。
やはり、建物は使われていて、はじめて意味を持つ。
また、使われていなければ、建造物の生命はやがて消滅する。
現在、「起雲閣」が展示されている部分は、ほんの一部だ。

その他の部屋は、冷暖房も入らず、
そこそこの手入れのままに放置されている。
熱海市もかつての栄耀栄華の時代は遠く去り、
繁栄の時代は忘れるほどに遠くなった。
日本建築を守り伝えるには、莫大なお金がかかる。
しかし、出来ることなら、建物を本来の形で残すことが最良であろう。

「起雲閣」を市営の迎賓館にするなり、
市営の旅館として再生することは、不可能なことだろうか。
もし、旅館として復活したならば、
少々高くても、ぜひ泊まってみたいほどに魅力があふれる。