玉原ラベンダー園、伊香保、榛名神社への旅
2008.7.13-14

13日早朝、関越道を北上し、沼田ICを降りて、
コスモス街道を進むと、玉原ラベンダー園に到着した。
時間はまだ開園前の8時過ぎ。
人気のない駐車場で休む。

やがて、開園間近、園のスタッフ達が、三々五々、スタンバイに現れた。
9時丁度、定刻に開園した。
私達も1000円の入園ティケットを買い、園内へ。
そして、片道450円のリフト券を買い、さっそくリフトで頂上へ。

風もなく、天気は快晴。
空には青空が広がり、真っ白な雲海とのコントラスが、夏空を演出している。
ブナ樹林と熊笹の生い茂る森を左手に、
強い朝の陽光を浴びながら、10分のリフトの旅を愉しむ。
するすると、地上から2メートルほどの高さを、
ゆっくりとすべるように、緩やかに進む。
頂上には、程なくして到着。

リフトを降りれば、そこは別世界。
はるか彼方まで、草花と木々のメルヘンの世界。
自然がいっぱいに広がる。
散策道を進むと、ラベンダー園があった。
予想通り、まだ満開には程遠く、2分咲きくらいだろうか。
だが、私達同様、開花を待ちきれない人々が、
ラベンダーを、いとおしむかのように眺めている。

想像していたのとは違い、背丈の低い花木であった。
てっきり、ラベンダーは、草花かと思いきや、樹木である事を始めて知った。
薄紫の高貴な花色。
顔を近づければ、ラベンダーの妖麗で、優美な匂いが漂う。
あと1週間先には、ラベンダーが、咲き誇り始めるだろう。
ラベンダー畑は、一面の紫の楽園。

なだらかな丘陵の、整備された散策道の上り道。
陽光はじりじりと、刺すほどに強く、空の青さはさらに濃くなる。
時おり吹き渡る風は爽やか。
夏草の匂いを誘う。
かなたまで、散策道は続く。
途中、展望台があった。
展望台に登る。

来た道の彼方、緑濃い夏山は、
真っ青な空を背景にして、雄大な姿をみせる。
夏の匂いを乗せた、麓から運ばれる風が吹き抜ける。
見渡せば、先ほどに比べて、来園者は明らかに多くなってきた。
展望台を降り、来た道をつれづれに下る。
ブナの大樹を背に、草むらのベンチで一休みする。

草むらで、お弁当を広げている人。
ベンチに座り、のんびりと自然を愉しむ若者たち。
軽登山スタイルの熟年世代。
犬と戯れる子供。
自然に抱かれて幸せそうだ。
遠くに見えるリフトは、ますます大勢の人たちを運んでいる。

ベンチを立ち、草むらを横切り、散策道へ。
花畑には、真っ赤で鮮やかな花や、可憐な黄色の花々が咲いていた。
下り道、リフトに乗らず、散策道を歩く。
ブナの森、そして、清流の流れるせせらぎの音。
時々、白い蝶が舞い、トンボが飛んでいく。
夏の陽光を浴びた草木の、蒸れたような、
枯れたような匂いが、遠い昔の里山の記憶を、呼び覚ましてくれる。

すれ違う人々の数は、ますますと増えてきた。
ラベンダー園入り口近くの広場の売店、賑やかさを増してきた。
出口を出れば、
先ほどまではがらがらだった駐車場は、すでに満杯状態だった。
そして、車に戻り、次の目的地、伊香保に向かった。
玉原ラベンダー園は沼田市。
ここから南下すれば、伊香保までは、1時間足らずのドライブ。
山間の片側1車線の道を進む。

下りの道は私達の独占状態。
それに比して、反対車線は、次から次と車が上る。
軽い数珠繋ぎの様相だ。
花を求めて、これほどの人々が押し寄せる。
やはり、日本は豊かで平和なのだろう。
しかし、その見せ掛けの繁栄の陰に
多くの人々が、苦しんでいるのも事実だ。

最近は、すぐに物事を2分する傾向がある。
「勝ち組」と「負け組」
いったい何の価値があるのだろうか。
多くの財をもって、物理的に豊かな人を「勝ち組」。
その反対が「負け組」。

だが、物質的に恵まれていなくとも、
精神的に豊かで、
社会に貢献する素晴らしい仕事をしている人はたくさんいる。
物質的豊かさを、社会的なエグゼクティブと捉える風潮に問題がある。

やはり、労働の意味の本質的な認識が必要ではないか。
高邁な精神の大切さを教えなかった、戦後教育にも大いに問題があった。
自分達が血みどろになり、獲得した権利でない、自由と平等。
心の大切さを教えず、競争社会で勝ち抜くことに終始した教育。
競争原理に振り回された結果、悪しき格差社会を生んだのではないだろうか。
その象徴が、我ら団塊の世代。
高度経済成長を支えたが、社会の本質を黙視したのではないだろうか。

程なくして、水沢観音に到着した。
時間は正午過ぎ。
無料の駐車場に車を停める。
先ほどのラベンダー園といい、水沢観音も駐車場が無料だ。

何時も思うことだが、辺鄙な観光地に、わざわざ車で出かけるのだから、
駐車場くらい、無料で開放するのが、道理ではないのだろうか。
こんなところでも、駐車場が有料なのと、腹立たしいところもある。
やはり、経営者のお客様に対するサービスの心の問題だろう。

水沢観音記念館が、無料で開放していた。
玄関を入り、中へ。
たくさんの仏像が展示されていた。
うっすらと仏像に当たる光の中、
様々な、古い仏像たちが、様々な表情を見せている。
かつては、神々しくも燦然と耀いていたであろう、平安時代の仏像。
今は金箔も剥げ落ち、木地が剥き出しになっている。
だが、古の仏師たちが、仏像に注ぐ豊かな精神性が、見るものへ語りかけてくる。

そして、円空の木食もあった。
荒く彫られた一刀彫り。
ざくりざくりと抉り取られるように彫られている。
木地の木目が、法衣の優美さを表現し、
目は木目の円で描かれている。
円空は、木の生命のままに、木の生霊を表現したのだ。

彫刻の木は、僅かな木切れさえ無駄にせず、
そこに、さらに、小さな木象を彫ったと伝えられる。
まさに、その円空の心に、
民芸運動家・柳宗悦は共感したのではないだろうか。
民衆のための芸術。

民器雑器に宿る用の美。
民衆に愛される無名の仏師たちが彫った仏像。
美の中に美があるのなら、
いわんや、日常の中にも美は存在するはず。

静謐な館内の展示室。
ぐるりと巡り、外に出た。
真昼の陽光に照らされ、木々の陰翳は濃く、境内は賑わいを増す。
此処に来たのは、何年ぶりだろうか。
ママの親戚達と伊香保温泉に出かけ、その時、皆で立ち寄った。
参道を進むと、繁る木立ちの中、
鈍い朱色の鐘楼が、木漏れ日を浴びていた。

奥に本堂がある。
衆生の一切の願いを聞き届け、救済の手を差し伸べる、
本尊十一面千手観世音菩薩を安置する。
竣工は天明七年に遡る。

その手前に、六角堂。

六角堂には、
六道輪廻の相を表わす、
六体の等身大の地蔵尊が安置されている。
お線香を焚き、お賽銭をあげ、手を合わせる。
手押し車で押すと、ゆっくりと重く緩やかに回る。
中には経文がしまわれている。
時計と反対回りに、三回まわすと、願いが叶うという。
私達も三回、無心に回した。

本堂では参拝の人たちが急に多くなった。
きっと、観光バスが到着したのだろう。
本堂の木の階段を登り、お賽銭を上げ梵鐘を鳴らす。
そして、階段を下りてみて、はたと気が付いた。
境内の前には、急な階段があり、下には仁王門が見えた。
きっと、そこが、昔ながらの正門なのだろ。

急峻な階段を下り降り、そして、仁王門を出る。
鬱蒼とした木々の中、陽光が差し、仁王門が幻想的に耀いていた。
仁王門にはの左右には、朱色に塗られた
勇壮な風神と雷神が祀られていた。
楼門の上階には、
釈迦三尊(釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩)が、
安置されているという。


神妙な気持ちで、もう一度潜りなおし、階段を上り、境内に到着した。
汗が身体から、心地よく噴出していた。
遠くから、本堂に手を合わせる。
時間は一時半頃。
今から、水沢名物のうどん屋さんに行けば、きっと、空いているだろう。

駐車場から車を出して、先週の金曜日来店したTさんから、
紹介してもらったうどん屋さん「松沢屋」さんへ。
やはり、店内は空いていていた。
お座敷に上がり、私は早速ビールを飲む。
ママはお好みうどん。
三種類のうどん汁が付いていた。
私はざるうどんを食べる。
うどん汁に、山葵を溶き入れ、わけぎを放ち、胡麻を振り掛ける。

つやつやと真っ白な光沢。
箸で摘むと、ずしりと重たい。
つるつると摘み上げ、口の中へ。
冷たい感触。
歯でかむと、ぷちりと、水沢うどん特有の噛み味が、堪えられない。
食べるほどに、噛むほどに、顎が疲れる。
そして、甘めの汁と絡んだうどんの淡白な旨味が広がる。

腹ごしらえして、一休み。
そして、今日の宿泊地の伊香保へ出かけた。
ここから、伊香保は目と鼻の先。
数年前の景色が車窓に広がる。
緩やかな坂道を上り下りすると、伊香保に到着した。

狭く、急峻な道の温泉街の道を進むと、宿泊する旅館に到着した。
2時過ぎで、チェックインにはまだ早い。
旅館に車を停め、荷物を預かって貰い、伊香保のシンボル石段街へ。

階段は360段。
旅館は240段の所にあった。
時間つぶしの石段遊び。
裏道を抜けて下り、一段目から上ることにした。
すると、途中、伊香保温泉の噴出し口への案内が出ていた。
道の左側は山で、右手は崖だ。
その崖地に這い蹲るように、家やホテルが建っていた。

しかし、伊香保の中心地から、少し奥まった地。
商売は難しいのだろう。
店や旅館が無残な廃墟となっていた。
高度経済成長時代の夢のあと。
風雨に晒されて朽ち果てている。

たぶん、二度とこの廃墟が再生することはないだろう。
伊香保温泉街そのものに、活気が漲っていないような気がする。
深閑とした道を進むと、朱色の橋。
橋の真ん中より下の川を見れば、川の石が褐色に変容している。

温泉の湯が空気と触れると、褐色になると聞いている。
その温泉に洗われて、きっとこのような色に、変色しているのだろう。
さらに進むと、手水舎があった。
手を清めて前を見ると、
私の住む東京板橋区徳丸寄贈の石の柱石があった。
何故か知らぬが、心が和む。

さらに、なだらかな傾斜道を進むと、伊香保町営の露天風呂があった。
時間があれば、ざぶりと浸かって、旅の汗を流したいものだが。
もうすぐ、チェックインの時間だ。
そのすぐ先に、源泉の噴出し口があった。
厚いガラス越しに、源泉がゴボゴボと噴出していた。
ここまで緩やかな上り道。
ひと汗かいた。
すこしばかりの休憩後、もときた来た道を引き返し、
「階段の道」の一段目へ到着。

昼下がりの黄昏間近と言っても、陽光は高く強い。
日差しを浴びてぎらつく石の階段を一段づつ上がる。
上からは、大勢の旅人が降りてくる。
中国語や韓国語の観光客が此処かしこ、楽しそうに写真を撮っている。

土産物屋さんに混じり、懐かしい射的屋さんも店開きしている。
だが、さすがに、飲み屋さんは閉店している。
夜の帳も下りれば、昼間とは異なる、温泉地の享楽的な風情に変身するのだろうか。
そして、最後の360段を上りきったところに、伊香保神社があった。

鳥居を潜り、山門を抜けると、こじんまりしたお社があった。
お参りを済ますと、すでに時間は3時半頃だった。
階段を下りて、旅館に着いてチェックインする。
旧館と新館があるのだが、我々は旧館に泊まった。
新館には冷房完備だが、旧館にはない。
しかし、旧館には昔ながらの旅館の姿がそのままに残されている。

この旅館はすべて総檜造り、木造4階建ての歴史的な建造物。
明治時代の徳富蘇峰や文豪・徳富蘆花が「不如帰」を執筆した旅館だ。
そして、名だたる政治家も逗留した。
私達の部屋は3階だった。
廊下との仕切りは、障子一枚。

確かに、泊まった人の口コミにあったように無用心ではある。
しかし、部屋は手入れのされた檜造りで広々としている。
窓を開け、廊下との仕切りの戸を少し開ければ、涼しい風が流れる。
冷房がなくても、昔なら寒いほどだったのであろう。
テレビをつければ、大相撲の初日だった。
ビールを飲みながら、美味しい夕暮れ時。
窓から流れる清涼な空気を吸いながら、相撲を見る。

ママは早速、貸切風呂へ出かけた。
私は部屋で一人、旅心、大相撲観戦だ。
やがて、大相撲が終わった頃、ママが戻り、6時半から夕食に出かけた。
部屋出しでも夕食は良かったのだが、私は広い食事処が好きだ。
そちらに、夕食を用意してもらった。
1階の食事処には、1組の熟年の男女の3人が賑やかに、食事をしていた。

広々として、磨きぬかれた板張りの床。
正面には、本物の能舞台がしつらえていた。
係りの人の説明では、能舞台は明治時代の物。
90年以上経つと説明してくれた。
料理はどれも丁寧に作られていた。
刺身の切れ味、盛り付けも良い。
一品一品、作り立てを運んで来てくれる。

食事処を含め、お部屋のサービス係や、
途中で出会う旅館の人たちの笑顔が素敵だ。
最近は、何処のホテルや旅館に行っても、
サービスの質が、昔とは隔世の感がある。

それだけ、競争も激しく、存続すること自体大変なんであろう。
伊香保温泉街でも、他の観光地でも、
廃墟になって無残な姿を散見する。
食事をしながら、地酒を飲んでいると、時間は8時ごろ。
部屋に戻り、布団の中でひと眠りする。

眼を醒ましたら11時頃。
早速、温泉に浸かりに出かけた。
さすがにこの時間、私以外に誰もいなかった。
身体を洗い、ざぶりと広い湯船へ。
湯は暗い赤道色。

背中まで浸かり、手足を伸ばす。
柔らかな、伊香保の湯が身体を包み、隅々の筋肉を解きほぐしてくれる。
掛け流しの湯が、湯船に流れ落ち、そして、溢れた温泉が流れ出して行く。
楽しくも、そして、無事に、今日一日の旅は終わった。

翌日、6時頃起きて、早速、温泉に浸かる。
そして、8時から朝食。
9時半にチェックアウトを済まし、旅館を後にする。
今日も天気は快晴。

2日間、好天に恵まれるのも、このところ珍しい。
伊香保を離れ、榛名湖へ向かった。
山間の道を進むと、だんだんと山は険しくなり、蛇行もきつくなる。
緑深い木々の中、右に左にハンドルを切りながら進む。

強い夏火の中、車窓を開け放てば、
木々の精を乗せた涼風が吹き込む。
対向車もなく、エンジン音を響かせながら、夏日を浴びて進む。
やがて、遠くに榛名山が見える。
そして、暫く行くと榛名湖が静寂をたたえている。

正面には、優美でなだらかな姿の榛名富士。
静かな湖面に、山容を映している。
湖上では、ボートから、釣り糸を垂れる太公望たち。
湖畔の土産物屋さんも、すでに店開きしていた。

榛名湖から、今日の目的地、榛名神社へ向かった。
湖畔の街道を左に折れ、
かなり急峻な上りの街道を、蛇行しながら進む。
もちろん、民家などない寂しい街道。
やがて、榛名神社に到着した。

無料の駐車場に車を停める。
夏の日は、容赦なく照りつける。
神社へ向かう一本道。
歩き始めると、
腰が九の字曲がったお婆ちゃんに、声を掛けられた。
「今、お蕎麦打ってるよ。帰りによってね」

参道を真っ直ぐ進むと、朱色の随神橋があった。
そして、橋を渡ると、随神門。
そこを潜ると、様相は一転、深閑とした上りの参道が続く。
深い杉樹林に抱かれて、鬱蒼としている。
木々の木霊の囁きが聞こえるようだ。
禊橋を渡ると、景色は一変、聖域の霊気が漂う。
左側には、大きな岩壁がそそり立ち、
右側の崖下には、清流が流れる。

上りの道を歩くにつれ、
途中途中に、愛嬌のある七福神の像が、笑顔で迎えてくれる。
さらに、幾つかの朱色の橋を渡りきると、やがて、手水舎があった。
手を清めると、勾配のきつい階段があった。
その階段の傍らに、武田信玄が、箕輪城攻めの戦勝祈願して、
矢を立てたという、「矢立ての杉」、樹齢1000年といわれる古木が聳えていた。

一段一段、階段を上りきると、山門があり、その奥に広場があった。
思いのほか、きつい行程だった。
陽光が照り返す広場のベンチに腰を下ろす。
ママは煙草を、美味しそうに喫っている。
時間は11時を回っていた。

お年寄り達の団体が上ってきた。
皆一様に疲れた様子だ。
だが、榛名神社までは、もう一息、
急な階段を上らなければならない。
ここのベンチから、彼方に榛名神社の威風が見える。

身体の汗も少し引き、階段を上ると、双竜門があった。
歴史を感じさせる古い山門。
至るところに竜の彫り物が、レリーフのように浮き上がり、
威圧するようで、不気味な表情だ。
潜ると、いよいよ、最後の階段。
上りきると、そこが榛名神社の境内だった。

時間は12時丁度だった。
夏日は容赦なく照りつけ、空は抜けるように青かった。
すでに、団体客も去った。
これから何処へやら、昼食の時間なのだろう。
境内はぎらぎらの陽光の中、静寂な佇まいをみせる・

起源は用命天皇の頃。
かつては、三千百坊もあった名社だ。
、国内六ノ宮として、関東近縁で、崇敬されていた。
文化3年に再建された春日造りの本殿は、意外に、こじんまりとしていた。
そして、人間のような形をした、大きな奇岩・御姿岩が、
しっかりと、権現造の社殿を抱きかかえていた。

民衆の中に醸成された、深く敬虔な山岳信仰。
宗教意識の薄い、我々にも、
深山幽谷、此処にいるだけで、心に響く。

人気のなくなった境内を後に、階段を下る。
さすがに、下りは楽だ。
木々の緑の中、微かに流れる風も心地よい。
急峻な階段を下りきると、
正面、渓谷の彼方、一筋の滝「瓶子の滝」見える。

上りの道のきつさの中、滝に気がつかなかったのだ。
肉体的な疲労は、美に浸り、愛でる心の余裕も、奪うのだろうか。
滝は優美にして華麗だ。
滝の両脇の岩。
お神酒を入れる酒器、瓶子(みすず)にたとえられる。
白い糸のように、緑の木々にに包まれ、
典雅な調べを奏でながら流れ落ちる。

真っ青な空、木々の緑、渓谷の清冽な流。
自然がすべて共鳴している。
さらに、下りの傾向沿いの参道を下ると、
やがて、入り口の随神門に到着した。
山門を出ると、真昼の陽光がぎらぎらと耀いていた。

ふと、階段の足元を見れば、2匹の蜥蜴が日向ぼっこをしていた。
体調は8センチ位はあるだろうか。
きらきらと虹色に耀いていた。
近くに寄っても怖がらず、すやすやと寝入っていた。

夏の真昼の陽光は、格好の日光浴なのであろう。
すでに、お昼時。
先ほど声を掛けられた、お婆ちゃんのお店で、
美味しい手打ちうどんを食べることにしよう。
そして、東京へ帰らなければならない。