「小さな旅&日記」
お墓参り・厚木2008.7.20


昨日、お墓参りに出かけた。
2時過ぎに家を出る。
首都高から東名へ。
皇居の堀に木々の緑が、深い陰を落とす。
何時も渋滞する北の丸辺り。
すーっと、何事もないかのように通過する。
何時もなら、夏日に晒され、いらいらしながら、合流を待つところなのだが。
やはり、ガソリンの高騰による影響なのか。

江の島
先日の新聞記事に書いてあった。
都心の交通量は、2割方は減っていると。
快調に首都高を通過し、東名に出た。
やがて、懐かしい多摩川を越す。
微かに車窓から、多摩川の川面が耀く姿が見えた。
川幅は、昔に比べれば、3分の1になっているだろう。
子供の頃、この川で遊んだ。

川岸には、有料の川の家が、2軒ほど建っていた。
そこで着替え、川で泳ぐ。
疲れれば、釣竿を持ってきて、川魚を釣った。
キャンデー屋さんが、チリンチリンと鐘を鳴らしてやってくる。
1本5円のキャンデーは、とても美味しかった。
そして、日が落ちるまで、夏の1日を遊んだ。
それほどに、多摩川は綺麗だった。

真っ直ぐな道。
高速沿いの緑は、夏日を浴びて、鮮やかに耀いている。
やがて、横浜町田インターで高速を降り、国道16号線。
道はとても混んでいたが、意外に、渋滞もなく進む。
そして、相模大野を越した辺りで、北里大学病院方面へ。
相模野の面影を残す、雑木林の道を進む。
相模川に架かる、昭和橋辺りの水田は、青々と美しい。
車窓には、田園を吹き渡る風が香る。

さらに進むと、夏祭りの一団。
小さな神輿を、子供達が楽しそうに担いでいた。
そのあとから、どんどこどんどこ、トラックにつまれた櫓で、子供が2人、太鼓を叩いていた。
けっして、華やかではなく、地味な村祭り。
祭りを楽しむ人々の笑顔は美しい。
そして、昭和橋の袂の交差点を、右に切り、相模川の道路を真っ直ぐ進む。
川原には、たくさんの車が停まっていた。
子供達が川遊びを楽しんでいた。

やがて、相模川に別れを告げて、左に折れ、一路、厚木市愛川町へ。
上りの緩やかに傾斜する道を、蛇行しながら進む。
厚木とは言え、愛川町はかなりの山間の地。
夏日はまだまだかなり強い。
霊園の近く、何時も立ち寄るコンビニで、墓前に供えるお花とお線香を買い求める。
お墓に到着したのは、4時前だった。

駐車場に車を停め、お墓へ。
霊園には、他に誰もお墓参りの人がいなかった。
お盆の時に、墓参りを済ましているのだろうか。
水場で、桶に溢れるほどの水を溜め、束子と歯ブラシを持ってお墓へ。
ママはせっせと、お墓の回りの草むしりをしている。
私は、お墓全体に、水を柄杓で掛け回す。
そして、束子でごしごし墓石を磨く。

彫られた文字は、歯ブラシでゴシゴシ。
夏日に照らされて、汗が身体から噴出す。
手を止めて伸びをする。
里山から、お墓へ吹き抜ける風が爽やかだ。
また、お墓を洗い、水を掛ける。
親父は平成16年、享年89歳、お袋は平成5年、享年73歳。
そして共に眠る兄嫁は、平成7年、51歳で逝去した。

生前は色々とありがとうございましたと、今は本心から言える。
子供を育ててみて初めて、子供を育て上げることの意味を教えられる。
私の兄嫁にも、学生時代から、いろいろとお世話になった。
私もすでに、兄嫁よりも、10歳ほど長く生きている。
お袋の歳までは、何とか頑張れそうだ。
長生きの親父までは多分無理だろう。
残された私の人生、意義のあるものにしたいもの。
少しは、人様の役にたてる事をしたいものだ。

お墓参りの後は、何時ものコース。
平塚、茅ヶ崎、辻堂。
湘南海岸沿いを進み、江の島へ行く。
そして、江の島の海を見ながら食事をする。
江の島に着いた頃は、だいぶ日も弱くなり、
江の島へ続く橋は、水着姿の若者でいっぱいだった。

帰り道の高速、横浜辺り
横浜開港150年祭の花火