「小さな旅&日記」
奈良井宿・寝覚めの床・妻籠・馬籠

2008.6.8(日)−9(月)

日曜日、東京を発って長野県奈良井宿へ向かった。
中央道を、岡谷JCTから、
長野自動車道を、塩尻ICで降り、国道19号へ。
奈良井宿へ、朝の8時頃到着した。
奈良井宿の旧中仙道を真っ直ぐ進み、鎮神社の前へ。

車を止め、早速、木曾十一宿宿の一つ、奈良井宿を散策をする。
天気予報は曇りから雨。
だが、幸いのことに、今のところは曇り。
まだまだ早朝、観光客はまばらだった。
でも、店はしっかりと開店していた。

どうやら、今日は「奈良井宿漆祭り」らしい。
そして、お昼頃には、古色蒼然、「お茶壺道中」があるようだ。
宿場町の佇まいは、江戸時代にタイムスリップしたかのようだ。
木造の古めかしい建物。
どこか、日本の原風景が、そこにあるかのような錯覚に陥る。

300年前の建築物が、
いまだに、民家として、現前とし存在している。
黒や黒褐色の、天井の低い家並み。
出梁造りの張り出た欄干と、千本格子の家並。
剥き出しの梁や天井の固陋な骨組みが、歴史の重さを醸し出す。

旧木曾街道を挟む家並み。
かつて、十一宿随一の宿場町。
奈良井千軒と言われたほどの、賑わいを偲ばせる家並み。
まるで、時代劇のセットのように続く。
かつての往還の賑わいが、彷彿として蘇る。

そのまま、民家となっている家。
土産物屋や飲食店になっている家。
そして、連綿と旅籠を営む旅館。
それぞれが、存在の在りようは異なるが、
かつての宿場の保存と共生していることが分かる。
だんだんと、観光客の数も増え、
奈良井宿の街道は、賑わいをみせてきた。

何時しか日が昇り、陽光は勢いを増し、
歩くほどに、汗ばむほどになってきた。
ぶらりの奈良井宿めぐり。
土産物屋を覗きながらの、ぶらり散策。
やがて、香ばしい団子を焼く匂いが漂って来た。

誘われながら、団子屋さんの前の椅子に腰掛け、
お茶を飲みながら、串に刺された、小粒な団子を食べる。
江戸情緒に浸りながら、素朴な団子の味は格別。
ぷーんと焼け焦げた、醤油の匂い。
そして、半搗きの米粉の団子は、
口ざわりもざらりとした、懐かしいお袋の味。

奈良井宿はますます賑わいをみせてきた。
端から端まで、約1キロの江戸情緒溢れる家並み。
宿場の先から引き返して、
途中、入館料は300円を払い、上問屋資料館に入る。
1602年、慶長年間から明治維新まで続いた、
問屋兼庄屋が記念館になっている。
靴を脱ぎ、年季の入った板の間へ。

奥には畳の部屋が続き、廊下を進めば箱庭があった。
その箱庭を愛でながら、
明治天皇が休憩をしたという部屋もあった。
部屋には、明治天皇と皇后の、額装の写真が飾ってあった。
そして、庭を見渡す他の部屋には、
山岡鉄舟の揮毫した扁額が、無造作に飾られていた。

かつての、奈良井宿の大庄屋の屋敷。
囲炉裏の切られた土間の長椅子に座る。
天井の梁は黒く、太く、そして、剥き出しで高い。
座っているだけで、
清涼な空気が凛と流れ、江戸時代を懐旧する。

私が育った世田谷の農家も、
この建物と構造的にほとんど同じだった。
この半世紀、
昭和の高度経済成長とともに、日本の生活文化が大変貌した。
それと同時に、人間も物心にわたり激変した。

その激しい変化に晒されて、
人々の心に大きな歪さえもたらしている。
守らなければならないもの、
大事にしなければいけない物さえ、
犠牲にして来たことに、今気付きはじめている。

最近、癒されると言う言葉がもてはやされる。
しかし、それは個人の問題領域としてである。
社会自体が、人々を癒せる構造をもつことが大切なはず。
人間を癒す共同体、文化が問題である。
かつての歴史的な遺構を、
生きた形で継承することは、重要なファクターでもある。

途中、長泉寺に寄る。
1366年(貞治5年)、
元章希本和尚により創建された曹洞宗の禅寺
山門を潜ると本堂がある。
本堂の前には、茶坊主の衣装を着た
若い女の子達が記念写真を撮っている。
女の子達は、韓国語をしゃべっていた。

本堂の中では、
「お茶壺道中」の衣装に着替えている人たちで、ごったがえしていた。
どうやら、この行列は、豪華絢爛、なかなか見事な本格的なもののようだ。
ちょっと観たい気にもなるが、これからまだまだ行くところがある。

寺をあとに、賑わいの増した街道を戻り車へ。
そして、車で旧街道から、国道19号へ抜けようとした。
しかし、すでに、交通規制で、車両の交通は遮断されていた。
交通規制は8時から、夕方の5時まで一歩も動けない。
19号へは、直線距離で200メートル足らず。

うっかりとは言え、迂闊だった。
車両規制をしている人に頼んでみたが、無情にも駄目とのこと。
しかし、ここに5時までいる訳にもいかない。
何とか、頼んでいると、年配の責任者とおぼしき人がやって来た。

「寝覚めの床」のホテルにチェックインするのは今日の午後3時。
これからの旅の予定も説明した。
勿論、私達の不注意を詫びた。
私達の窮状を察してくれたのだろう。
しぶしぶながら、私達の車両を誘導して、外に出してくれた。
祭りの時、交通規制には充分には、
充分に気をつけなくてはと、肝に銘じる。
不注意は、他人には迷惑千番。

国道に出て、「木曾の大橋」へ向かう。
日は中天に輝き、初夏の日差しに変わってきた。
天気予報は大外れ、雨模様は杞憂に終わった。
駐車場はすでに満杯。
すれ違い様、
教えてもらった、奈良井川沿いの空き地に車を停める。

奈良井川の清流は陽光で煌き、
遠くの山々の明彩の異なる緑が、鮮やかに映える。
初夏の香る川風が、優しく、そして爽快に渡る。
奈良井川に架かる多きな木製の太鼓橋から、
奥深い信濃の里山を眺める。

奈良井川に沿って林立する奈良井宿では、
「お茶壺道中」が始まったようだ。
拡声器から、開始を知らせる放送が響く。
「木曾の大橋」を渡り、向こう岸へ。

家族連れが写真を撮影していた。
90歳に手が届くほどの、上品なお爺ちゃんとお婆ちゃん。
そして、多分娘夫婦とその子供達。
写真を娘さんが、デジタル1眼レフカメラらで撮っていた。
これが最後の家族旅行になるのかも知れない記念写真。

私は娘さんに声を掛けた。
「皆さん一緒に、写真をお取りしましょうか?」
「よろしいですか?お願いします」
そして、私は予備も含めて、2枚の写真を撮って差し上げた。
カメラを娘さんに手渡した時、
それぞれに、「ありがとうございました」の笑顔のお礼だった。

きっと、この写真は大切な記念写真になるだろう。
一日一善、人の感謝と笑顔は嬉しい。
人が生きて来るということは、たくさんの人の恩恵をこうむる。
自分が受けた恩は、死ぬまでに、
少しずつ返していかなくてはいけないだろ。

車に戻ると、すでに12時を回っていた。
祭りのせいだろう、駐車場辺りは、車で溢れかえっていた。
祭りの喧騒をあとに、我々は赤沢自然休養林へむかった。
日本で最初の森林浴発祥の地。

山深い山間の道を、緩やかに、蛇行しながら進む。
森林は香り、気持ちよい冷気が、
開け放たれた車窓から吹き込む。
木々の緑は深く、鬱蒼と繁る樹木が香る。

やがて、赤沢自然休養林へ到達した。
駐車料金500円を払い中へ。
車を置いて散策道へ。
すると、森林鉄道の車掌が、階段の上から声を掛けてきた。
「乗車しますか?」
「はいー、乗ります」
2人で1600円を払い、
乗車日のスタンプが焼きこまれた、檜の乗車券を貰い乗車する。

列車はすぐに、ゴトトン、ゴトトンと動き始めた。
他に誰も乗車していない、私達だけの貸切列車。
おもちゃの列車のような、ジーゼルエンジンの森林電車。
4車両の列車は、
フィトンチッドがいっぱいの檜林の中、1.1キロの鉄路を進む。

車内放送で、通り過ぎる木々や川や、
沢などの歴史や由来を教えてくれる。
清流の川面はきらきらと輝き、
森林からは、
檜特有のミントのような爽やかな香りと、心を癒す霊気が流れる。
所々の遊歩道、家族連れがこちらに手を振る。
私達も笑顔で手を振る。

見知らぬ人との交流。
現代社会、今、このことが一番なおざりにされている。
メルヘン列車、片道12分ほどの短い短い旅。
終点駅・丸山渡停車場に到着した。
切符は往復券。
これからすぐさま引き返し、来た線路戻るだけだ。

折角の自然休養林。
列車を降りて、散策道を歩くことにした。
車掌が親切に、散策道の歩き方を教えてくれた。
戻る列車に別れを告げ、清流沿いの散策道を進む。
道から逸れ、川辺の岩場へ。

勢い良く流れる清流へ、手を入れてみる。
水は思いのほか冷たい。
手で掬って飲みたいほどに、美しい光沢がある。
陽光を浴びた川面は、金鱗、銀鱗に、輝いている。

元の道に戻りさらに進む。
線路を横切って進むと、
樹齢300年を越す、「大樹」の森があった。
この森から、多くの檜が切り倒され、
伊勢神宮の遷宮の御神木として使われた。

檜は古来から神が宿る神聖な神木。
切り倒された樹株は朽ち、
暗緑色の苔がみっしりと厚く深く覆っていた。

生臭く、むわーっと漂う苔の匂いが鼻先を包む。
数えられないほどの、悠久の時が流れているのだろう。
初夏だと言うのに、樹林は薄暗く、幽明な空気が漂う。
森に宿る精霊が跋扈していても、
不思議ではない空間が広がる。

ここから「駒鳥散策コース」を歩き、
ぶらりぶらリ、清流のせせらぎを聞きながら歩く。
所々、遅咲きの山ツツジが朱色に、薄紅色に咲いている。
奥深い山間は、今がツツジの季節なのだろう。
散策道には木漏れ日が落ち、
森厳な森からは、豊かに霊妙な空気が漂う。

森の精たちが、私達の心と身体の澱を、洗い流してくれている。
すれ違う人もいない遊歩道、木霊に包まれながらの歩みは愉しい。
やがて、先ほど逸れた渓流に出た。
木橋の中立橋を渡り、渓流沿いを歩くと、
赤沢自然休養林の広場に戻った。

ちょうど昼時、食事処で、お蕎麦を食べる。
外のテラスで、清涼な空気を吸いながら、蕎麦を啜る。
前日のお酒が少なかったせいか、朝食も昼食も美味しい。
昔なら、宿泊の翌日は二日酔い。
食欲どころのではなかった。

今は、足るを知るようになり、
程よいところで、美味しくお酒を切り上げられる。
やはり、程よい加減が身体には優しい。
でも、苦しい思いを知っているから、
程よさの善が、分かるのだろう。

天気はますます晴朗。
ホテルのチェックインは3時の予定だ。
ホテルの近くにある「寝覚めの床」へ向かう。
車窓からは、初夏の暖かい薫風が吹き込む。
空は青く、山々の緑は鮮やかに、
深く濃く、そして鮮やかに彩りを増す。

山間の街道の緩やかな蛇行を、楽しみながら進むと、
やがて、ごつごつと石ころだらけの雄渾な木曽川が右手に出現した。
暫く行くと、私達が宿泊するホテルが左手に。
そして、さらにすこし行くと、町営の無料の駐車場があった。

車を停めて、
深い木々の中、「寝覚めの床」へ続く道を下る。
やがて、眼下に、木曽川が木々の間に微かに見える。
下りの土道を降りきると、広い広場があった。
そして、彼方に、エメラルド色輝く水をたたえた、
陽光に照りかえる白色の巨大な岩が見える。

木曽川を眼下に見下ろしながら、
整備されてない細い坂道を下りきると、
そこはごつごつの、大きな岩のような石が無数に転がる。
その岩場の先に「寝覚めの床」がある。

我々は、カメラや三脚を持ちながら、
不出来な忍者のように岩場を伝い歩く。
強い太陽の日差しを浴び、汗が噴出す。
普段の健康体操が、こんな時に大きな力を発揮する。
岩場をそれ程苦もなく、
カメラと三脚を抱えながら登りきる。

大きな白い巨岩の登頂に成功。
岩場には柵もない。
最近の観光地には、異常なほど手すりや柵等が多い。
事故が起きない様にとの配慮なのだろう。

事故が起きた時、大問題になり、
行政側が過剰とも言える批判や非難を浴びる。
だから、過剰とも言える安全対策をとるのだろう。
だが、人間の命は自分もち。
危険に対する自己管理、危機対策は、
小さな子供時分から、小さな危険を体験しながら学習する。

だから、危険の怖さ、恐ろしさを身をもって体得する。
そんな学習をしながら成長した子供達は、
危機管理能力を持った大人に成長する。
恐る恐る岩場の端へ進み下を覗き込む。
真っ直ぐに切り込まれた絶壁の下、
木曽川の水が、エメラルド色に輝いていた。

宝石のエメラルドの神秘。
深く静謐で荘厳な川面に、純白の巨岩の姿を映す。
龍宮城から戻った浦島太郎が、
日本全国を行脚したの後、辿り着いたのが「寝覚めの床」

この地の美しさに魅せられた浦島太郎は、此処に定住した。
そして、ある時、
この岩場で、乙姫様から頂いた玉手箱を開けてしまう。
もくもくと立ち上る煙に包まれながら、
300年の目覚めから醒めるという伝説。

深い檜の山々の緑。
純白の巨岩石の威容。
エメラルド色に輝く静謐な木曽川の流。
浦島太郎伝説が生まれたことも、夢物語として楽しい。

すでに、時間は3時を過ぎていた。
今日一日、好天に恵まれた。
いまだ、空高く、青空は広がり、雲海は銀灰色の夏雲。
爽やかに、初夏の薫風が吹き渡る。

広い平らな岩場で、日光浴でもしていたいほどの長閑な光景。
遠くには、木曽川を包み込むように、山々の緑がまばゆい。
すでに時間は4時近くになっていた。
今日一日の旅は終わった。
ホテルに戻り、一風呂浴びてゆっくりと旅の汗を流そう。

翌朝、6時に起床。
朝風呂を浴びて、8時から朝食。
そして、9時前にホテルを出る。
今日の天気予報は、曇りのち、昼過ぎから雨と出ている。
確かに空模様は怪しい。
急ぐに越したことはない。

一路19号を下り、妻籠宿へ。
南信州の山々はますます深く、
そして高く、街道に覆い被さるようだ。
飛騨川沿いの中仙道、
走り行く車も少なく、軽快に、車はゆるい下りの道を進む。

山が深く高くなるのと反比例して、
ごつごつと大きな岩石が転がる、飛騨川の清流の川幅は広くなる。
蛇行しながら進む飛騨路、進むに従い、
時間とともに、空は明るく、陽光も強く輝きはじめた。
1時間ほどで、第1の目的地、妻籠宿に到着した。

空には青空が大きく広がり、太陽は初夏の輝きを増していた。
19号沿いの広い駐車場に車を停め、早速、旧中山道妻籠宿へ。
通路脇の田圃には、田植を終えた、幼い稲が青々と育っている。
そして、通路脇の水路には、勢いよく清冽な水が流れている。
南信州、水が豊かで清冽。
生垣には、真っ白で可憐な、ユキノシタが咲いていた。

やがて、妻籠の家並みが見える。
旧道に出ると、まさに江戸時代がそのままに出現した。
狭い街道に犇くように、低い家並みが踵を接するように続く。
木曽路の宿場としては珍しく、大火を免れ、
江戸時代そのままに、歴史的な景観を残している。

天気は嘘のように快晴。
歩くほどに、汗ばんでくる。
そして、時間とともに、
妻籠宿にも、大勢の観光客で溢れてきた。
多くは団体客のようだ。

大勢が押し寄せたと思いきや、
さっーと退き、そしてまた、観光客で溢れる。
私達よりも年齢の高い人たちが、
楽しそうに、談笑しながら見物している。
日本の経済成長を担って、一生懸命に生きてきた人々。
その贈り物の一つが旅なのだろう。

しかし、最近の社会的な風潮、
老人を疎かにする傾向が、随所に見え隠れする。
日本を支えてくれた人たち。
そして、これから日本を支える子供達を、
大切に出来ない社会は問題である。

程なく進むと光徳寺があった。
明応5年(1500)開山の臨済宗の古刹。
急な階段を上り境内へ出た。
大きく広がる青空。

緑いっぱいの飛騨の山々が遠望できる。
静謐な境内、爽やかに風が香る。
飾り気のない山門を潜り中へ。
正面に、清楚な本堂があった。

そして、隣の宿坊の扉を、がらりと開けると土間があった。
天井には、人力車の祖形と言われる駕籠が、無造作に吊ってある。
歴史的な物であるのに、
大仰に、ものものしくしてないところに味わいがある。
ガラス越しに見える部屋には、普通の生活の匂いがある。

座敷框に小さなお賽銭箱が、さりげなく置いてあった。
見学させて頂いたので、ささやかなお賽銭を上げる。
引き戸を開けて外に出る。
山門が額縁のように、緑鮮やかな山を映しとっていた。
どうやら、今日の天気は快晴に間違いないだろう。

山門を潜り、急峻な階段を下り、旧街道へ。
ぶらリぶらリ、江戸情緒に浸りながら、
初夏の陽光を浴びながら散策を愉しむ。
途中、土産物屋さんへ入る。

青竹踏みを購入したいが、店の人が居ない。
すると、明治時代の郵便配達夫姿の男の人が、入って来て、
店の人の代わりに、会計をしてくれた。

その人は、妻籠宿の郵便局員だった。
のんびりしたもの。
そこには人間を信じあえる、共同体が成立しているのだ。
ぶらぶらの散策、途中、
江戸時代の建物をそのまま利用した喫茶店で、一休みした。

板敷きの縁側の座布団に、
猫がちょこんと日向ぼっこをしながら、通りを眺めている。
おとなしく、人懐こい猫は、観光客の人気者。
道行く人たちが、頭を撫ぜていく。
私達は抹茶を飲みながら、観光客で賑やかな街道を眺める。

街道の生垣には、ツツジの花が朱色鮮やかに、
太陽をいっぱいに浴びながら咲いていた。
時間が経つのは早いもの。
すでに、12時近くになっていた。

これから、木曾十一宿の最後、
馬籠宿へ出かけて、美味しいお蕎麦でも食べて東京へ帰ろう。
江戸情緒たっぷりの、旧中山道。
十二分に満喫さしていただきました。