吉見百穴、吉見観音&東松山ぶらり旅
2008.5.18(日)

25日の日曜、4時頃から、ぶらりと埼玉・吉見百穴へ出かける。
大宮バイパスを下り、大宮、上尾を過ぎ、
鴻巣辺りから、県道に入り、松山方面へ向かう。
春分をから数え、八十八夜も過ぎ、今は初夏。
青葉若葉が日に日に色濃く鮮やかになる。
木陰の陰翳も深、くっきりとしたコントラストが美しい。
やがて、遠方に秩父連山の織り成す山々が霞んでいる。
すでに5時を回っているというのに、太陽は雲間に隠れてはいるが、日は明るい。

吉見百穴は24年ぶりの再訪か。
湯島から板橋に引っ越してきて最初の頃、、子供3人と一緒の東上線ぶらり旅だった。
すでに、その子供達も皆成人して働いている。
振り返ってみれば、子供の成長とは早いもの。
必死に子供達を育てながら、
こちらも子供達に色々な事を、考えさせられ、そして教えてもらった。
子供を育てることは、自分達の歩いてきた歴史を、
子供達の成長を通して、具現化されているような気がする。
夕方の6時前、吉見百穴に到着した。

さすがにこの時間、正門は閉ざされていた。
24年経った今、吉見百穴はかなり整備されていた。
正面の料理屋さんでは、宴会が開かれているのだろう。
2階の広間から、大勢のお客様の酔い加減の楽しげな声が聞こえてくる。
正門脇の地図を見れば、さらに先には、八丁湖という湖があるらしい。
吉見百穴をあとに、
上りの寂しい山間の緩やかにカーブする道を進むと、八丁湖があった。
すでに、日は山の彼方に沈み、残光が山なみを照らす。

湖あたり、ほとんど人影はなく、湖は静かに、森影を湖に映し出していた。
静寂で厳かな佇まいの小さな沼のような湖。
灌漑用に作られた周囲約2Kmの小さな湖は、黄昏時を静かに待っているようだ。
山間の美味しい空気をいっぱいに吸い、
木々の木霊に心を清新にして、また、車を走らせた。
あてどない小さな小さな旅。
この先に吉見観音があるらしい。
少し下り勾配の道を進むと集落に出た。
そして真っ直ぐ狭い道を進むと、約1200年の歴史を誇る、
坂東11番の札所、岩殿山安楽寺・吉見観音があった。

車を停め、急な細めの石段を上り切ると、歴史の重さを感じさせる仁王門があった。
左右には、ぴかぴかんの朱塗りの阿吽の仁王さまが控えている。
造立は元禄15年(1702年)と伝えられる。
参道を真っ直ぐ行くと、大きな青銅の香炉があり、その先に、厳かに本堂があった。
鰐口を垂れ下がった綱で叩き、ぐぉぉーおーんと響く音を聞きながら手を合わせる。
すでに、7時間際、日はかなり落ち、辺りは深閑として、夜の帷は落ちようとしている。
本堂の奥には、夕暮れの幽明、優麗な三重塔が厳かな佇まいを見せる。
三重塔は約350年前の寛永年間、杲鏡法印によって建築されたものだ。
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本堂を後に、参道を戻ると、
微かな日に照らされた山門の中に、辺りの景色が浮かび上がっていた。
急峻な階段を下りると、お婆ちゃんが灰黒色の子猫を抱いていた。
私もお婆ちゃんの猫に手を出したが、
猫は嫌がって、お婆ちゃんにしがみついている。
吉見百穴、八丁湖、吉見観音、この辺り、何処へ行っても猫がいる。
どの猫ものんびり、人懐こそうな顔で此方をみている。
猫好きにはたまらない土地だろう。
車に戻り、我々は東松山へ向かった。

岩殿山安楽寺・吉見観音
数年前、東松山のお客様に聞いた、噂のホルモン焼きの街、
東松山へホルモン焼きを食べに来た時は最悪だった。
評判の店はすでに、夕方前だというのに店じまい。
ぶらぶら散策しながらの店探し、仕方なく入った店だった。
商売柄、どんな見知らぬ街へ行っても、
感と言おうか匂いと言おうか、一見で入っても外れはない。
でも、その時は「仕方なく入った」がキーワード。
店の構えはなかなか雰囲気はあり、それなりの歴史ある風情をしていた。
玄関を開けた瞬間、嫌な予感がした。

私達は、名物のホルモン焼きと、酒の肴の料理を頼んだ。
焼き場には中年の夫婦が立っている。
でも、何故か二人には会話は無く無言。
男は黙々と仕事はしているようだが、
私たちの頼んだものが、なかなか出てこない。
すると、能面顔で無表情な女将さん、血相を変えて小走りに2階へ。
そして、そのまま、2度と店には現れなかった。
やがて、焼きトンが出てきた。
だが、まだ他の料理は出てこない。

玄関脇の席では、
愛も変わらず、大旦那風の店の親方が、若いお客に政治談議。
客は多分、市会議員か県会議員の秘書なのだろう。
偉そうに語る親父の意見を聴いている。
きっと、親父さんは後援会の、そこそこの重鎮なのだろう。
焼き場の後では、
店にまだ入りたてのフィリピン人の女の子が、手持無沙汰でタバコをぷかりぷかり。
私は焼き場の若旦那に聞いた。
「料理、まだ?通ってるの?」
少し強めに訊いた。
こういう時の私の声は低音で太く響く。

「通っています。すみません」
すると、政治談議の親父が、気配を感じたのか、ぱっと席を立って調理場へ。
そして、残りの料理を、何もなかったかのように、平然と出した。
最悪な店。
お客様に対して、もてなしの心、感謝の気持ちが欠如している。
他の店へ行くというのは、色々と勉強になる。
悪い店に行けば、反面教師として、こんな事はしてはいけないなと学習する。
良い店に行けば、自分ももっともっと頑張らなければと刺激になる。
そんな苦い経験。
そこで、今回は再チャレンジをした。

すでに時間は7時過ぎ。
東松山の商店街。
どこやらかホルモン焼屋さんはないものか、ぶらり散策。
すでに、早々と暖簾を下げた店もある。
地元で評判の店は、
夕方には売れ切れ御免で閉まってしまうと、地元の人に聞いたことがある。
しばらく行くと、赤ちょうちんを灯した、風情のある店があった。
玄関を入ると、威勢の良いおばちゃんがいた。
靴を脱いで奥座敷へ。

次々に買い足した店なのだろう。
入り組んだ通路伝いに進むと、一番奥の道路脇のテーブル席へ。
他はすべてお座敷だった。
私は生ビールを注文する。
ママは勿論、ソフトドリンク。
そして、名物のホルモン焼きをたっぷりと頼む。
しばらくして、タン、レバー、カシラ等など沢山の焼きとんが出てくる。
独特のカラシ味噌を刷毛で塗って食べる。
どれも、ほくほくと香ばしくて美味しい。

やがて、レバーのソティーがやって来た。
皿に盛られたレバーは、ことのほか大きくて吃驚!
箸で摘むとずっしりとした手ごたえ。
ぶっつりざっくり切られたレバー。
薄衣をかぶせ、油を引いてソテーしたのだろう。
口の中に入れて、歯で噛むと、さくりと噛み切れた。
ほくりほくほく、厚いレバーには、完全に火が通り灰褐色。
噛むと同時に、レバー特有の匂いが口の中に漂う。
そして、咀嚼するうちに、ほのかにレバーの滋味が口中に溢れる。
新鮮なレバーには、ほんのりと甘味さえ感じられる。

焼きトン尽くしの東松山、タップリのレバー。
暫くは、レバーは食べたいと思わないだろう。
会計をして外へ出れば、東松山はとっぷりと暮れていた。
東松山の市街地を抜け、東京へ。
真っ直ぐな街道沿い、広い水田が広がる。
水田に抱きかかえられたように、農家の灯がともり、水田に影を移す。
遠く近く、蛙たちの大合唱が響き渡る。
こんなにも大きな蛙達の声を聞いたの何時以来だろうか。

水田はやはり日本の文化。
水田には日本人の心が投影される。
初夏とともに、水田で田植えが始まる。
そして、秋には稲穂が稔る。
日本は瑞穂の国。
減反政策など愚かな農業政策が進められる今日。
農家はますます疲弊して来た。
自国の食料は自国で賄うのは自明の理だ。
元気で活力のある農家は、国の基本であろう。