春の甲斐路「神代桜・枝垂桜&桃源郷」へ
2008.4月6日(日)ー7(月)


神代桜
6日(日)、山梨県・北杜市へ出かけた。
最近は平成の大合併で、新しい市がぞくぞくと誕生。
北杜市も、平成16年11月1日、
明野村、須玉町、高根町、長坂町、大泉村、白州町、武川村が
合併して 誕生した。
新しい地名に文句を言いたくはないが、地名は歴史的な存在。

その名前には、はっきりとした歴史的な意味合いや、誕生の来歴がある。
だから、その名前を見たり聞いたりしただけで、
名前のイメージが豊かに広がる。
やはり、町村の古来の名前は、行政の恣意で、
勝手気ままに変える事には疑問符がつく。

実相寺境内
中央高速を須玉インターで下り、国道20号・甲州街道を北上。
朝の陽光がきらきら差し、空一面に青空が広がる。
街道には、いまだ桜花が咲き、
山々にも、枯れ錆びた木立の中、淡い桃色の山桜が咲く。
まだまだ、街道は寂しく、行き交う車も少ない。
暫く行くと、我々の目的地・神代桜に到着した。
駐車場はまだすいいていた。
駐車している車のナンバーを見れば、日本の各地から来ていることが分かる。

実相寺
やはり、日本三大桜
(山高の神代桜、根尾村の淡墨桜、三春町の滝桜)の老樹の威力だろう。
係員の指示に従い、500円を払い駐車。
土産物の売店や露天は、早々とすでに営業していた。
駐車場からは、樹齢2000年を誇る神代桜が目の前に。
朝の陽光に光り輝く姿は神々しい。

日本最古の老桜樹、柵を取り巻くように観桜の人々。
根元周11.80メートル、樹高10.30メートル、
枝張りの東西17.10メートル、枝張り南北12.40メートル。
2000年の悠久の時、生き続け咲き続けた、大地の創造物。
転変万化、遥けき時の流、何も語らず、時を眺め続けた。
樹木の幹はごつごつと、巌の如く複雑で、神秘的な形象。
太い主幹の4メートルの辺りで、ぼきりと老桜は折れている。

昭和34年8月、
武川村を襲った台風の猛威により折られたのだ。
だが、自然界の生命力の偉大さ。.
長い風雪、天変地異にも耐え生き続ける。
残された老樹から、新しい枝が張り出し、
生命が奔流のように躍動している。
自然界の新陳代謝、変容するからこそ、
より生命力が豊かに湧出するのだろう。

実相寺には、神代桜とともに、たくさんの山桜も咲いている。
爽やかに吹く風に、
大きな羽をはばたかせたように広がる桜木が、ゆらゆら揺れる。
飾り気のない実相寺の境内。
桜の季節を覗けば、鄙びた里にぽつんと佇む日蓮宗・大津山実相寺。
境内から彼方を望めば、南日本アルプスが見える。

実相寺境内に咲く水仙
山々の頂きには雪が残り、
青空の中、駒ケ岳や八ヶ岳が銀嶺に輝く。
前の畑には、黄色く咲く水仙の花々。
そして、畑を抱きかかえるように、薄桃色に山桜が咲く。
水仙の隣の畑には、チューリップが蕾を抱えている。
長く厳しかった冬から、山里は、
桜花とともに、いっせいに春が開花するのだろう。

さすがに、好天に恵まれた日曜。
観桜の人たちで、境内は賑わってきた。
春うららかな好日、家族連れ、若いカップル、
高中年の夫婦、そして、観光客の団体。
あちらこちら、三脚を構えた本格派のカメラマンの姿。
暫く、桜花爛漫の境内を散策して、駐車場へ。
どこの売店や露天も、賑やかに、そして盛況。

すっかり、満車の駐車場を出て、
「舞鶴の松」へ向かう。
国道20号を戻り、標識の指示に従い左に折れ、
桜並木を進むと、長松山・萬休院はあった。
駐車場に車を置き中へ。
境内には枯れ山水の白砂の庭園。
のんびりと散策しながら進む。

実相寺からの眺め
すると、何故か待機していた消防団の合図。
そして、「水が放水されますから、気をつけてください」の声。
草庭に向けて、勢いよく放水が始まった。
放水を横目に、お寺の参道を進む。
本堂で合掌し、中へ。
お線香の心地よい香りが漂い、堂内は静謐。

靴を脱いで、堂内へ上がるると、
かつて撮影された「舞鶴の松」の、
年代ごとの写真が飾られていた。
はてさて、その「舞鶴の松」は何処にありや?
お堂を出て、その樹齢470年の優美な松を探す。
写真から見れば、駐車上から見て、
白砂の枯れ山水の向こうにあるはずなのだが。

放水を終えた消防団の人に聞いてみた。
すると、何ということか。
たった今、放水していた的が「舞鶴の松」だった。
初老の消防団員は苦笑いしながら、
すまなそうな顔で答えてくれた。
松食い虫に食いつぶされ、先月、切り倒されていたのだ。

庭の真ん中の草地に、
何故か不似合いな茶色のビニールシートに包まれた、
大きな塊が二つ、無残に横たわっていた。
それが、切り倒された「舞鶴の松」の痛々しい亡骸だったのだ。
水に塗れた、「舞鶴の松」の切り株へ。
松の匂いは強く、そして、深く漂う。
剥き出しの年輪は、細かく刻まれていた。

幾多の風雪に耐えて470年、一瞬の内に切り倒された。
茶色のビニールシートから、透けて見える、
松食い虫に食い潰された、老木の大きな空洞。
自然界の容赦のない過酷な戦い。
1934年、「舞鶴の松」は国の天然記念物に指定された。
枝張り約27メートル、鶴が翼を広げたような流麗な赤松。
「舞鶴の松」、白砂青松は幻想に終わった。
松食い虫の赤松被害は全国に拡大しているようだ。

実相寺境内、観桜の人々
次に、私たちは、小淵沢の近く、神の田「大糸桜」へ向かった。
雪を頂いた南日本アルプスの山容を眺め、
鄙びた山里の景観を楽しみながら、上り勾配の甲州路を進む。
真っ青に澄み渡る空に、浮き上がる南日本アルプス。
眼前に聳え、雪嶺の輝きを増す。

長松山・萬休院
地図を頼りに、半信半疑の甲州路。
JR中央本線の踏切を渡る。
農道のように狭い鄙びた道を進むと、
草むらにの中に、ぽつりと神田「大糸桜」はあった。
樹齢450年の枝垂桜。
すでに、大勢の見物人がいた。

無残、切り倒された「舞鶴の松」
予想したとおり、枝垂桜は蕾。
一輪も咲いていなかった。
だが、残念無念の感慨がないのは不思議だ。
荘厳ささえ漂う枝垂桜の老樹に、
遭遇しただけで満足なのだ。
地元の人が言っていた。
満開にはあと10日はかかると。


柵に囲まれた、たったの1本の枝垂桜。
その桜を求め、
まだ蕾の枝垂桜を観に、これほどの人たちが集まる。
満開ともなれば、この辺り一帯は、
人と車と露天で、ごったかえすことだろう。
四方を山に囲まれた山里は、一変、観桜の狂騒となる。
大地にどっかりと根をはやし、久遠の時を生き延びてきた枝垂桜。
幾重にも、老桜樹に、かさぶたのように絡みついた枝。


神田「大糸桜」
樹幹の空洞の中には、
新しい樹がその穴を埋めて生命を注いでいる。
腐食し崩落した老木の樹から、新しい生命が誕生し、
そして、数百年の時とともに成長する。
気が遠くなるほどの、遅々とした時の遥けき流。
枝垂桜は行き続けてきたのだ。

南アルプス」
遠からず来る満開の宴。
大地に垂れ下がる枝には、
小さな繭のような薄桃色の蕾が脹らむ。
青空にくっきりと浮かび上がる、南日本アルプスの山々。
吹き渡る春の匂いを乗せた微風に、
無数の枝垂れがゆらゆらと揺れる。
たとえ、桜は咲いていなくとも、その様は妖艶で優雅。
雪をいただいた優麗な南日本アルプスを背に、
陽光に照らされて、春爛漫、
満開の枝垂桜を想像するだけで楽しい。

桜は咲いていなくとも、次々に訪れる観桜の人々。
日本人にとっては、桜は特別な花なのかもしれない。
観桜の旅、来た道を戻り、
そして、国道20号・甲州街道を進み、甲府へ。
途中、昼食をとり、今日の宿泊地・信玄の隠し湯・湯村温泉郷へ。

すこし、時間があったので、旅館の近くにある塩澤寺へ出かけた。
大同三年(808)年、 弘法大師空海上人が開創。
開基は天暦9(955)年、踊念仏の高僧・空也上人。
御陽成天皇の第八皇子・良純親王が、
天皇により幽閉された歴史を持つ名刹。

急階段を上り、こじんまりとした山門を上ると、
さらに本道に続く急峻な階段。
上りきると境内があり、本堂が構えていた。
お賽銭を入れて合掌。
ぶらりと境内を散策。
奥には深い自然があり、ずっと散策道は続いている。
時間が許せるなら、
ぶらりと湯村の自然を楽しみたいところだ。
早朝からの旅、無理をせず、旅館でゆっくりすることにした。


塩澤寺
チェックイン予定の3時前、旅館に到着した。
2階建ての白壁土蔵造り、日本情緒が漂っている。
宿の部屋に案内され、一休み後、早速、宿の温泉へ出かけた。
湯は透明で柔らかく、ざぶりと頭からかぶる。
口に触れた湯は、微かに塩の味がふくらむ。

塩澤寺の山門
3時半、さすがに、まだ温泉に人はいない。
大浴場から、ドアを開けて露天風呂へ。
檜の風呂と岩風呂と二つあった。
大浴場に比べれば、どちらの風呂も幾分温度は低い。
ゆったりと手足を伸ばす。
空は高く青く、そして、微かに吹く風は春の匂い。
つつがなく、こうして温泉に浸かれることに感謝する。
6時からは、部屋に食事が運ばれてくる。

甲斐善光寺山門
湯上り後の6時、会席料理が部屋に運ばれてくる。
まずは、二人で生ビールで乾杯。
そして、甲州の地酒「季節限定・生絞り・谷桜」
「純米吟醸谷桜」「純米・春鶯囀」を楽しむ。
日は落ち、窓越しの灯りが情趣を誘う。
今日一日、甲州往還、早春の旅。
天候に恵まれ、春いっぱいの甲斐路は楽しかった。

翌日の6時起床。
天気予報通り、空はどんよりとしている。
タオルを肩に、中庭の飛び石の道を歩き温泉へ。
男湯と女湯は入れ替わっていた。
風呂場には、すでに、先客が一人いた。
大浴場で身体を温め、外の露天風呂へ。
岩風呂に浸かりながら空を仰ぐ。
相変わらずの空模様。
昼頃からは雨模様のようだ。

甲斐善光寺境内
湯は柔らかく、体の細胞が脹らみ、血流がリズミックに躍動する。
湯村の湯が、夜昼の逆転した我々の生活の澱を、
洗い流してくれているのだ。
8時に食堂で食事をとり、布団で一休みして、10時にチェックアウトした。
宿を出て、 甲州街道へ出て、甲府の市街地を抜ける。

みさか桃源郷公園
途中、甲斐善光寺へ立ち寄る。
川中島の合戦、上杉謙信との5度の一騎打ち。
信州の善光寺も、戦乱の嵐に襲われる。
その災厄を避けるために、永禄元年・1588年、武田信玄は、
信州・善光寺より、御本尊・善光寺如来などを移し、甲斐善光寺を創建した。
信濃善光寺大本願三十七世の鏡空が開山したのだ。
駐車場に車を置き本堂へ。

信州の善光寺に劣らぬ壮大で荘厳。
参道をまっすぐに進んで本堂へ。
厚く広い階段を厳かに一段づつ上る。
今日は月曜、さすがに、参拝客も観光客も少ない。
本堂でお賽銭をあげ合掌。
さらに、靴を脱いで本堂の中へ。

独特の撞木造りの巨大な本堂。
静寂の中、霊妙な霊気が漂う。
拝観料を払い、中へ入った人が、
高い天井の竜の下で手を叩く。
天井の竜に共鳴して、泣き竜になるようだ。

桃の花
本堂から出て、階段を下り境内をぶらり。
山門までまっすぐに歩く。
棟高15メートル、国の重要文化財指定の山門。
左右には巨大な木造の金剛力士像。
寄木造りの古い像は、かなり破損していた。
山門を潜り、向き直る。
山門の中に、甲斐善光寺が、優美にすっきりと収まっていた。

どんよりとした空模様。
雨が降らない内に、笛吹市尾山、みさか桃源公園へ向かった。
甲州街道から、国道137号へ向かう途中、
道に迷い、一面の桃畑の中へ。
朱色鮮やかな花、薄桃色の可憐な花々。


車一台でいっぱいの農道を進むが、桃畑は華やかに続く。
まさに桃源郷、満開ならば、絢爛豪華、夢幻のごとく、時を忘れてしまうだろう。
途中、農家の人に道を聞き引き返す。
尾山の交差点から、河口湖へ向かう御坂路のゆるい上り路を進むと、
みさか桃源郷公園はあった。
桃源郷公園というよりは、自然公園と言ったほうが正解といった趣。

車を駐車上へ置き、展望台へ。
だんだんと、空模様が怪しくなって来た。
晴れていれば、南日本アルプス、
そして、秩父連邦も見渡せる絶景の地。
散策道をぷらぷらと歩く。
公園の桜はすでに名残の桜。
池には水鳥が泳ぎ、大きな色とりどりの鯉が泳いでいる。

散策道沿いの桃の花は7分咲き。
満開の時を待ちわびている。
空はどんより、垂れ下がるように、
厚い灰色の雲に覆われている。
車に戻り、一路、東京へ向かった。
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2003 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
2002 12−11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
2001 12−9 8−5 4−1