秩父「華厳の滝」「水潜寺」&満願の湯
2008.1.元旦(火)&2日(水)


秩父神社
楽しく大晦日を終えたあと、
例年のことで、自宅近くの氏神様・北野神社にお参り。
さすがに、5時近く、初詣の人たちは誰もいなかった。
昨年、無事過せたお礼と、新年の祈願をする。
この時期、5時を過ぎてもまだ暗いのは嬉しい。
家でゆっくりと、テレビに映し出される正月風景を眺めながら、
一年の仕上げ、日本酒を飲む。
朝の6時頃、床に就き熟睡。

お昼頃起きて、ママの実家、秩父に向かった。
川越街道から、国道463で入間へ抜け、
飯能から299号へ出て、正丸トンネルを潜って秩父へ。
2時間位で秩父市内へ。
日はすでに傾き始めていた。
まずは秩父神社へお参り。
神社の駐車場には停められず、秩父駅前の地場産センターに車を停める。
好天に恵まれたあたたかい一日、さすがに、日が傾けば肌を刺す冷たさ。
5分ほど歩くと、秩父神社。

参拝客は予想したほどいなかった。
初詣の列に並べば、すぐ自分達の番がやって来た。
お賽銭をあげ、五十鈴を鳴らして新年の挨拶。
秩父神社には、1年のうち、何回出かけるだろうか。
でも、初詣と夜祭には格別なものがある。
社務所で破魔矢を購入。
去年は、三峰神社でいただいた。
おかげで、本厄の1年、無事過すことが出来た。
今年は後厄、破魔矢の力で、きっと、つつがなく過すことが出来るだろう。

参道はまだ夜店の屋台で賑わう。
店々を覗きながら、入り口の大鳥居へ。
すでに、日はすっかりと落ち、街灯の明かりも寂しげに灯る。
冷たい夜風にあたりながら、秩父駅へ戻る。
駅前の居酒屋に入り一休み。
生ビールをゴクリと2杯飲み干す。
私は何時でも飲みたい時、飲めるからありがたい。
ママはお茶と握り寿司。
私はは塩辛、そして、つくねを塩とたれで注文。
さらに、寒ぶりの刺身とぬる燗でお酒を2本。

秩父神社境内の露天
適当に切り上げ、外へ出たら、6時半を回っていた。
秩父神社近くの行きつけの酒屋で、純米吟醸を買い込む。
車に戻り出発進行!
私は何時も置いてあるグラスに、とくとくとお酒を注ぐ。
小鹿野町、ママの実家まで20分の小さな旅。
見慣れた心休まる秩父の景色。
こんもりとした冬枯れの山々。
空には大きな月が煌々と耀き、星々が空一面に散らばっている。
窓をわずかに開けると、冷たい空気が流れ込む。

居酒屋にて
ママの実家に着いた時は7時。
私達の後から板橋の家を出た娘達も、すでに到着して寛いでいた。
そして、賑やかに、元旦の祝宴が開かれた。
おせち料理を肴に、お酒をみんなと酌み交わす幸せ。
やがて、実家の娘さん一家が登場した。
3ヶ月になる娘さん、朱里ちゃんが一人増えていた。
長男の泰杜君は何時も元気だ。

去年の誕生日、贈られた正真正銘、秩父夜祭の大太鼓を、
どんどこどんどこ打ち鳴らし始めた。
2歳の泰杜君、太鼓の台座に足を掛け、打ち鳴らすさまは本格派。
代々の秩父夜祭の家系、遺伝子と血脈が騒ぐのだろう。
家に響く大太鼓を肴に、元旦の夜は楽しく暮れた。
翌日はお昼過ぎに目が醒める。
欄間ごしに光が射し込み、真っ白な障子が、仄かに金色を帯びる。
隣の部屋は、来客で賑やか。
きっと、新年の挨拶に、親戚が来ているのだろう。
やがて、ゆっくりと起きだし、顔を洗い、皆のいる居間へ。
すでに、来客は退席していた。

秩父華厳の滝
テレビでは、恒例のの箱根駅伝が流れていた。
昼食を摂ると、すでに一時半。
我々は皆野の奥の天然温泉、「満願の湯」へ出かけることにした。
3年くらくぃ前のお盆、実家の息子さんに、連れてってもらったことがある。
とにかく、身体に沁みる素敵な湯だった。
ママは実家のお姉さんに、道を詳しく聞いている。
なんとか、道筋は理解出来たようだ。
新年の秩父路、長閑な小春日和。
秩父の山なみを照らす、柔らかな陽光。

小鹿野、太田、そして、皆野へ。
だんだんと、人里も離れ、山深くなる一本道。
やがて、34番札所「水潜寺」の表示。
どうやら、「水潜寺」の近くに、「満願の湯」はあるらしい。
我々は急遽計画を変更、「水潜寺」へ行くことにした。
最初に「水潜寺」に来たのは、20年以上も前だろう。
ママの運転する車でやって来た。
でも、まったく記憶にない。
やがて、水潜寺の駐車場が左手に見えた。
しかし、その先に「華厳の滝」の標識があった。

ちょろちょろと流れる渓流沿い、枯れ錆びた山道を進む。
車一台でいっぱいの、曲がりくねった狭い道。
その道にへばり付くように、民家が点在。
さらに狭隘な坂道を上がると、「華厳の滝」の駐車場があった。
「水潜寺」から、600メートルほど来ただろうか。
車を止め外へ。
辺りは深閑として空気は冷涼。
案内板に従って、渓流沿いの道を進む。

青々とした葉の中に真っ青な草の身
岩礁の剥き出しの川には、大きな石がごろごろと転がり、清流が流れる。
さらに進むと、遠くに、一筋の滝が流れ落ちていた。
土が剥き出し、手すりもない道、幅は1メートルもない。
左下には渓流。
ちょっとしたスリルだ。
最近の観光地、厳重警戒で手すりや柵だらけ。
そして、立ち入り禁止のオンパレードだ。

華厳の滝を見下ろす坐像と滝
事故を起こさないための、最善の処置なのだろう。
日本社会、どこもかしこも、禁止や規制、厳罰社会になってきた。
確かに、事故が起きたら、社会的な制裁も厳しい。
マスコミにおいては、一種の報道を武器にした、魔女裁判の様相さえおびてきた。
だが、もともと、物事の判断、危険に対処する能力は自分持ち。
自分の判断が狂った結果は、自己責任のもと、引き受けなければならない。
それが大人社会というものだろう。
最近の日本、どこか、幼稚化してきた。

狭く険しい道を頼りなげに進むと、皆野町の日野沢地区「華厳の滝」に到着した。
すでに、1組の先客がいた。
日光の「華厳の滝」を、3分の1くらいに縮小したような風情。
水量も豊かに滝壷に落ちる姿は優美。
日光の「華厳の滝」を荘厳な男滝とするならば、ここの滝は優麗で雅な女滝だろう。
高さ10メートルはあろうか、赤茶けた岩壁から、
白い飛まつを飛ばしながら、白糸のように滝壷へ落ちる。
岩肌の朱色は冴え耀き、エメラルド色の滝壷は、さざ波のように波紋を広げる。

先客は立ち去り、我々だけになった。
静寂にして、滝の音が強く響く。
日本のいたる所、美しい名所がある。
秩父の「華厳の滝」も、日本名爆の第10位になっている。
日はだいぶ翳り、冷気が増し、ぴーんと張り詰めたように森厳。
そして、駐車場に戻り、水潜寺へ向かった。
先ほど来た道を戻ると、10分程で到着した。

水潜寺門前の民家
秩父礼場34番「日澤山水潜寺」の駐車場へ車を止め、本堂へ。
舗装された参道を進むと、六地蔵様達が並んで、おで向かいしてくれた。
そこから、階段を上ると本堂があった。
本堂の前、「足形の上で拝めば、百観音巡礼の功徳がある」と刻まれた、
黒御影石に足跡が二つ彫られていた。
その上に乗って、無心に手を合わせる
すでに日は力なく、境内に静謐な空気が漂う。

水潜寺の参道入り口
さらに、本堂の前に進み、お賽銭を入れ、鰐口を鳴らし手を合わせる。
ここは日本100観音の結願の寺。
西国33ヶ所、坂東33ヶ所、秩父34ヶ所。
最後の巡礼が終結する敬虔な寺なのだ。
本堂から、右手奥には、江戸時代寛政年間創建の観音堂がある。
前回来た時はお参りをした記憶がある。
そこには、清水が湧き出る洞がある。
そこで、巡礼の旅、結願を果たしたお遍路さんが身体を清め、
無事息災、目標を果たしたことを祝う。

水潜寺参道脇の六地蔵 水潜寺の本堂
水潜寺の名前の由縁の水潜りの岩屋、伝い流れてくる筧の水を柄杓で汲む。
その水は「長命水」、手を清め、口をすすぐ。
横には愛らしい石造、「水かけ地蔵」が寒々と鎮座。
「長命水」を3回掛け、そして、束子でごしごし。
「ご苦労さま」とお礼を言いながら、磨いてあげた。


すでに、境内には人影はなく、秩父の冷気が肌を刺す。
駐車場に戻る。
荒涼とした川向こうには、趣のある日本家屋。
秩父の低い山々の彼方に、夕日が耀きはじめていた。
すでに時間は4時。
もともとの我々の目的地、「満願の湯」へ。
15分ほどで到着。
駐車場はほとんど満杯だった。


玄関の大きな行灯には、明かりが燈っていた。
玄関を入り、受付で800円、2枚で〆て1600円を払う。
お正月なので、記念のティッシュペーパーを2個いただく。
脱衣所から、一面ガラス張りの広い大浴場へ。
老若の大勢のお客さまがいた。
水素イオン濃度(ph)9.5。
全国有数の極めて高いアルカリ温泉。
柔らかで優しくまろやかで、すべすべでつるつる。
アルカリ風呂に浸かれば、窓外に秩父の里山が広がる。


「満願の湯」玄関
大浴場「宝登(ほど)の湯」を出て、渡り廊下を下ると、そこに大小の露天風呂。
四角く掘り込まれた、少し大きめな風呂。
段を上がると小さめの丸い露天風呂「産(うぶ)の湯」
こちらの湯は、下の湯よりより少し熱めだ。
丸風呂にずぼりと肩まで浸かる・
奥長瀞渓谷、渓流に流れ落ちる小さな滝「満願の滝」の景観。
風呂を覆う桜の古木。
山々は赤錆びて、寂寥感さえ漂う。
きっと、紅葉の季節、この露天風呂からの眺めは秀逸だろう。


すでに、夕日はすっかりと落ちた。
外気はますますと冷え込んでいく。
山間の秩父、日がなくなればさすがに寒い。
露天風呂で身体を癒し、胸いっぱいに吸い込む空気は美味い。
こうして、2日目の小さな旅は終わった。
湯上りに、大広間で、冷たい生ビールでも飲むことにしよう。
やはり、風呂上り、ぐびぐびと飲む生ビールは、何ものにも替え難い。
飲み込んだ時、ごくごくごくと鳴る咽喉の響き。
咽喉もとから、五臓六腑に沁み落ちる様がたまらない。
秩父の親戚達